はじめに

●●●

2014年12月6日土曜日

かけまくもかしこき

センスも無ければゲイも無いカネも無ければトリイも無い
活かす殺すは神頼み

先月号のお話と小噺にかかわることをご披露いたします。
「狂歌明日か」は学生時代の寮仲間で作っているメーリングリストにも投稿しています。そこで若干のやり取りがありました。
11月号の「ハラハラ」のお話の中で団扇と観劇で大臣を辞めたお二人の事を書きました。これに関して見事にやられてしまいました。相手はDさんです。Dさんの曰く「ウチワで大臣をヤメルって、センスがないからですかねえ、観劇で大臣ヤメルって、芸がないからでしょうかねえ
やられました。私は直ちに白旗を掲げました。Dさんに乾杯、私は完敗です。
見事な切返し、恐れ入ります。団扇で扇子、観劇で芸。見事な発想です。扇子も持たず芸もなく、これでは噺は務まりません。お後が宜しいようで・・・」
その後に未練たらしく「実は今月号の小噺・少子高齢化対策は判らないという人がいないかと期待しているのですが、無理でしょうか」と付け加えました。
私としては小噺には若干のひねりを入れ、何%かの人が判らないというのを理想としています。人間がひねくれているのです。Dさんから返信がありました。
イザナミには高齢化対策として、老人を毎日1000人目標で絞め殺させるって、これってホラー小噺なんですな、怖い!。これで判ったことになるでしょうか?
・・・フヌ!・・もしかしてDさんも直前まで判らなかったのか?!それにしても、少なくともメンバー内ではこのやり取りで判ってない人がいたとしても「ハハーン!」となってしまう。出来れば少しの時間でも、一人でも悶々とさせたい。一縷の希望を持って、Dさんに連絡しました。
「 私としては、落語「青菜」の植木屋さんの心境です。「鞍馬より牛若丸が出でまして、その名を九郎判官・義経・」「・・弁慶にしておけ」です」
さすがはDさん。「弁慶にしておく」ことでやり取りを終息させました。このやり取りの後、私としては若干の収穫を得たのです。
Kさんからメールがありました。
お二人の話を横から拝聴していて、段々訳が分からなくなってきました。どうか幼稚な私(達)のため、解説など出来ませんでしょうか?それとも、こんなもの解説したら、噛み終わったするめのようになるのでしょうか?
噛み終わったするめ・・」と言われたら返事は「アタリメーよ」とするのが推奨されるでしょう。他人が創った小噺が判らないと言われれば、及ばずながらとしゃしゃり出ますが、自分が創ったものの解説を自らするのは、面映ゆくていけません。しかしながら、折角のKさんのお申し出ですから、・・やりますか・・・。俺は判ったという方は、少し眼をつぶっていて下さい。
黄泉の国から逃れ出たイザナキに対して、イザナミが「あなたの国の人を一日千人縊り殺す」と言いました。イザナキが「それなら、私は一日千五百の産屋を立てる」と反発、宣言したことを小噺「少子高齢化対策」では踏まえています。神代の昔から、国が栄えるには民と富が増えることとされてきました。我、日の下の今日の繁栄は、この二神の生滅差によってもたらされたと言えます。困ったことに、このところ、この二神の能力が衰え、千五百の産屋を建てることができなくなり、少子化を招き、千人を縊り殺せなくなって、高齢化が進んでしまったのです。政府の少子化対策というのは、なんとか出産数を増やそうとするところです。イザナキ神に力を持ってもらい、千五百の産屋を建てる施策が必要であります。一方、高齢化は人が長生きすることから生じます。早いところ黄泉の世界へ送ればいいのです。少子高齢化対策などと一緒にまとめて角が立たない政治的言い回しをしていますが、本来少子化と高齢化は全く別のものです。少子化は生まれてくる子供が少なすぎ、高齢化は長生きしている輩が多すぎるのです。高齢化対策はイザナミ神に頑張ってもらって、予定通り千人を縊ってもらうことです。その対策、手立てを講じるのが、政府の施策となる訳です。千五百の子作りをする。千人を縊り殺す。そう言ってしまうとネタ割れするので、二神が宣言した千五百と千という数字のみを使っておきました。
「イザナキ様には少子化対策、イザナミ様には高齢化対策に資することを期待している次第です」と別々のものであることを宣言しています。噺の力点はイザナミ神の縊りによる高齢化防止対策です。よろしいでしょうか。Dさんの言う「ホラー小噺」です。
判らない人がいてくれるかと期待していた私としては、Dさんの「ホラー小噺」で、すっかりネタ割れしてしまうと泡を食ってしまった訳です。そこで「青菜」を持ち出して話を進めました。
落語「青菜」は春風亭柳橋が得意とした噺です。酒をごちそうになった植木屋に旦那が「菜をおあがりか」と勧めます。奥方に菜をもってこさせようとしたところ、食べてしまって無い。それを奥方が「旦那様、鞍馬山から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官・」・・その菜を食らう・・菜を食ってしまった・・と言い、旦那がこれを受けて「では義経にしておけ」・・よしておけ・・、というやり取りです。そのやり取りが格好いいと感心した植木屋が、家に帰ってカミさんを口説いて一丁真似しようと言う訳です。ところが植木屋のカミさんは「・・・その名を九郎判官義経」と「義経」まで言ってしまいます。返答に窮した植木屋が「じゃあ、弁慶にしておけ」というのがオチになっています。自分のセリフをしゃべられてしまった植木屋は、すっかりうろたえてしまうのです。これを使って、Dさんにネタばらしは困ると伝えたつもりです。Dさんは了解して、話を終わらせることとなりました。これは落語「青菜」を知っていないと何だか判りません。「青菜」の奥方は「鞍馬山から・・」を使って菜が無いことを伝え、私は「青菜」を使ってネタばらしを伝えたつもりです。
落語「青菜」はお話しとしては、中身があるものではありません。語り口で聴かせるものと思います。柳橋の語り口が耳に残っています。今では小三次がやっています。面白いのですが、「青菜」のやり取り、オチについては今一つ納得感がありません。かねてから私としての改善提案を持っていました。恥ずかしながら、ここで披露させていただきます。
かみさんに「鞍馬山から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官義経」と「義経」まで言ってしまわれた植木屋さん、「弁慶しておけ」としてオチとなります。
どうも「弁慶にしておけ」が単に「義経」つながりだけでいけません。ここは植木屋さんに「フヌ・ヌ・・・」と絶句してもらいます。カミさんがたたみかけて「その名を九郎判官義経」と言います。これを何度か繰り返し、次第に声が大きくなったところで、植木屋が「ウルせい!静かにしろ!」・・ハイお後が宜しいようで。

少し長く、くど過ぎたきらいはありますが、ここまでがマクラと思ってください。本番の小噺は先月に引き続き「少子高齢化対策」がらみです。

少子高齢化対策の効果

高齢化による力の衰えが著しいイザナキ、イザナミ二神に対する日本政府の対策が実行され、効果の検証が行われた。その結果報告が政府よりなされた。

政府;イザナキ、イザナミ二神に対する少子高齢化対策の成果について報告いたします。初めにイザナキ神に関してでございます。
イザナキ神の産屋造りは千五百には至っていませんが、略その数値に近い完成軒数を得ることができました。ただ、イザナキ神による新築は進んだのですが、中古の空き屋軒数が増え、少子化対策としてはさらに新たな対策を加える必要があるものと認識しているところです。
次いで、イザナミ神に関してでございます。
高齢化にかかわるイザナミ神のご活動には、政府の女性の輝く社会施策にも力を得て、力強いものがあります。ただ、なにぶんにもご高齢であり、腕力はかなり回復したとはいえ、千人を縊るには持続力が今一歩と言ったところで、引き続き注視してまいる所存です。
思わぬ効果もありました。
イザナミ神の縊り力が戻ったことで、脳の血行障害による認知症が激減し、福祉にかかわる予算削減が可能となりました。いわゆるやりそこないが減った結果と思われます。
以上でございます。何かご質問は?

(2014.12)

2014年11月6日木曜日

ハラハラ
ハラめとかハラませたかの揉め事は
バラせやバラされたよりハルかまし

「自分が、早く結婚したらいいじゃないか!・・」
都議会でそう野次られた女性議員さんがいました。少子化対策についてのお話をしていました。その方がどういう訳か独り身だったんだそうです。あまり品の好い野次とは思えませんし、大勢の人の前で、それも都議会などというかなり権威のある場所では拙いことです。都議会でやらずに、場所とか時代を工夫して、もう少しひねりを入れたら、好い小噺ができそうだなぁと思いました。どうひねるかです。この議員さんの子作り提案を囃し、率先垂範しろと歌います。
♪オボカタさん!コボカタさん!所詮、人には出来ずとも、私にゃできるよ、自分にゃ出来る、それが女の生きる道♪
オボカタさんは出来ると自分を主張していますが、都議員さんは自分じゃつくらず人任せとなじるのはどうでしょうか。常識豊かな皆さんの顰蹙を買うだけですかネェ。
この女性議員さんがどうのこうのではなく、一般的に独身女性の方に結婚しろとか言うとセクハラという罪名のようなものを冠せられてしまい、具合が悪いことになっているようです。
結婚しろと言うのがセクハラ指定されると困りませんか。結婚したらとか、しろという時には言う相手がある訳ですね。まぁ結婚などということは、家系を継ぐとか家を守るとかいう由緒ある御大家の場合を除いては、そりゃとても個人的なことです。だから相手がかなり身近な人でないと言わないことです。それを世間が訳のわからない横文字で誹るものだから、言ってはいけない言葉だと思ってしまいますよ。言って好いことと悪いことがある。そりゃあそうでしょうが、これは少子化対策としても言わなくてはならない言葉ではないでしょうか、ねぇ。
最近ではナントかハラとよく言いますヨ。イジメに近い言葉のようです。違うのはイジメの場合、多くはイジメられる側が一方的に弱く、ひっそりと被害を受けているのに対し、ナントかハラの場合、ハラれ側が、ハラであることを大声で主張し、時には居丈高で攻撃性を持っているように見えることが間々あります。ハラだ!って言われた方がびっくりしてあわてて謝っていたりします。自分では思っても見なかったんでしょう。痛くもないハラを探られて気色も悪いことです。
ハラの基はハラスメントだそうで。イジメと訳してはいけないようです。カタカナ語の、とりわけ短縮形は何のことやら判らないことが多いので、なるべく日本語に置き換えて頂きたいのですが、適切な日本語が無い場合は仕方がありません。セクハラのセクはセクシャルだそうで。セクシャルハラスメントは性的イジメとでも訳して考えればいいのかと思いました。厭だというのに、盛り上がった上下を触ったり、スカートをまくったりすることかと思いましたが、違うようです。この手には痴漢という日本語がありますネ。口先だけでもダメなようです。「あっけない出会い呂の字をしたばかり」という川柳も具合が悪いことになりますか。口先だけでお咎めがあると、口説くにも用心が必要になりませんか。子作りの手始めは口説きからでしょう。口説き省略で、いきなりやったら、もっと拙いことになるんじゃぁありませんか。世間をあげて子作りをさせないようにしているように思えますがネー。
国をあげての少子化対策。大変なことです。少子化対策と言うのは結婚しろ対策でしょう。結婚しない人が増えているようですし、結婚しても作らない人の数が増えているというではありませんか。人の数が減れば困るので、国をあげて子作りをさせようということです。結婚もそうですが、更に踏み込んで子作りにまで国が面倒をみさせてくださいということです。それを、結婚しろをハラ言葉に認定し、禁止用語にしてしまうと、国策を危うくするっていうものではありませんか。
困ったことです。子供は女性にしかできないようです。育てるということも能力的には男は敵いっこありません。男共に出来るのは産屋を立てることぐらいなものです。ところが、世の中の若者の稼ぎが少なくて、産屋が立てられない羽目になっているようです。年収二百万円程の若者が多いということです。爺婆は結構ため込んで、更なる老後に備えて握りしめているようです。私なんぞも及ばずながらと一生懸命握りしめて、後期高齢者から末期高齢者への備えに勤んでおります。ただ、握力がこのところ弱くなってきているので、十分かどうか心配です。
そんな老齢者からナントか詐欺でまんまと掠め盗って、世のため人のために努力している人もいるようです。私も何種類かの電話やメールをいただいていますが、折角のお誘いや儲け話もよく判らないとご辞退させていただいています。今のところ若者の敵です。
民間に任せておくのは具合が悪いので、政府も女性の働く機会を増やして、若者たちの収入を増やそうと努力しているとか。お国の偉い人が女性の管理職を何割にするなどと目標に立てたそうです。取りあえずということで、女性の大臣様を数多く造られました。詳しいことは判りませんが、大臣様にする時には身体検査があるのだそうで。でも、この度は少し手を拱いたらしいですね。女の人の身体検査は、下手にやると痴漢と間違われるからでしょうね。「好いじゃあないか。大臣にしてやるから、・・・・どうだ、いいだろう!」そんなことは言わないでしょうが、下手な身体検査をするとセクハラと騒ぎたてられそうです。そんなこんなで、折角大臣になった方のうち二人もがお辞めになるはめになりました。
女性の社会進出を促すのは政策として正しいとされているようです。間違いなく正しいことなのでしょう。このことが少子化対策と矛盾していることもあるのではと思います。仕事が面白く、収入が増えれば働き続けたくなります。子供ができると一時的に中断せざるを得ません。中断は職場が困るだけではなく、本人も躊躇することになります。少しブレーキがかかれば統計的には大きな影響が出るというものです。
二人の大臣のお話をTVニュースで見ました。小渕大臣の観劇会追及の議員さんは、淡々としてお話しをされていました。内容的にも追及するに相応しいものだと思いました。もう一人、松島大臣の場合、追及のされ方が尋常なものではありませんでしたネ。私にはそう思えました。スーパーコンピューターの位置づけを咎めた蓮舫議員への偏見を含めて、あれは所謂ハラではないかと思いました。蓮舫さんは結構別嬪さんなので、あの物言いとはかなりの落差があります。外面如菩薩内心如夜叉。古い言葉が浮かんでしまいました。あれは現代用語では何ハラというのでしょうか。適当な言葉が浮かばないので臣ハラとでもしておきますか。対象物は団扇でした。これを選挙区で配ると具合が悪いとのことです。団扇は買うにはお金が要ります。有価物です。間違いありません。家に団扇がありますか。使いますか。捨てるのは勿体ないような気がしますが、使うことはありませんよ。私にとってこれがあると嬉しかったり、役に立ったりする物でもありません。京団扇のよう物ならいざ知らず、邪魔ですよ。捨てるのに気が引ける代物ではあります。こういうものは配った人の手を離れた瞬間に有価物から、邪魔物に変わるのじゃあないでしょうか。攻め立てられた松島さんもウチワと言いながら、団扇ではないなどと面白いやり取りでした。結局この団扇で大臣をお辞めになりました。団扇に吹き飛ばされたのですから威力のある、価値あるテングの団扇の如きものですよ。有価物ですね。デングは困りますけれど、テングの団扇なら私も邪魔物扱いしないで、大事にします。
ここいら辺りまででも小噺仕立てですが、更に進んで上出来な噺に仕上がった感じです。素晴らしい小噺でした。ナント!蓮舫さんも団扇を選挙民に配っていたのです。選挙管理委員会の御印をいただいていたとのことです。ですから好いのだそうです。善光寺の血脈御印は五右衛門をすら極楽に送る力があります。選挙管理委員会の御印も有価物をゴミにする力があるのです。確か、選挙の投票用紙には選挙管理委員会の御印があります。あれは無効票を造っているのですかねぇ。
私は少し落ち込み、反省しております。世間で華々しく活躍し、お忙しい議員さんの方が、シコシコと暇にまかせて小噺をつくっている私より、遙かに上手に小噺をつくっているではありませんか。悔しくてなりません。小市民が悔しく思うのはナントかハラに違いないと思う次第です。

それでは出来の悪い小噺を一つ。

少子高齢化対策

日本政府は少子高齢化に対して科学的対策を講ずるべく徹底的調査を行った。
その結果根本的原因を突き止め、対策を閣議決定した。

政府;それでは調査結果と閣議決定の内容を報告いたします。
少子高齢化の原因は、イザナキ、イザナミ二神のご高齢化によるものと判明いたしました。
イザナキ様は足腰に不具合を覚えられ、イザナミ様には握力、腕力の低下が著しく認められました。二神が立てられたそれぞれの目標値一日千五百、千の目標達成がおぼつかないばかりか、現状はその数値を大幅に下回ってしまいました。このことがわが国の少子高齢化の根源であります。
これに鑑み、政府としましては次の事を閣議決定いたしました。
1、必要資材の速やかな無償供与。
2、二神それぞれに有効な精力剤と筋肉増強剤の開発補助費の予算化。
3、認証手続きの簡略化。
なお、これらの施策により、イザナキ様には少子化対策、イザナミ様には高齢化対策に資することを期待している次第です。
以上でございます。何かご質問は?
 (2014.11)


2014年10月6日月曜日

デンギー
代々木では蚊柱を立て慰霊碑に
とんだことかな飛んだことかな

この度のデング熱騒ぎは、お彼岸が過ぎて落ち着いてきたようです。多くの感染者がでましたが、皆さん軽症で何よりでした。蚊にすればとんだ災難でした。
デング熱と聞いたとたんに、これは大変なことだと思いました。暫く暮らしたことがあるかの国、ブラジルでは結構この病気を気にかけ、注意していました。重症になる人がいたからです。ですから、日本で患者が出たというニュースには、かなりの危機感を持ちました。その割には、専門家のお話などをテレビで見ていても緊張感がなく、これで大丈夫なのかと思った次第です。かの国はデング熱の本場です。彼らはこれをDengue、デンギーと呼びます。本場の人たちがあれほど気に掛けているのに、デンギー後進国の日本人が軽視していいのか。そう思いました。ただ、本場の方の名誉のために言っておきますが、ブラジルはデンギーの本場であっても、元祖ではないようです。元祖は東南アジアだそうです。遥々、地球を半周して居付いてしまったのです。迷惑なことです。
「デンギーが流行りだしたぞ!」
季節が至ると、職場のそこかしこでデンギーが話題になりました。
「かの国のかたたち」でしばしば登場いただいた通訳のタブーシの友達に、河ナントカさんと言う人がいました。日系人です。年金生活の一人暮らしで、電気製品の修理などを片手間にやっていました。仕事場へ一度お邪魔したことがあります。修理をしながら、楽しそうに説明をしてくれました。
「河・の奴、日本へ又行ったようです」
タブーシがかなり冷たい口調で言いました。曰く、河・さんが日本へ再び行ったのは、少しばかり前にデンギーにかかったのが原因でした。彼はデンギーに再びかかるのを恐れて、日本へ退避したのです。彼が日本へ又というのは、その昔、結構長い期間日本へ出稼ぎに行っていたからです。そして、生活の糧である年金は、日本で獲得したものでした。出稼ぎ何年でどの位の年金が受けられるのか知りませんが、かなり長いこと働いたのだと思います。そしてタブーシが、また日本へと冷たく言ったのには訳があります。1998年前半のある日、ブラジル通貨Realはそれまで維持していた1R≒1ドルから、0.5ドルに突然切下がりました。日本円にすれば1R120円強だったのが、突然60円になったのです。因みに、2014年の今は45円余です。河・さんが日本から貰っている年金は円建てですから、一気に倍になりました。勿論、R切り下げで物価も上がりました。3Rだった会社の食堂の昼食代が3.2Rになったり、市内バスの料金1Rが1.2Rになったりしました。Real建で暮らしている人には、かなり大幅な値上げですが、円建てで年金を頂いている河・さんにとっては収入倍増で、この程度の値上がりは屁みたいなものです。
「笑いが止まらんワ!」
河・さんは、タブーシに言わせれば、そう「ホザイタ」のだそうです。このホザキは他の日系の知人からも聞きましたから間違いないことと思います。私はあえてそれをどうこう言いませんでした。なぜなら、私の現地手当は円建てです。「笑いが止まらん」側に属していました。
そのホザキ野郎が、いわば敵前逃亡をしたのです。襲いかかるデンギーから同胞を見捨てて逃げ出したのです。タブーシが冷たく言い放つ所以です。
逃亡を図ったホザキ側にも、尤もな理由がありました。
デンギーのウィルスには複数の種類があるのだそうです。初めてデンギーに感染し発症した場合、それなりの熱は出ますが、寝ていれば大方の人は治ります。ところが二度目の感染で、困ったことが起きます。同じウィルスの場合は免疫があるので発症しないか、しても極めて軽症なのですが、違う種類の場合には重症になるのです。酷ければ死ぬこともあるようです。重症は嫌です。死にたくありません。河・さんが日本へと脱出した理由です。
「モリさん。あんたはデンギーになったら日本へ送還してもらえるから、好いですね」
タブーシは私の手当てが円建てであることを知っているので、河・さんと重ねて、そう言ったように聞こえました。少しばかり、申し訳ない気もしていたので、そう感じました。
 デンギーは人間が宿主とされています。ということは、本来相性がいいはずです。宿主と仲が悪いと、宿主が死んで、ウィルス自身の身が危うくなります。ではなぜ重症となる場合があるのか。これはデンギーのウィルス型間に縄張り争いがあるからではないでしょうか。自分が人間の体内に入る。人は若干の反応を起こすが、抗体を作り、次の感染は軽症ないしは発症しない。ウィルスにとっても安住の血となる。そこへ違う型が入ってくると、排除すべく人間に戦わせ、後続ウィルスの安住の血であることを妨げる。血の争いです。本当っぽい作り話です。デンギーは勢力圏の拡大に蚊を利用します。蚊はデンギーにかからないのか。もう一つの珍説を披露します。蚊はデンギーになります。しかし、潜伏期間より蚊本人の寿命の方が短いのでデンギーを発症したり、デンギーで死んだりしません。時に寿命が長い奴がいて発症して死んでも、誰も気付かないということです。
河・さんがうろたえて日本へ行ってしまった話を聞いても、私自身はデンギーに対する反応は鈍く、この度の代々木関連の方が気になりました。理由は、かの国で、蚊に刺された記憶が無いのです。街中でも蚊を見かけませんでした。路上市場、フェイラは結構ごみごみしていますが、そこでも蚊を見かけませんでした。とは言え、全く蚊に遭遇しなかった訳ではありません。季節になると、蚊が沢山でる所がありました。通勤バスです。蚊の乱舞がしばしばありました。窓ガラスにそばえる様に飛ぶ蚊を押し潰し、並べて数えました。記録は20匹でした。私が自分で始末した数です。他の同乗者は知らん顔しています。奇妙なのは、バスの中に蚊がいるのは出勤時だけで、退勤時にはいませんでした。夜中に駐車してある所に蚊の住処があって、一部がバスの中に入り込むのでしょう。朝、まだ眼が覚めていないのか、雄だけなのか、刺しにくる奴はいませんでした。それでも時には、潰した蚊の赤黄色い血が窓ガラスにべったりと付くことがありました。この時は、いささか気味悪くおもいました。ただ、窓にくっついた蚊はデンギーやマラリヤを媒介する熱帯縞蚊とは違うように思えました。熱帯の方はなじみがありませんが、一筋縞蚊、所謂、藪蚊は我が家の内外を飛び回っており、馴染みがあります。これだけ飛んでいれば、デンギーが日本中に蔓延するのではと思います。その藪蚊の勇姿に比べて、いささか窓にへばりつけられたかの国で見た蚊は貧弱でした。私に簡単に潰されるほど素早さに欠けておりました。縞蚊でないことを承知しているから、同乗者たちは知らん顔をしていたのかもしれません。彼らは本場の人達です。デンギーが流行るとかなり緊張します。その人達が気にしないのです。とはいえ、潰れた蚊からにじみ出た血が気味悪いのは、かの国がデンギー、マラリヤと並んでエイズの本場でもあるからです。
蚊には刺されませんでしたが、ブヨには多くの血を提供しました。職場であるC社の構内にはブヨがウヨウヨいました。何気なく腕を返すと、ブヨが血を吸っています。殺すか逃げられるかして、反対側に返すとそちら側に別の奴が食らいついています。食われた跡は、結構大きく窪んでいます。ブヨが穴をあけ、そこから滲み出る血を舐めていたようです。これを瞬間にやってのけるのです。食われたところは暫くして、猛烈に痒くなります。多い時には十か所位赤くはれ上がりました。奇妙なことに何個食われても痒いのは一か所だけという感じです。そこの痒みが収まると別のところが痒くなります。この痒みは数日間持続します。蚊よりも痒みの激しい奴に数多くやられていたので、時に蚊に刺されても気付かなかったのかも知れません。
一年ほどして河・さんはサントスに戻ってきました。デンギーの心配が無くなったからではありません。折から不況のさなかの日本では、いい仕事が見つからず、年金だけの生活では、笑いどころか、涙も出ない状況だったそうです。生活苦でくたばるより、笑ってデンギーでくたばる方を選んだのです。

では小噺を一つ。

調査報告書のスクープ

アサイチンブンが調査報告書のスクープ記事を一面に載せた。見出しは「30万の虐殺10万の強制連行」となっていた。この記事が世間を騒がせた。機密保持を盾に頑張っていたアアセイ・コウセイ省も、スクープされたとされる調査報告書を公開に踏み切った。

調査報告書
この度のデング熱騒動に際し、コウセイ省は関係者の事情聴取を行った。関係者の証言は以下のとおりである。

デングウィルス;
何処から、どうやって来たかはよく判りません。蚊に乗って飛ぶことはいたしますが、飛行機などというものはよく判りません。人間様には宿主としていつもお世話になっております。居候の身で家主を傷つけるなど、とんでもないことです。代々木公園へは何度か行った記憶があります。

ヒトスジ縞蚊;
仲間が刺した人間に、デングウィルスがいたのですか。私たちにとって、迷惑千万です。おかげで、多くの仲間が薬殺されてしまいました。え?30万匹かですか?イエ、何匹かは知りません。代々木公園にそんなにいますかネエ。まぁ30万だろうと300万だろうと、全滅した訳じゃありませんから、それほどご心配いただかなくても結構ですヨ。

人間某;

熱が出て病院で診察を受けたら、デング熱と診断されました。一緒に代々木公園に行ったのは5人です。公園へ行った皆さん、事情聴取されるのですか?そんなことをしたら10万人以上の人を調べるのですか。私はデング熱になったおかげで、ゆっくり休むことができました。助かりました。なにしろブラックに勤めているので、過労死寸前だったのです。ハイ。 (2014.10)

2014年9月6日土曜日

子ノタマワク
越中富山は毒消し元祖 唐との交易由来にて

えぇー、昔から論語読みの論語知らずということを申します。中には、論語読まずの論語知らずなどという方もいて、世間を憚っております。え? ハイ。私なんぞはその最たるもので、真に、その、あの・・・。今は町内で論語なぞ持ちだすと、鼻白まれることになりかねませんが、昔は長屋などでも論語の話が結構なされたようです。

八「ちわ!おぉ相変わらず暇そうじゃぁござんせんか」
隠「おぉ、八っぁんか、マアお上がり」
八「昨日、寄席へ行きました」
隠「おぉ、結構なことだな、一人でかい」
八「へい、厩火事てぇ話がありまして、孔子さまが出てまいりやした。時々ご隠居が、孔子さまがノタウチ回ったとか言っていたので、今日はご高説を聞こうということで・・」
隠「ノタウチ回ったじゃあなく、ノタマワクだ。厩火事といえば、八っぁんの・・八っぁんと言ってもお前じゃあない・・・ややこしいな。その髪結いの女房がモロコシだの麹町のサルだの言うあれだな」
八「そう、そぉでした。モロコシには偉い人がいて、この国にはサルがいる。その猿が実に情けない」
隠「厩が火事になって大事にしていた馬が焼け死んだ。だが孔子さまは馬のことは一言も言わず、弟子たちの様子だけをお尋ねになった。サルは茶碗が割れなかったかを心配し、奥方が怪我をしないかなぞ思いもしなかった」
八「その通り。なかなか、よく勉強したナ。」
隠「おほめ頂いてありがとう。馬の噺は孔子さまの話された事をまとめた論語に載っておる。」
八「大層詳しそうな様子だが、孔子さまとはお知り合いかなんかで?」
隠「カラカッチャアいけない。でもな、まんざら縁が無い訳ではない、ワシが通った学校は時習館といって、論語からとった名前がついている」
八「何ですか?あぁ、そこの同級生で?」
隠「二千五百年ばかりも昔の人だ。ワシはそんなに年寄りじゃあない。学而時習之・・学んで時にこれを習ろう・・としている」
八「時には勉強位はしろと、うるさい学校で」
隠「・・・まぁいいや。それから社会人になった時に入った寮が里仁寮と言ったナ。これも論語からとっている」
八「とっている!早えぇ話がパクッたナ」
隠「パクッたと言われると返答に困るなぁ。まぁ、ゆっくり話してもパクッたと言われりゃあ、そうだヨ」
八「大いに反省してもらいたい。今あの大国のやっているパクリをとやかく言えた義理じゃあねぇや。こちらの方がパクリにかけちゃぁ先進国だ。オホン!」
隠「ご尤もで。恐れ入りました。八公様」
八「素直に歴史認識をきちんとすれば、噺の続きを聞いても好いゾ」
隠「いやはや。歴史認識ねぇ。歴史認識と言えば、厩火事の載っている郷党篇に最近の出来事を孔子さまが予測したようなことが書いてある」
八「へーぇ、やっぱり偉い人なんだ。二千年も後の事をお見通しだったんだ」
隠「そう。孔子さまはスエて味の変ったのや、魚のくずれたのや、肉の腐ったのは、決して口にされない。色のわるいもの、匂いのわるいものも口にされない。煮加減のよくないものも口にされない」
八「随分ゴチャゴチャと言ってますが、早ぇ話が、古くて腐りかけた物とか落っことした物は食わないってことですか」
隠「そう。それと、季節はずれのものは口にされない。主君のお祭りに奉仕して、戴いた供物の肉は宵越しにならないうちに人にわけられる。家の祭の肉は三日以内に処分し、三日を過ぎると口にされない
八「さすがは大国。そんな昔から賞味期限の考えがあったんだ」
隠「そう、ちゃんと弟子たちに食品の衛生管理について説いているのだ」
八「ご隠居。少しおかしくありませんか」
隠「何が?」
八「孔子さまはそういったものは食わなかったって言っているだけでしょう」
隠「うん?」
八「食うなとか、きちんとしろとか言っている訳じゃぁないでしょう」
隠「孔子さまは自分が実践して、弟子にお示しになることもある」
八「判った。福喜食品ってのが何千年も前にあったということだ!」
隠「福喜食品?何だ?・・・・あ、あれか」
八「そう。あれ。腐った肉やら・・他にも毒入りのクイモノ」
隠「ウゥン。そう言われりゃぁ、お前さんの言う通りかもしれんな」
八「そういうことは、さすが歴史大国。福喜食品は老舗中の老舗なんだ。これぞ悠久の大国と言うやつで」
隠「そうよなぁ。八っぁんは鋭いな」
八「うっふん!まんざらでもねぇって事よ」
隠「お!そっくりかえったな」
八「おかしな会社があっただけじゃあない。偉い、エライお方の前に堂々と腐ったものが出されて、腐っているのに気づいた孔子さまは食わなかった」
隠「食わなかった」
八「他の連中は食っちまったのか?」
隠「死ぬことはないと思っていたのかもしれない」
八「孔子さまってえのは、聖人君子とされているんでしょう?おかしいヨ。弟子たちが食べて腹痛起こすのは気にもしなかったんだ。自分だけ食わないってのは気に入らねぇ。食品衛生法なんぞはなかったんで?その食事を準備した奴らを懲らしめなくてはいけない」
隠「八っぁん!そうはいかない」
八「何で?」
隠「孔子さまはこう言われている。秩序を維持するのに法律一点張りでは、道徳観が地に落ち、法律に触れさえしなければ何をしても好いと、民はそれから逃れる方法を編み出すといわれている」
八「脱法ドラッグの元祖か?」
隠「旨い事を言う」
八「いえいえ、これしきの事」
隠「徳と礼を持ってすればそうはならないとナ」
八「トクとレイですか。損得を考え、旨くやるためにはお上にお礼をする。賄賂の元祖ですネ」
隠「困ったな。賄賂なんぞは悪いことで、孔子さまがお勧めになる訳が無かろうが」
八「お勧めにならなくても、損得勘定と賄賂は常識のようですよ。虎と蠅、おまけにテロが一杯だそうで。お上は、ここ一番、そいつらを叩き潰すなどとキツイことやってますヨ。孔子様の教えはどうなっちゃいました?」
隠「うぅぅぅん」
八「ウイグルもチベットも秩序を維持するためにコテンパンに刑罰を科されています。現代中国の偉い人は論語を学んでいないんで?」
隠「うぅぅぅん。そう暑くなりなさんな。八っぁん少し時間をやろうよ」
八「時間が立てば論語を勉強するの?」
隠「そう、今の国家主席は習近平だ」
八「それがどうした?」
隠「好く見てみろ。近々習う平にご容赦と書くではないか」
八「・・・く、苦しいぃぃぃぃ・・・・・」

毒を盛らなくても、傷めつけられるようで。テケテンテンテン・・・・・・お後が宜しくなりますように。(2014.9)

2014年8月6日水曜日

戦後偏向教育
丸くて赤いは気に入らぬとて四角四面を赤く染め

多くの日本人は、戦後の偏向教育をうけて平和ボケしている。石原慎太郎さんあたりがその説の急先鋒といえよう。小学校の転校について書いていて、私はその偏向教育なるものを受けたという記憶が思い浮かばなかった。勿論、教育なるものは、何を記憶し何を理解したかなどを覚えているものではあるまい。結果としてそれが血となり肉となってこそ真の教育なのだ。だとすれば今現在の己の内外にある姿形にその痕跡が宿っているだろう。少し考えてみよう。
戦後偏向教育なるものは、日教組により支配された先生方によってなされたとされる。その日教組は大きな組織を誇っていた。私の記憶に残っている、あるいは消えてしまった先生方の殆どが日教組に入っていたはずだ。そういえば、あの先生がという思いが蘇りそうなものだ。経年劣化の所為か、一人として思い浮かばない。残渣の象徴が国旗「日の丸」の掲揚反対、国歌「君が代」斉唱反対である。TVニュースなどを見ていて、学校行事で「君が代」が流れても席に座ったまま、頑なに立とうとしない先生の姿は異様と言うより、滑稽にすら見える。その人達に対して、東で石原さん、西で橋本さんが処分を持って戦っていた。日教組も組織と力が著しく衰えたとされる今でも、知事が本気で戦っているのだから立派なものだ。それでも昔、絶大なる組織力指導力を持っていた日教組傘下の先生方から、「日の丸」「君が代」ハンターイの声を聞いた記憶が無い。先生の顔が思い浮かばない。
教科書の一部を墨で塗りつぶして使った記憶はある。都合の悪い外国のTV放送を真っ黒画面にしたり、インターネットの接続を遮断したりしてしまう今の中国よりは可愛い規制だ。おまけに塗りつぶしは、先生の指導、指図の下で生徒が銘々筆をとった。だから、教えてはいけないこと、教わってはいけないことが判った上で授業が進められた。GHQの方針が、先生にも生徒にも大層理解しやすい、授業方法だった。隠し事などは無い。塗りつぶす前が戦前偏向教育、塗りつぶした後が戦後偏向教育ということだ。戦後の部分はGHQが先駆けとなって、日教組が利用追随したのではなかろうか。
家の先に掲げられた「日の丸」、それを折りたたむ収納の記憶がある。戦時中の事だけなのだろうか。「日の丸」に関しては戦中戦後の分離が難しい。
「君が代」は戦中にとどまらず、戦後もなにがしかの機会で唄っている。それがどういう時であったかは確たる覚えは無い。歌として覚えているのだから、習ったはずだ。歌を習うのは学校でしかない。その時代にはカラオケは勿論、歌声喫茶もない。学校で習ったのなら、教えた先生は非組合員だったのだろうか。もしかしたら、幼稚園か終戦直前の国民学校一年生のごく短い間に習得したのかもしれない。「教育勅語」は少し怪しげなところはあるが、未だに暗記している。節の付いている短い「君が代」は忘れようがない。
忸怩たる思いがある。中学生の頃だ。自衛隊の車両に出会った。警察予備隊から保安隊を経て発足間もない自衛隊だ。隊列を組んでいたのではない。豊川にあった海軍工廠跡地に作られた自衛隊の基地のものであろう。あまり目立たない、というより目立たないようにした、一台だけの車両だった。その時の記憶が宜しくない。彼らを戦争する人間と捉えて、見下す気分があった。隣の国、朝鮮で戦争があっても日本人は戦争をしない。戦争に行かなくてもいい御身分になったのに、何を好き好んで自衛隊員(兵隊)などになったのか。戦争が好きなのか。表現が旨く出来ないが、大体そんな気持ちで彼らの姿を見た。今にして思えば、やはり戦後のいわゆる偏向教育が身に染みついていたのだろう。「兵隊さんのおかげです」とか「兵隊さんよ有難う」とは全く思わなかった。やはり慎太郎風にいえば「戦後偏向教育に毒されていた」のだ。「教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス」である。
自分は日教組に加入していると言った先生は一人もいなかった。日教組で知っている名前が一人だけある。槙枝元文さんだ。日教組が最強の時の委員長だ。「世界で尊敬できる人物は金日成。正日は信頼できる」と宣っていた人だ。今では、多くの日本人がこの言葉に賛同はすまい。当時は世界の平和を守り、人民を楽園に住まわせる、あの国の指導者を知り、尊敬できるか否かを話せるのは偉い人だった。その筋金入りの方が「真理の教育を掲げ、教員組織により自律的、集団的に決めた方針によって指導」したのだ。確固たる信念の持ち合わせもない私ごときが、確信的方針に基づいて行った教育にはまり込まない筈が無い。それを受けたと気付かれずに、知らず知らずに脳にしみこませてしまう。施す側から見れば、究極、至上の教育だ。洗脳という言葉があった。
 「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うと戦前の軍国主義につながり、平和国家としての日本再生を損なう。そして、平和を唱え、弱者の救済を叫べば、世の中は平和で皆が豊かな生活ができる。
私が戦後偏向教育を受けた記憶が無いと思っているのは、この人たちの主張に賛同しがたいと思っていたからかもしれない。人の言うことを素直に受け取らない、曲がった性格がそうさせたのか。教育を受けていても、曲がったヘソが受け付けなかったというところかもしれない。いやなガキだと思われていた可能性は否定できない。彼らの主張は科学的であるソウダ。科学的であるが故に、これに反対するものは勉強不足を露呈し白状している馬鹿なのだ。「オクレテル」そういう言葉の記憶がある。「オクレテル」なのだから、進歩的でない訳だ。そういう言葉があったのだから、進歩的なる教育があったのだ。お前は勉強をしない、怠け者だと思われるのが嫌で、そんなことは習っていないよと逃げているのかもしれない。
「日の丸」も「君が代」も、結構見聞きしていた記憶がある。テレビだ。今のように終日TV放送が行われていない頃、NHKが放送終了時に「日の丸」の翻る画面をバックに「君が代」を流して、当日の放送を終了していた。尤も白黒テレビだから、日の丸は白地に赤くではなく、黒くではあった。それが終わると不鮮明な白黒のボツボツが流れる画面になり「シャー……」という音が聞こえた。あれはその画面が放送されていたのではなく、電波が途切れるとそうなったようだ。今のテレビにはそういう画面が映らない。
TV画面ではなく、生で「日の丸」と「君が代」の演奏を聞いたのは、もう10年以上前のことだ。ブラジルに居た時のことだ。私を派遣していた会社と派遣を受けていた会社の技術協定が結ばれ、その調印式典があった。そこで両国国旗の掲揚と国歌の演奏がなされた。ブラジル国家は勇壮で、日本国歌は厳かであった。いいものだナと思った。
近頃では、ワールドカップなどを見ていると「日の丸」の旗が打ち振られているし、「君が代」は大相撲千秋楽の表彰式で演奏される。先日、白鵬も斉唱していた。横綱がモンゴル人ばかりだと嘆く人がいるが、君が代を歌ってくれているんだから、好いんじゃあござんせんか。「日の丸」も「君が代」も絶滅危惧種にはなっていない。偏向教育の影は薄くなってきたのか、功を奏していないのか。
日教組は一敗地にまみれたのか。GHQは日本を去ったのか。
考えてみると、「日の丸」の旗は家にない。私は持っていない。近所でも、国旗を掲揚する家を見ない。正月になれば、門松を立てる。門松などという大げさなものではなくとも、百円ショップで買ってきた注連縄とお札を玄関先に飾る。飾る行為、風習が無くなったのではなく、国旗が家に無くなっている。NHKの放送終了時の「日の丸」も「君が代」も近頃は見られない。卒業式で「蛍の光」「仰げば尊し」を歌わないとのことだ。好い文句とメロディーの曲なのに。
やはり偏向教育は絶滅危惧種になっていない。誰か絶滅防止対策をとっているに違いない。
戦後偏向教育は受けた記憶はないが、一部刷り込まれている可能性がある。私だけでなく、多くの人が似たような状態に育成されたのだろう。
戦後偏向教育のおかげによる平和ボケかどうかは別にして、我が日本は平和を世界で一番享受している国の一つであることは間違いない。有難いことだ。

それでは小噺を一つ。

虎か蠅か

21世紀も時がたったころ、習近平があの世に召された。早速、毛沢東を訪ね、到着の挨拶をした。
習「お久しぶりでございます。この度、こちらに参りましたので、生前同様によろしくお願いいたします」
毛「おぉ、習というのか。よくきた。早速だが、わが国の事を話してくれ」
習「はい。主席が亡くなられて後、鄧小平先生の強力なご指導で、発展の端緒を築きました」
毛「ウゥン。あの鄧がか?どうもあいつは気に入らん。近くに来ても挨拶にも来ない」
習「そのおかげで、今や美国を抜いてGDPは世界一になりました」
毛「ナヌ?GDPが世界一?伝統とはいえ、言い方が大げさすぎはしないか」
習「本当でございます。ただ、経済発展につれ、党の規律が緩んでしまいました。何千万元という不正蓄財をする幹部まででる始末です」
毛「何千万元?国家予算ではないか。何千元の間違いだろう」
習「いえ、何千万元です。ほっておくと共産党の足元が掬われます。そこで綱紀粛正を図りました」
毛「綱紀粛正?あぁ、紅衛兵を使っての文化大革命か!パクッたナ」
習「イエ、イエ。虎も蠅も叩きのめすと宣言して、自らやりました」
毛「虎は怖い牙があるし、蠅は数が多い。ワシは蚊も蠅も北京にはいなくなったと日本人をタブラカシタがノウ」
習「騙したのではなく、ちゃんとやりました」
毛「どうやったのか?」
習「虎には美国資本の工場で腐肉を造らせ、それを食わせました。蚊と蠅はPM2.5を撒き散らし絶滅いたしました」
毛「好!精神的でなく、肉体的攻撃か。ところで、お前はまだ若そうだが、こちらに来てしまったのは腐肉を食ったのか、PM2.5を嗅がされたのか?」

(2014.8)

2014年7月6日日曜日

転校
やなことは思い出すたび腹が立つ思いだせなきゃなお腹が立つ

なにがしかの不調をおぼえ病院に行く。どのお医者様も似たようなことを言う。
「少し値が高いようです、少し何ですかねぇ。まぁ、年相応ですよ。薬を出しておきます。大丈夫でしょう」
そう言われる歳になっている。未来に生きるより、過去に生きる歳だ。それなのに、その過去についても少し前には覚えていたことを、ある日、ある時を境に思い出せなくなってしまう。今思い出せることを何ヶ月かで出来なくなるのは悔しいから、なんとかもがいて思い出してみることとする。
思い出す対象は小学校。もう六十有余年前の事だ。
私は小学校を4回転校している。4つの小学校へ行った。疑問を感じる人が何人かは居よう。転校が4回なら、5つの学校に行っているはずだ。その通り。延では5つの学校へ行ったが、1つの学校へ二度行っている。さらに厳密に突っ込まれることを思って、あらかじめ弁解をしておく。小学校、国民学校それぞれは2.5校である。学校名は順に「新川国民学校」、「下地国民学校」、「牛久保国民&小学校」、「下地小学校」、「福江小学校」だ。二番目と四番目が同じ学校だ。
四回転校するということが、戦争をくぐった世代としてはそれほど珍しいことではないのかもしれない。
入学は豊橋「新川国民学校」、ピカピカの一年生。昭和20年、終戦の年である。
現在住んでいるところから1Km程のところにある。覚えていることは二つ。一つは教育勅語。奉安殿から恭しく持ち出された教育勅語を校長先生が奉る。覚えているのは校長先生ではなくて、校長先生がしていた白い手袋だ。二つは訓練。軍国の小国民は隊列を組んで登下校をした。その時、隊列、分団にかかわる使役の訓練があった。内容がどのようなものだったかは記憶にない。一年生は「おみそ」でその使役が免除されていた。嬉しい免除だった。凄く助かった、好かったという安心感のようなものがあった。同時に使役を免れた後ろめたさが未だに心に残り、使役に就いている上級生達を横目で見ていたことを覚えている。授業とか教室、先生や同級生の記憶は全くない。6月に豊橋は空襲を受け、家は焼失した。この学校へは二ヶ月しか行っていない。それも警戒警報のサイレンが鳴ると家に帰らされていたから、ほとんど何もしなかったのだろう。
焼け出されて、親戚に世話になった。そこも同じ市内で空襲を受けて焼失していたが、焼けたトタンを利用した掘っ立て小屋に同居させてもらった。難民キャンプのTV映像を見ると、俺たちもそうだったなぁと思う。その時の学校が「下地国民学校」だ。
「戦争は止めることになったそうだ」ラジオは無かったし、新聞なんぞはとっていない。情報はすべ口伝えだ。「なんとか・・・だそうだ」という「そうだ話」だった。敗戦と言わず終戦という言い逃れが、口伝えでもなされていた。取りあえず戦争は終わった。その直前、1週間前に父親が戦死した。この学校で終戦をまたいだが、それほど長くはいなかった。ここでも先生や同級生の記憶は全くない。覚えているのは、トタン板を船状にして、焼け跡の瓦礫を積み、縄で引っ張って運んだことだ。ここでは使役に従事した。レンガ色に変色した瓦欠けを運ぶ使役だけの記憶は、寂しい限りだ。学校は焼け落ちて何もなかった。その年のうちに牛久保へ引っ越した。
「牛久保国民学校」これが三つ目の学校だ。暫くして「牛久保小学校」に改名した。牛久保町は隣の豊川市にある。ここが学校としてのスタートのようなものだ。ここで三年余りお世話になった。先生の顔を薄ボンヤリとしているが覚えている。名前を覚えている。一人は天野先生。もう一人は白井先生だ。天野先生は、小学校生活の中で先生と呼びたい先生だった。何がそう思わせるのか。具体的な記憶はない。私の事だから、大いに迷惑をかけ、その面倒を見てもらったのだろうと思う。白井先生は学校を出たばかりの女の先生だった。天野先生について見習いをしていたようだ。この先生の事で覚えていることがある。思うに、それは先生の初任給だったのだろう。ソフトボール用のバットとボールを買ってくれた。バットが頭の中にある。白木で焼印が押してあった。先端部分が少しけばだっていた。太めのバットだ。生徒何人かと一緒に豊橋まで買いに行った。当時の先生の初任給はどの程度のものだったのだろう。隣のクラスにも女の先生がいた。そのクラスで、達磨さんをやっていた。「達磨さん、達磨さん、睨めっこしましょ、笑うとまけよ、アップップ」というやつだ。そこで「アップップ」を「ワンツースリー」とやっていた。小国民の意識が残っていたのか、何らかのインプットがあったのか、この「ワンツースリー」が不愉快だった。アメリカかぶれしやがって。そう思った。隣の組の先生より白井先生の方が上だ。隣のクラスに勝った。誇らしい気分がした。
牛久保では市営住宅に住んでいた。これが居住者に払い下げられた。その結果そこを立ち退くことになった。買う金が無かったのだと思う。しかし母親はうまくやった。これを購入し売り払った。当時小さな家一軒がどのくらいしたものか。市からは格安で買い、買い手には市価相場で売ったのだろう。
そして再び「下地小学校」へ戻った。市か何かが運営する母子寮があり、そこにお世話になった。出戻った「下地小学校」そのものには一つとして記憶が無い。寮での生活では何人かの遊び友達に記憶がある。年上の人だ。一人は5×3の九九を「ゴサンがロク」となってしまう六年生のさんちゃん。オールドブラックジョウを英語で唄って、生意気だと叱りつけられた一つ上のお医者さんの子、オグラ君。九九を上級生のさんちゃんに教えていたのだし、オールドブラックジョウを英語もどきで唄ったのだから、学校に行っていたのは間違いない。二度転入した「下地小学校」だが、合計在籍期間は1年前後でしかない。短いから記憶が無いのか、何も記憶に残る出来事が無かったのか。学校に関しては完全な空白である。
四年生の初め「福江小学校」へ転校した。渥美半島の西部にある町だ。車で一時間ほどかかる。今は田原市になっている。ここに母親が職を得た。
転校に際して心掛けたことがある。転校も五校目となるとそれ相応のノウハウを身に着けていた。豊橋、豊川は文化圏としての差はあまり感じない。方言もほぼ同じだ。当時の渥美半島は少し違っていた。多分海を通じて、知多半島乃至は少し離れて伊勢地方との交流があったからだろう。気性的にも豊橋は百姓であり、渥美地方は漁師的な感じがした。「・・・だろう。・・・だ」と言うのを豊橋では「・・・だら。・・・じゃん」これを「・・・だが。・・・だがや」と言った。
転校生は先々の文化?に溶け込まなくてはいけない。学校の文化とは何か。遊びである。遊びには流行り廃りがあり、豊橋地方で流行っていたからとて、渥美半島で流行っているとは限らない。流行り廃りが生ずる原因に学校の干渉がある。流行りだし、それが先生の目にあまり始めると「明日から学校へ持ってくるな」と先生から言われる。陰に隠れてやっていると、バレる。バレると怒られる。その怒られ方で、流行りは突然廃りに至る。
「メンコをやろう」転校した時、豊橋で流行っていたメンコが、福江では流行っていなかった。私は「メンコ」と言ったが、豊橋では「パンパン」と言った。戦後の流行語である売春婦の事ではない。アクセントが違う。字で表せば「パ」である。何故かしらこの「パ」は豊橋地方の方言で、福江では通じないのではなかろうか。理由は判らないが、そう思った。「メンコ」は標準語だ。標準語で話せば通じる。話しかけられた相手は言った。「・・メンコ?・・」標準語が通じないのかと一瞬思った。「あぁ、パンキーな」通じた。「うん、パンキーやらまいか」郷に入れた。そう思った。郷に入るための処世術は小学校の時に養われたに違いない。その後の成長、変化の過程で役立ったものと思っている。
「福江小学校」では、イジメにあったり、一日中立たされたりしたことは、二年ほど前に「いじめ」で書いた。その時、一日中立たした担任の先生の名前は忘れたと書いたが、このたび思い出すことに成功した。鳥居先生だ。顔の方は鮮明に覚えている。ひょいと名前が浮かんできた。思い出したくなくて、忘れていたのではない。思い出そうと刺激し続ければシノプシスが繋がることもあるのだ。数学の証明問題を解いた時の快感と同じ気分がした。嬉しかった。もう一人、先生の名前を思い出した。大谷先生。これは音楽の先生だ。音楽だけは担任でなく、音楽の先生が教えていた。担任以外で名前を覚えているのはこの先生だけだ。多分。これは後付けかもしれないが、大谷先生の名前を覚えているのは、担任からの逃避が音楽の授業の時だけ出来たからではなかろうか。くだらない情けない。音楽は好きだし、歌を歌うのも好きだ。だから覚えているのだ。そういうことにしよう。わざわざ歴史を遡って、己を下卑することもない。
ここの同級生は中学校も一緒だったこともあり、思い出そうとすれば、何人かの人数が可能だ。
転校を重ねたのだから、多くの先生、多くの同級生とかかわったはずだ。しかし期間が短かったことと、その後の交流がほとんどないことで、記憶の外に押しやられてしまっている。私の記憶にないだけでなく、彼らの記憶にも残ってはいまい。その後の交流が少ないのは、中学から同じ高校へ進学したのが一人、高校から同じ大学に進学したのも一人。順を追って関係が薄くなった。今親しくしていただいているのは、高校の同級生、大学の同級生、会社の同期生、それぞれの先輩後輩の方々が大部分だ。そういう意味では私には故郷の地はあるが、幼馴染はいない。ガキの頃の馴染みがいない。振り返ってみて、人生のかなり大きな欠陥、欠落ではないかと思う次第である。


 開催前は設備がどうのと心配されましたが、コッパ ド ムンドは予定通りに行われているようです。これを祝して、日伯にかかわる小噺を一つ。

天国の経済

ブラジル人と日本人の友人が一緒に身罷り、天国へきていた。しばらくして一緒に食事をした。日本人は寿司、ブラジル人はフェジョワダを食べた。食べ終えて銘々が支払いを窓口でした。
日「お幾らですか」
窓「寿司ですね。5百円です」
日「はい、有難う。5百円」
伯「お幾らですか?」
窓「えぇと、フェジョワダは5ヘアルです」
伯「ハイ、オブリガード」
日「同じ5でも、円に直せばお前の方は230円ほどだ。俺の方が高い。寿司が高いのか、日本の物価が高いのか?」
伯「ここでは母国の通貨で、お金を貰っているのだから何か関係があるのかもしれないナ」
天国ではそれほど腹が減るわけではなく、しばらくご無沙汰していた。久しぶりに、飯でも食いながら話をしようと二人揃って、同じ食堂へやってきた。
日本人は寿司、ブラジル人はフェジョワダと、前回と同じものを食べた。
日「お幾らですか」
窓「525円です」
日「おや?前より高くなってますね」
窓「はい、値上がりと消費税増税の分が高くなりました」
日「ほぉ、そういうことですか」
伯「お幾らですか?」
窓「8ヘアルです」
伯「ハイ、オブリガード」
日「そちらは酷い値上がりだナ。いったいどういうことだ?」
伯「何で?物の値段が上がるのは天国では当たり前だヨ」
(2014.7)