はじめに

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2018年10月6日土曜日

閉店


閉店



先祖代々永らえて栄えし者の誇りでも

のれんで手を拭く足も拭く



この八月末に篠嶋屋が閉店した。篠嶋屋というのはこの界隈では結構名の通った老舗のうどん屋である。閉店の理由は、近頃はやりの後継者難のようだ。七月末頃に「都合により暫く休業させていただきます。・・・・店主」の張り紙がしてあった。それが八月半ばになって「永年ご愛顧いただき・・・八月三十一日をもちまして閉店させて・・・・店主」に代わっていた。

「エビくずし、みそ煮込み」と大書された看板が寂しげである。

この店で私が一番だと思っていたのは「にかけうどん」である。「にかけ」なる物はあまり他所では聞かないが、世に言うところの「かけうどん」に毛が生えた程度の代物である。刻んだネギと油揚げ、それに二枚ほどのかまぼこが入っているだけだ。世の中、贅沢になってきたのと、店としても客単価を上げないと経営が成り立たない。安い「にかけ」から世の流れに対応して「エビくずし・・」を正面に出してきていたのだ。

近頃あまりお邪魔したことはなかったが、ほどほどに繁盛しているようだった。

店の前を通ると鰹節の出汁の匂いがし、「にかけ」の味を呼び起こした。店内はそれほど広くはない。混み合っていると「相席でお願いします」と空いている席に詰め込まれた。運ばれてきた「にかけ」の丼は下がテーブルに触れる前に手から離れ、若干のバウンドをしながら着地する。それでいて汁が飛び跳ねることはないという離れ業がしばしば披露されるほどに混み合っていた。このところは、そういった離れ業は見られないようだから、少し客数も減っていたのかもしれない。

「あっちが痛くなり、こっちが痛くなりで・・そろそろ」という話は聞き及んでいた。

きょうだいで店は運営されていた。年格好も似たようなものだ。身体的に「あっちが痛くなり、・・」は全員が似たような時に起こり始める。後継者がいない理由は定かではないが、いないのだ。仕切役がちょっと体調を崩した。残った人達だけでは店は開けない。治るまで暫く休んで様子を見よう。時が経っても体調が回復しなかったのか、もう止めようという結論に至ったようだ。休業から閉店へと変わったお知らせが、この間の何とかしようという気持ちと、やはりいけないと言う揺れが表れている様に思われる。

この篠嶋屋から道路を隔てて少し行ったところに清和園という中華料理屋があった。小さな、言い方は悪いが、小汚い店だった。あったとか、だったと言っているように、今現在は「貸物件・・×××不動産」と書かれた看板が入り口に張ってある。

この店に似合ったおじさんが一人で取り仕切っていたから、跡継ぎがいなかったのであろうことは容易に想像がつく。この店の大家さんが少し前に遺産相続で変わった。大家さんには後継者がいた。その際に、辞めるまでは引き続いて同じ条件で使うことで合意した。辞めるまでというのは、本人が辞めるということで、誰かが引き継ぐと言う場合が含まれていない。後継者がいないことを双方が認識しての合意だ。その話を聞き知っていたので、しばらくは店を続けるものと思っていた。

もう一年以上前のことになる。市電を降りて札木通りと言われる道を歩いて行くと、夜十時過ぎなのに清和園の前の歩道に20人あまりが座り込んだり、並んだりしていた。JRや名鉄を利用するとき豊橋駅への往復は徒歩だ。その日はたまたま、駅から札木の電停まで市電を利用した。この時刻、この界隈に人がいるのは珍しい。大人だけではなく子供も何人かいた。彼らをよけるために車道を歩いた。歩きながら聞こえてきた言葉が日本語ではないようだった。これはいいことだ。この札木通りを少し進むとキンシーズというホテルがある。このホテルは中国人観光客が利用している。彼らが夜食を食べに来ているに違いない。毎日観光バスが何台も止まっている。これはいい客をつかんだものだ。清和園は安泰だ。

明くる日の新聞を見て、この認識が間違っていることが判った。三河版に「清和園が昨日をもって閉店した。閉店を惜しむ客が大勢来店し夜半まで最後の・・・」という記事が写真付きで載っていた。惜しむ客は中国人ではない。日本人だ。安泰であろうはずはない。聞こえてきた声は日本語だった。薄暗い道路上で人々の姿形は見えにくい。眼は疎くなり人の見分けが付きにくくなっている。当時、まだ自覚症状はなかったが、今にして思えばこの頃から耳も不調になってきていたのかもしれない。話している声が聞き取れなかったのを、中国語としてしまっていたのだ。

清和園の安泰に期待を込めたキンシーズも、実は後継者不足を再度経験して今日のキンシーズに至っている。キンシーズは我が家の向かいにあるホテルだ。

ここの前身はフレスノというホテル兼レストランだった。利用客は結構多かった。ホテルには用がないが、レストランは時々利用させて貰った。ホテルはビジネスホテルであり、レストランもほどほどの程度の物ではあった。私たちが利用するのに相応しかった。料理長と時々道端で顔を合わせ、世間話をした。何やらいう野菜の茎を加工した漬物を頂いたこともチョクチョクあった。ここの経営者は市内にいくつかのレストランなどを持って、幅広い経営をしていた。ところが突然ご主人が亡くなり、奥さんが引き継いだ。幅広く商売をしていたのが徒となったのか、奥さんを手助けする人もいなかったらしく、4年ほど前にすべてを手放し、フレスノも閉店してしまった。

このフレスノには前があった。福月という割烹旅館だった。白壁の塀を巡らせた店で、私風情がお世話になる雰囲気の店ではなかった。もう20年以上前、前世紀のことだが、やはり後継者がいなくて売りに出されフレスノの手に渡った。白壁は取り払われ8階建てのビルが建てられて、ビジネスホテルとなった。

福月、フレスノともに後継者不足が引き金となって閉店している。結構規模が大きくても家族経営だと後継者についてはどうにもならないようだ。

後継者不足による閉店がジンクスになりそうな感もあるが、キンシーズは株式会社だから大丈夫だと思われる。

キンシーズ開業にあたり責任者の方が近所に説明して廻った。建物本体はそのままで、内部の改装のみをしてホテルとして使う。主たるお客は中国人観光客である。一般客も扱わないわけではない。

オイ、オイ、オイ!

当時から中国人の行動については聞き知るところとなっていた。処嫌わず、大声でしゃべる。痰唾を吐く。ゴミを捨てる。とんでもないところで、放尿はおろかウンコもする。数限りない悪行三昧。

率直に質問をした。管理者の曰く、保証することは出来ないが大丈夫です。彼らはここには一泊するだけです。夜遅くバスで到着して朝早く次の目的地に出発します。

営業が始まって2年ぐらいになるが、心配していたような現象は起きていない。確かに彼らは夜遅く着いて朝8時頃には発っていく。毎朝彼らに出くわす。大声も痰唾も目にしない。結構若者が多く、スーツケースを引いて三々五々バスに乗っている。時には「オハヨゴザマス」など挨拶をする人もいる。出発準備中のバスの運転手に聞いてみた。やはり彼らは東西、中部の空港から直接ここへ来たり、東京周辺、京大阪見物をしたりして夜半に来て一泊し、次の目的地に行くとのことだ。このお行儀なら、爆買いとは行かないまでも、是非近隣諸店をご利用頂き、いくらかでも衰退都市の活性化に寄与してほしい。そんな勝手な思いを抱き始めていたので、清和園閉店の時彼らが夜食に利用していると思い込んでしまった次第だ。

台風21号で関西空港がやられてから1週間ばかりはバスの台数はかなり落ち込んだ。今は元に戻っているように思われる。

中国人も少子化で人口減少が懸念されているが、日本旅行を満喫し是非訪日後継者を育ててほしいものだ。そちらの後継者不足での閉店に追い込まれることは何とか無いように。



では小噺を一つ



優位性



中国の学校で授業が行われていた。

中国の制度が優秀であり、共産党の指導を受けた人民もいかに優れていて富んでいるかという愛国教育をしていた。

先生「ここで、以前は我が国の前をいっているとされた日本の実情についてお話しします」

生徒「日本へ旅行した人達は、日本は親切できれいな国だと行っていました」

先生「それは外面的な話です。内情は厳しく酷いものです。先日二ヶ月近く行方不明になっていた脱走犯が捕まりました。万引きで見つかったそうです」

生徒「知りません」

先生「居なくなった時は日本中が顔とヒダ ジュンヤの名前を知り、有名でした。捕まった時には、やっと思い出すほどに忘れさられていました。人民の一人が行方不明になっても、国が探し出せないのです。国の制度が劣悪で、政府も人民も冷たい、情けない国家です」

生徒「先生!我が国でもファン ビンビンさんが何ヶ月も行方が判らないということを聞きましたが?」

先生「ファン ビンビンさん?女優の?」

生徒「はい!」

先生「それはデマです。我が国を中傷するために作られた、悪質なデマです。人民の一人一人を大切にする我が国政府、公安は彼女の消息を完全に掌握しています。・・・ほら!脱税で追徴課税が課されるというニュースがありました!」

生徒「好!素晴らしい!」

先生「好いですか。彼女の課された追徴金は8.8億元です。日本のヒダが捕まったときの万引き額は8元にも満たない額です」

生徒「・・・!・・・・!」

先生「行方不明者の話一つをとっても、我が国の制度が優れ、人民がいかに富んでいるか判ります」

2018106