はじめに

●●●

2015年12月6日日曜日

理不尽なお話;おきゃあせ
タワケタことを言やあすな
チョオラカシちゃあいかんがね オキャアセお前にゃ用はない

ノホホント暮らしてきた程度に合わせるように世の不具合に遭遇してきました。先月号では税務署という世の中ではかなり怖い官へ精一杯の物言いをいたしました。今月は民へのものです。勿論愚痴です。それもプチグチ。理不尽などというタイトルは誇張も好い所で、世の中のお役に立つようなことは一つとしてありません。所謂屁の様なお噺です。屁は臭くて世の人を不快にさせますが、匂いもなさそうなお噺です。前置きが長すぎます。
「おきゃあせ」という言葉が名古屋地方にありました。過去形で申し上げているのは近頃聞く機会が無いのか、話す人がいなくなったからか判りかねますが、とんと耳にしません。
私が生まれ、今住んでいるところは三河地方です。当然ながら三河では尾張弁は聞けません。「おきゃあせ」は名古屋、尾張地方の言葉です。これが名古屋弁なのか尾張弁なのかも定かではないのです。「やめときなさい」と言う意味だと認識しております。
昔、尾張の殿さまで徳川宗春という方が見えました。将軍になった吉宗公に対抗してか、逆らった政策をとったそうです。お蔭で名古屋文化が東西に無い文化を発展させたということです。「おきゃせ」は流れに逆らう精神の名残かと思います。
「おきゃあせ」は止めておけという意味だと言いましたが、インパクトのある使い方としては、物の売買の時に使われます。それも商人同士の売買ではなく、店先での店員とお客の間で使われます。
「こりゃ何所の品でゃぁも、チイともいいとこありゃせんがや」
「あっちのもんだで、好いに決まっとろうが」
「高きゃあなぁも、まぁすこしまけときゃぁ」
「おきゃあせ」
なにせ尾張弁に精通していませんので、脇からお小言を頂きそうです。客が品物にケチをつけ、値切っているつもりです。それを店員が好い品物だ、負ける訳にはいかない。買っていただかなくて結構です。店員としましたが、大方は店主でしょう。
お客様は神様です。そう祭り上げられて久しくなります。私なんぞは一方的に神様側です。尤も福の神か貧乏神かは知るところではありません。今では、買い手がすっかり自分は神様だと思い込んでいますから、売り手がそれに逆らおうものなら大変です。少し前までは売る側に元気と格調がそれなりにあったのです。特に名古屋地方には、売る側は売る側、買い手は買い手の矜持があり対等に渡り合っていたようです。
「おきゃあせ」は実はかなりきつい言葉で。「やめておきなさい」などと言う軽いものではないようです。「気にいるいらんはお互い様だ。買ってもらわなくて結構だ。さっさと帰ってくれ」位の意味合いがありそうに思われます。そうですネ。ネイティブ尾張の方の助言が必要です。これだけきついと、お客様至上主義体制下で生き残ることは難しいとは思います。
「おきゃあせ」死語化の第一歩は、名古屋地方に大企業が進出ないしは成長したことにあるように思います。売り手買い手の関係は、店と客だけではありません。下請けと大企業との関係はもっと鋭角です。その時期、私は買い手側に居たので、売り手側に居た人の見解を伺いたいと思います。「おきゃあせ」なんぞと言おうものなら、さっさと仕事は引き揚げられてしまいます。
第二歩はインターネットなるものです。あの店は「おきゃあせ」と言ったなどとケチをつけられようものなら、たちまち情報が広がり、お店は潰れてしまいます。「おきゃあせ」は段階を経て死語となってしまいました。
話は飛びますが、京都での事です。今は昔です。京都観光をしました。名の通った観光地巡りを終えた晩、ホテルの界隈を娘夫婦ともども四人でそぞろ歩きをしました。
一軒の店に入りました。八つ橋を売っているお店です。カウンターの中におばはんが一人いました。店の奥で八つ橋製造の機械がガラスケースの中で稼働していました。製造法を見せることでその店の直販品であることを強調しているのだろうと思いました。おばはんと言うのはお婆さんと呼ぶには少し申し訳ないが、女の人と言うには勿体ない年格好に見えたからです。八つ橋ができる様を見ていると、そのおばはんがカウンターから声をかけてきました。
「あんさんがた、見るだけで買わしまへんのやろ」
もしかしたら「あんさんがた、・・の次にドウセ」と言う単語が入っていたかもしれません。何せ、京都弁などと言うみやびな言葉は尾張弁に以上に精通していませんから、もしかしたら言葉遣いが違っているかもしれません。しかしながら、日本語の一種ですから言わんとするところは十分に理解できました。何故かしらその時思ったのです。これは名古屋弁で言うところの「おきゃあせ」だ。言葉はさて置いて、思想信条がこの地にまで蔓延るほどになっているのではないか。名古屋の力がかなり強くなってきているのだ。私達は八つ橋ないしは他のものにケチをつけてもいなければ、まけろとも言っていません。店に入っただけです。いきなりの「おきゃあせ」はないだろう。私達が店に似つかわしくないなりをしているか、迷惑のかかるようなことを仕出かしたか。先方の判定なのでなんともしようがありません。殆ど声を出した覚えはないので、みてくれ、人相、服装の外観で判定されたのでしょう。
犬と下流老人は入るべからずと書いてなくても、入ることを遠慮してしまう領域はあります。京都ともなるとそういった場所があっても不思議ではないのかもしれません。しかしあえて言えば、たかが八つ橋屋が客の差別をするほどの領域とは思えません。
その昔、ニューヨークは五番街でティファニーなる店を見つけました。「ティファニーで朝食を」という映画のタイトルからティファニーはてっきり喫茶店だという思い込みがありました。そうだここで何か飲もうと思ったところ、すぐに俺が入るべきところではなさそうだという雰囲気を感じ、止めたことがあります。後にそれが正解だということを知りました。お呼びでない!これまた失礼!の雰囲気です。こういったところに失礼しない程度の勘は持っているのです。此処京都の八つ橋屋さんからはそのようなオーラは感じられませんでした。
京都では家に来た長居の客に「お茶づけでも用意します・・ごゆっくり、・・・」と言って帰ることを催促すると聞いたことがあります。相手を傷つけないように配慮されているとかです。ここのおばはんは本当に京都の人なのでしょうか。婉曲丁寧、慇懃無礼ではなく、かなり直截で正直な物言いです。
「あんさんがた、見るだけで買わしまへんのやろ」に答えました。
「そうだ、八つ橋を50個下さい」
私はおばはんの方に向き直って言いました。おばはんは私の言葉が判らないようでした。三河弁では通じないのかなぁ。
50個って、50箱のこと?そんなに沢山どうするの!」
家内がすぐさま声をかけました。娘もそれに同調して言いました。
「そんなに沢山じゃあ持てないわよ!」
「そうだな。じゃあ三つにするか」
おばはんはやり取りが判ったらしく、八つ橋の箱に手を伸ばしました。
「あぁ、いいや、買いません。止めときます。・・ココデは」
終わりの方のココデは辺りの声は少し小さくなっていました。さらに小さく「・・・クソババア!」とイ汚く罵っていました。私としては唱えるべき言葉を間違えていました。「おきゃあせ」が京に上っているのなら「・・・クソダワケ!」と言うべきでした。お許しください。

それでは小噺を一つ。

ナッツ姫

飛行機を引き返させたナッツ姫は航空法違反で刑を受けた。刑期を終えて久しぶりに自宅へ帰り寛いでいた。
ナ「そう言えば、あの時ナッツを食べようとしていたんだヮ」
マカデミアンナッツを持ってくるように指示された家政婦は小皿にナッツを盛って来た。
ナ「袋から出してサービスするのはわが社のマニュアルに反すると言ったではないか。その所為で私は牢屋に入るはめになったのよ!」
家「申し訳ありません。袋のまま持ってまいります」
家政婦は袋に入ったままのマカデミアナッツを持ってきた。ナッツ姫はおもむろに袋に手を入れ、ナッツを取り出して口に頬張った。
ナ「フヌ?!」
口の中でガリッという音がし、思わずナッツをほき出した。
ナ「歯!これは歯ではないか?!異物混入でメーカーを訴えなさい!」
家政婦はその形相の凄まじさに仰天し、姫の顔を見つめたまま返事をした。
家「間違いなく歯でございます」
ナ「物を見なさい!よく見もしないでいい加減な返事は駄目です。それは歯ではないか?!メーカーの衛生管理を問うているのです!」
家「ハイ!見なくとも判ります。貴方様の前歯が欠けております」

(2015.12)

2015年11月6日金曜日

理不尽なお話

世の中の間違いどれも他人の所為
正義貫く我一人 やってみようよポイ捨て唾吐き

思うに,この年まで実にノホホンと安穏に暮らしてきました。ピンチは焼夷弾の投下と川の急流での流されだけだったと記憶しております。
昔は誰それの怨念、祟りなどと上つ方の多くが恐れ慄き、時には神社仏閣までも造成寄進して安穏を祈願したものとされています。上に立つ者はその為に多くの人を蹴散らし、殺め、犠牲にしてきたからでありましょう。その重荷が心を砕き、苛まれ、怨霊を作り上げてしまったのではと思う次第です。
私がノホホント暮らしてきたのは、上に立つどころか下でも立たず、へたり込んだ状態だったということでもあります。恨まれない。恨まない。好い生き方だったと思います。さはさりながら、勿論自分自身はさて置いてではありますが、ヨノナカ間違っトルヨ!と思うことが無い訳ではありません。あるのです。お笑いくださるな。我ながら情けない悲憤慷慨のブチマケです。愚痴です。それもプチグチ。理不尽などというタイトルは上げ底で、基まで届いておりません。いいかげん改竄をしています。
だいぶ以前にこの手の愚痴を書いたことがあります。国鉄時代の仙台駅での改札混乱。これなんぞは国労が、身の程知らずの要求をし続けて乗客を敵に回したものです。年賀状の差し戻し頻発。これは逆に郵政民有化による戦力低下、能力低下が原因と思います。似たようなことで、サンパウロ領事館引っ越しによる届け出の不着。等など、愚痴りました。どれをとっても軽度なものです。この度はそれに輪をかけて軽微なことです。
税務署に係わるものです。事業をしたりしている訳ではないのですが、ネンキンマンは確定申告が必要です。このことで体験したお話です。愚痴です。
所得税延滞督促状なるものがきました。督促状です。何か悪い事でもしないと督促状などという代物が来る筈はありません。人民はいざ知らず、国民は国家によって手厚く保護されています。政府がめったなことで国民を罰するなんてことはない筈です。
督促状に至ったいきさつは次のようでした。
期日に合わせて確定申告をしました。パソコンを駆使して作成した申告書を豊橋税務署に持参しました。税務署はハローワークと同じ建物に入っています。憲法に定める国民の義務の中の二つ、納税と勤労を司る建物です。ついでながら、隣に豊橋地方裁判所があります。税務署では大勢の人が列を作っていましたが、「提出だけの方⇒」と書いた案内に従って、列のわきを通り過ぎて二階に上がりました。その前の年に列に並んで、ようやく辿り着いたら、提出だけの方は二階ですと言われ、努力と忍耐が報われなかった経験がありました。掲示の小ささと不親切さに腹が立ちました。この度は迷うことなく二階へあがりました。受付に「番号札をお取りください」と書いてあります。ボタンを押して番号札をとりました。番号を見ながら椅子に座った途端に、「23番の方」とアナウンスがありました。ボタンの傍らにいた人が、こちらへという感じで私を見ました。私が23番の方です。
「確定申告の書類を出したいのですが。これでよろしいでしょうか」
その人は書類をパラパラと見ました。
「質問があるのですが」
「何でしょうか」
書類から目を離さずにその人は返事をしました。
「私一人しかここに居ないのに、何で番号札をとらせるのですか?」
「私達公務員は定められた手順に従って業務を遂行し、間違いのない手続きを皆さんにしていただくのです。それに一々ケチをつけられても困ります。この事で何か貴方にご迷惑がかかったでしょうか」
本当はそう返答したいところを省略して「ハイ、結構です」と言いました。
さっさと帰れの感じでしたから、早々に退散しました。
そんなやり取りがあっての督促状です。督促状には延滞金を合わせて支払えと書いてあります。税務署に電話しました。
「督促状がきたのですが、・・・・・」
「振込用紙が同封してあるでしょう。それを持って行ってコンビニか銀行で振り込んでください」
「納税不足額のほかに延滞金という項目があるのですが、ちゃんと確定申告をしたのにどうして悪いことをしたことになっているのですか?」
「あぁ、不足額があれば確定申告書の提出時にお払い頂くことになっています。期日までに払い込まれなかったので督促ということになりました」
「受け付けでは書類を見て、結構ですと言われました」
「そうですか。なんか行き違いがあったのですかネ」
間違っているのはそちらです。私どもは手順通りに事を進めております。言われなくとも、そう聞こえました。
「延滞金はいくらなのでしょうか。何も書いてないのですが」
「不足金額はお幾らですか?」
「えぇっと。四千四百円です」
「・・・・? あぁ、・万円以下の場合は、延滞金はいりません」
・万円の「・」の部分は聞き洩らしました。
確定申告の時、四千四百円ぶんの納入不足分があったのは承知していました。どうやらこの金額を申告書提出時に納入しなくてはいけなかったようです。それを、番号札の質問をしたために受付の人を惑わせ、作業手順を狂わせて支払うべき行為をさせてもらえなかったのです。
それにしても、驚かされました。延滞金などとは罰金という受け止めです。私は無罪というより軽微なのでオ目こぼしを頂いたというところです。税務署は怖いと寅さんのタコ社長がよく言うセリフです。怖いですカね。
国鉄、郵便局、領事館に税務署。どれも公務員絡みです。民営化されて改善されたものもあります。税務署の民営化は無理でしょうか。
四千四百円也をコンビニでのATMで振り込みました。延滞金などという罰金は不要でしたが、振込手数料百八円也を必要としました。税務署は罰金を手数料という形で受け取るべく、一部民営化されているように思えました。エ?百八円をせしめたのは国ではなく民間の銀行ですか。官民癒着というやつですか。

それでは小噺を一つ。

技術水準

横浜におけるマンション杭打ち未遂、傾斜事件に関して、中国の建設業界のそれなりの人を旧華網がインタビューした。
記者「この度の日本のマンション傾斜事件をどう評価するか」
建設「技術水準の低さを示すものだと思う」
記者「日本の技術水準の高さは中国でも知られていると思うが?」
建設「その通りだ。だがこの件に関しては別だ。彼らはわが国の技術をパクッた」
記者「パクるのはわが国の方が得意ではないか」
建設「その通りだ。だがこの件に関しては別だ」
記者「どういうことか」
建設「本質を見極めていない」
記者「本質を?」

建設「その通り。きちんとやっておれば、傾斜や亀裂などということは起こらない。直ちに崩壊、倒壊に至ったはずだ。オカラ工事の本質を理解しないままパクッてしまった結果だ。レベルが低い!」  (2015.11)

2015年10月6日火曜日

ラグビー
カンチョウの効き目たしかに南アにサモア
スコッチ惜しくものみ損ね

日本チームがラグビーワールドカップで南アを破った。スコットランドには負けたものの、サモアにも快勝した。これには本当に驚きました。驚くと同時に申し訳ない気持ちにもなりました。申し訳ない気持ちというのは、ラグビーに大層癒されたことがありながら、最近では見向きもしなかったことです。これらの試合というより、W杯が行われていたことも知りませんでした。そのくせ、勝ったことを知って、逆転サヨナラのシーンを初めとして、格好いいシーンは何度も見ました。気分の好いものです。
私が現場に足を運んで見たスポーツで二番目に多いのはラグビーです。回数は20回を超えます。国民的スポーツと言えば野球に相撲でしょう。野球は高校野球、社会人野球ではかなりの回数を球場へいっていますが、上級レベルであるプロ野球に限れば20回そこそこです。相撲に至っては本場所、地方巡業とそれぞれを1回だけです。本場所も両国あるいは蔵前国技館ではなく、愛知県体育館です。ついでに地方巡業は福江小学校の校庭でした。
野球、相撲という国民的スポーツをさておいてラグビーを数多く見ているのには理由があります。この度の南ア勝利でTVに紹介されたりして、回顧されていますが、新日鉄釜石が日本選手権7連覇をした時代がありました。その7回の内、V2~V6回の間、釜石にいました。お蔭で、いい思いが出来ました。
当時、正月休みは若干の有給休暇を加えて豊橋ですごしていました。その間にラグビー社会人大会があり、釜石はすべて勝ち進んでいました。さすがに秩父宮ラグビー場へはそれほどでもありませんが、花園ラグビー場へは結構行きました。
この界隈で日常使っていた鉄道は、もっぱら名鉄であり、時に国鉄でした。近鉄の利用というのはほとんどしませんでした。花園。この時ばかりは近鉄です。初めて近鉄に乗って、名鉄が日本一高い私鉄と言われていたことを実感しました。値段がいくらだったか記憶がありませんが、名古屋・花園間の料金から相応な時間で行くものと推測しました。かなりその時間を過ぎても花園に着きません。てっきり乗り過ごしたものと思い車掌さんに尋ねたところ、まだまだ先でした。近鉄は安いなぁと思いました。時間がかかったのは料金の差だけではなく、花園は特急が止まらず急行とか準急に分類される電車に乗ったからかもしれません。それが原因で名鉄に日本一の称号をと思ってしまったなら関係者にお詫びしなくてはなりません。その後は花園直行ではなく、鶴橋まで特急で行き、普通で戻るという経路をとる知恵もつきました。
社会人の一番と学生の一番が戦う日本選手権は、今話題の国立競技場でした。あの競技場が取り壊されると知った時は、時代が終わったなぁと寂しい気持ちにさせられました。観客数は六万人。いつも満員でした。六万人の集団の大きさを今でも思い出せます。国会前に何万人かのデモ隊が集まったという報道映像で、対比してそれがしばしば誇張であることの推定が出来ます。
私は新入社員の3年間、釜石で働きました。一緒に入社し、釜石に赴任した中に二人の男がラグビーをやっていました。当時はそこそこの強さで、強化の途上にあったようです。
V1。その釜石が日本一の座についたことを知りませんでした。二度目の釜石勤務についても、暫くは知りませんでした。たまたま週刊朝日だったと思いますがグラビアページにランニングをしている男の写真が載っていて、そこに新日鉄釜石の松尾雄治と書いてありました。えー?釜石に週刊朝日に載るほどの男がいるんだ。上司に尋ねました。お前知らないのか、ラグビーが日本一になったんだ。そのメンバーの主力が松尾雄治であり森重隆なのだ。
当時、釜石から東京へは夜行寝台列車でした。釜石を夕方出て、花巻駅で東北本線の寝台に乗り換え、上野へは早朝に着きます。上野界隈でサウナ風呂に入り、そこで朝食、仮眠をとってから本社など仕事先へ出かけるという手順です。外国へ出かける程のことはありませんが、それなりの身支度、準備をして出かける必要がありました。
V2以降は毎回国立競技場へ行きました。幸い、職務上本社への出張頻度は多く、ついでにというノリで日本選手権をみることができたのは僥倖でした。当時は、選手権は115日と決まっており、出張日時は早めに調整しておくことで何とかなったのだと思います。
当時釜石ラガーは北の鉄人と呼ばれておりました。森、松尾のように大学時代からのエリートだけでなく、地元の高卒を育成して編成していました。彼らは全員現場で仕事をしていました。今ではプロがいるようですが、当時は全員アマチュアです。私がいた製鋼工場にも一人部員がいました。現場は彼らを預かっているという感覚もありました。試合があればいなくなるし、練習も就業時間後だけとはいきません。それでも職場は彼らがいることが誇りでもあったのです。オラホウのチームになっていました。皆ラガーの過酷さを承知していました。何十メートルかを全力疾走して、その先でぶつかり押しあい奪い合い。一番過酷なスポーツだと思います。運好くなどということが結果に入り込む隙はなさそうです。究極のところで勝負がつきます。強い方が勝つ理由です。
その点野球は必要な時だけ動けばいい。サッカーは走り通しではあるが格闘の必要はない。相撲は1分を超えるとオオズモウの名がつき、休憩時間が儲けられることもある。ラグビーは走り通しでその先に格闘が待っている。時としてひと悶着あった跡に、ひっくり返って動かない奴がいる。救護の人たちが駆け付け、薬缶から水をかける。倒れていた選手は水をかけられると、手を借りることもなく起き上がる。
薬缶の水は魔法の水と言われていました。水で起き上がるのではないとも聞きました。水をかけてもらうまでの時間休んでいるのだそうです。かなり納得のいく話です。魔法の水と称しておくべきです。この度のW杯では薬缶の姿が無かったように思いますが、魔法が駄目になったのでしょうか。もう一つ変わったように思われる点があります。ゲームの展開です。少し展開が変わってきている感じがしました。私がよく見ていた頃は、ボールに対して攻撃側がハの字になって展開に備える陣形を作っていたように思います。ラグビーというとその形を思い出します。さあ攻めるぞ!という感じで力が入ったものです。今はボールに対して横に並んでいるように見えます。締りが無いようにすら思えます。何かルールが変わってそうなったのか、戦術の変化か、はたまた素人の勘違いなのでしょうか。玄人の方、ご教授賜りたいと思います。
3年ほど前に同期入社の仲間で釜石を訪ねました。街中のラーメン屋の店先で、旧知の方にお会いするという偶然もありました。被災個所や製鉄所、それと松倉グランドに出向きました。製鉄所のクラブチームとしてあった野球部、ラグビー部は今はありません。野球部に至ってはホームグランドである小佐野球場が跡形も無くなっていました。松倉グランドはラグビー部の本拠地で現存しています。
その本拠地でニュージーランドのポンソンビーというチームが来日し、テストマッチが行われました。強豪チームとの評判通り、釜石はコテンパンにやられました。世界のレベルは高いのだ。日本一でもひねられてしまう。その記憶もあり、この度のW杯での勝利が凄いことだと思えるのです。
ラグビー部は釜石シーウェーブという名の地域クラブとして存続しています。トップリーグには届いていませんが、地域では結構人気チームです。
松倉グランドには人影がありませんでした。グランドの脇に建物があり、戸を開いたので中を覗いてみました。トレーニングマシンで何人かの人が汗を流していました。南方、ポリネシア系の人達という感じです。迷惑そうな眼差しを感じたので、戸を閉めようとしたところ、奥から人が出てきました。
「すみません。昔V7の頃釜石にいた者です。このグランドには結構来ていて懐かしかったもので」
出てきた人はチームドクターだと言いました。そう言えば昔もチームドクターがいて、遠征にも帯同していました。野球部にはいなかったと思います。やはりラグビーは過酷なスポーツなのです。先生にチーム状況などの話を聞きました。トレーニングをしていたのはプロの方で外国人でした。V7時代はラグビーと言えばアマチュアリズムの権化でしたが、今ではプロが認められ、チームの中では混在しているそうです。
そうだ、確かラグビーボールがあるはずだ。ありました。森重隆、松尾雄治のサイン入りのボールです。「新日鉄釜石ラグビー部 第16回日本選手権優勝」と書いてあります。調べてみたところ第16回というのは、V1の時です。記憶では名古屋への転勤に際して、サインのご両人のいずれかからもらった物です。V1記念で作ったものの在庫品だったのでしょうか。
南ア&サモア戦の勝利で、懐かしい出来事を多く思い出させてもらいました。有難うございました。

ラグビーとは何の関係もありませんが、厳しい世界戦に関する小噺を一つ。

法治国家

中国の報道官が記者から質問を受けていた。
記者「習主席が国連で女性の権利会合を行いましたがどういうことでしょうか?」
報道官「わが国が女性の権利を守り育てる国だからです」
記者「ヒラリー氏が中国は女性権利運動家の大量逮捕、拘留を行っている。その国の主席が女性権利会合とは、恥知らずだと非難しました。如何でしょうか」
報道官「わが国は法治国家であり、法に反したものを法に則って処罰しているだけです。恥知らずなどとは言いがかりです」
記者「もう一件お尋ねします。法皇と習主席の演説は如何でしょうか?」
報道官「どちらも堂々とし、立派だったと思います」
記者「あの、・・聴衆の数がだいぶ違ったと思いますが、その点は如何で?」
報道官「わが国は法治国家であり、その法は国内にのみ適用されます。国連で動員をかけたり、気に入らないからといって、逮捕などして妨害するなどということはいたしません。最大の自制をしています」

(2014.10)

2015年9月6日日曜日

戦後教育
学を修め矛を収め 以って痴呆を啓発し
 これを中外に施すか    御免誤字

昨年の八月号に戦後偏向教育について書きました。私自身の経験では日教組によるそういった教育を受けたという記憶はなく、覚えているのは教科書のGHQ指定個所を墨で塗りつぶしたことぐらいだということです。
今年は戦後70周年ということで総理大臣談話がなされました。これから先も10年ごとにおやりになるのか、何方がおやりになるのか、楽しみにするのは無理でしょうか。この談話を聴いていて戦後教育についてもう一度考えてみようと思ったしだいです。私が受けた教育とは一体どういうものであったのかということです。
私等の年齢層が受けた一番大きな経験、体験と言えば、戦争であり敗戦です。人生において一番刷り込みがなされ易い小学校低学年でのことです。間違いなく嫌戦、不戦が刷り込まれています。加えて、その頃の教育、経験が人格のかなりの部分を形成しているのだと思います。素直に考えれば、進駐軍が日本の行く末、私たちの行く末の99%を握っていました。GHQによって刷り込まれていることが多いはずです。そこに日教組が入り込もうとしても、終戦直後のごく限られた時間帯、GHQ自身が偏向勢力に握られていたとされる一時期を除いては、しょせん無理筋だったでしょう。結果としても、日教組は一敗地にまみれており、当事者たちが手柄話として偏向教育に成功したと思い込んでいるだけでしょう。
教育内容では禁止科目がいくつかありました。修身などの文化系教科だけでなく、体育系でも禁止科目があり、柔道、剣道は禁止されていました。柔道の方は記憶が鮮明ではありませんが、剣道が禁止されていたのは間違いありません。
中学生の時です。体育のコクボ先生から「一丁ヤルカ?!」と誘いを受けました。授業ではなく、部活動でもありません。体育館の用具置き場に何組か新品の剣道用具がありました。先生は「シナイ」をやるかと言いました。竹を六本くらいに裂いて、帆布を被せた得物をシナイ、竹刀と言います。そこから剣道を「シナイ」と称するものに仕立てたようです。 剣道が禁止されていることは知っていました。いいのかなぁ。やってよくなったのかなぁ。という感じを持ちました。面、籠手などの用具も揃っているのですから、いいことになり学校に教材が入って来たのだと思います。講和条約が発効した頃です。それに伴ってよくなったのかもしれません。俺は剣道二段だ。シナイは段位が無い。コクボ先生は嬉しそうに面を入れましたが、すこし寂しそうでした。剣道ではなくシナイと呼称したのは後遺症でしょうか。
GHQのご指導が大きかったのは間違いないでしょうが、直接教育をやったのは現場の先生です。先生方は大日本帝国の教育を受けています。勿論、ご指導によって自らいい意味での洗脳に勤しんだでしょうが、日本人としての矜持、刷り込みが簡単に払しょくされるはずがありません。戦前日本政府が一番嫌っていたのは共産化、赤化浸食でしょう。先生たちはそれを刷り込まれ、承知していました。敗れた後になっても、オクレテルとか軍国主義者とか言われるのが嫌で、顔はイエスと言っていても、心は違っていたのです。そしてGHQも日本人の骨抜き弱体化政策から、アジア赤化防止対策へと重心を移しました。先生方も少しばかりホッとして、そちらになびいたに違いありません。コクボ先生の嬉しそうな顔はそれを顕していたと思います。
学校より強く教育され、影響されたのは世間であり、吹いていた風のように思われます。
どんな世間か、風かです。
飢えとまではいきませんでしたが、農業地域の当地でも、食料は不足していました。給食に出された脱脂粉乳、コッペパン。原料生産国はアメリカです。後日料金の請求があって支払ったとか、余剰物資の整理だとかいう話も聞こえましたが、当時はアメリカさんのご厚意によるものとされていました。時折、夜の校庭で行われた映画会。垣間見える素晴らしいアメリカの生活。漫画ブロンディがアメリカ人の日常生活です。残念ながら、進駐軍の兵隊さんとじかに接する機会の無い田舎町なので、チョコレートやチューインガムを貰う幸運には恵まれませんでした。都会ではもらえるという噂話は聞いていました。授業自体も日教組に握られていたというよりアメリカさんのご意向によっていたのだと思われます。
GHQ製ではない。Made in Japanの風が吹いていました。
「♫ 晴ーれた空ー、そーよぐ風、港出船の銅鑼のネ楽しー・・・♫」
「憧れのハワイ航路」真珠湾を急襲したことを忘れてか、棚に上げてか、イケシャシャァと憧れています。風をそよがせています。そよ風などという軽いものではなく、もっとはっきりとアメリカを礼賛している歌もありました。
「♫・・・アメリカ良いとこ、アメリカ大好き、歌と踊りで夜が明ける。あぁー楽しこの世のパラダイス!♫」
今でも歌えます。歌手の名前も覚えています。前者は岡晴夫、後者は笠置シズ子です。「・・・アメリカ良いとこ、・・・」の方は「ロスアンジェルスの夜」というタイトルです。ハワイはおろかアメリカ本土まで進出し、誉めたたえています。
敵国である。鬼畜米英である。おまけに原爆、無差別爆撃で一般国民の多くが死傷しまくった。そして負けた。
戦争をやって勝った国、アメリカは上っ方の何人かを死刑にしたが、俺たちには何も危害を加えない。そいつらがやってきて、危害どころか食べ物までくれた。すごい国だ。日本人は一億総懺悔をし、従順になった。
刷り込みの基はこの辺りでしょう。
 その後アメリカは世界の警官を称して何回も戦争をしています。不思議なことに、日本に勝利をおさめたあとは連戦連敗です。それでも止めません。朝鮮、ヴェトナムを初めとして三年に一回くらいはやっているようです。これらに一寸待ってよ、位は思ったかもしれません。いつもアメリカが勝つようにと私は期待していました。負けたら困ると思っていました。「・・・アメリカ良いとこ、アメリカ大好き、・・・」の刷り込み効果が感じとられます。
しかし日本人は外国にそう都合よく動く国民ではないとも思います。歴史的に完成している国民性があります。昔から、文化文明は海外から渡ってくる物でした。それを有難くいただいて自分の物に消化し、独自の物へと昇華させてきました。時にはガラパゴス化という学術名までつけられて、日本文化はそれなりの評価を世界からも得ています。
戦後の事も外来のGHQの顔を見ながら、顔を立てながらやってきました。吉田茂はマッカーサーの憲法を盾に、戦争好きのアメちゃんにそちらをお願いし、経済の立て直しを図りました。自立心の強い岸信介は安保条約を改定して、基地提供だけの状態から、日本防衛の義務をアメリカに課してしまいました。この度の集団自衛権云々でも安倍さんは頑張っています。尖閣にあの大国が攻めてきたとき、アメリカさんに集団的自衛はお前が駄目なら俺も駄目だと言われたら、一人で対戦しないといけません。それは避けたい。世界で一番戦争が好きな国と仲良くしておくことが一番です。トランプさんなどは、安保条約は不平等条約だと主張を始めています。戦争は嫌だ。仕方が無くやることになった場合でも、なるべく自分には危害の及ばないようにしたい。戦後の為政者の考え方、政策が完全に刷り込まれています。卑怯と言われようと戦争は嫌です。でもやられるのはもっと嫌です。その時はアメリカさんよろしくお願いいたします。勿論分相応のお手伝いはさせて頂きます。身勝手と言われると返す言葉がありません。
敗戦にGHQと吉田茂の考えが結びついて、平和を愛する国民が確立しました。誰もが戦争を嫌い戦うことを拒みます。戦争は御免です。唯一戦うことを肯定しているのは「平和のために戦う」人達です。先日の安保法案審議の委員会で野党が力で以って成立阻止を図りました。言いがかり的ではありますが、委員長が怪我をしたと言ってました。長妻議員の曰く「あぁいった手段しか方法が無い」語るに落ちるとはこのことです。民主的国会において自分の主張を通すためには暴力を使うことも厭わない。平和のために戦うという自己矛盾に気づいていないようです。健康のためには命もほしくないの類です。絶対多数を握る側に勝手にさせないようにするのは、次の選挙でお前らは地に堕ちるぞという空気を作ることです。気に入らないことに反対を叫ぶのは当たり前です。示威行動も必要です。勿論きれい事だけでは国は動かないでしょう。清濁併せて成り立つ世の中。北京を見てごらんなさい。必要な時は見事に青空が見えます。でも、手品はネタがばれていると演出に工夫が無いともちません。
戦後教育の中で、禁止されていたのに素晴らしい成果を収めている物があります。
修身です。道徳です。
修身教育は禁止されていました。言霊の国のシンボル的に、名前を道徳教育と変えてボチボチとやっては来たようですが、点数をつける教科への格上げを今年になってやったようです。修身、道徳を教科として教えることは忌避されていました。剣道に比べると半世紀以上遅れて解禁されたのです。進駐軍の禁止命令が尾を引いていたようです。長い長い尻尾です。
その割には、世界の中で日本人は民度の高い国民として、隣の大国辺りからも言われているようです。今一番人に迷惑をかけない、世の中を綺麗にしようと努める、暴力を否定し嫌う・・民度という話で最先端を行っている感じがあります。結構なことです。
私たちの年代は全く道徳教育を受けていません。受けた記憶がありません。私たちは日本人の中では無教養で一番扱いにくく、道徳的に劣る、民度の低い連中ということかもしれません。立ち小便のし放題、たばこの吸い殻のちょい捨て、高歌放吟。昼間はやりませんでした。夜陰に紛れてです。卑怯ですが、やっていました。貴方はやってない。ご立派です。私はこれらを含めて、ほとんどを世間様から教育されてきました。きちんとした道徳教育を受けられなかった私たちの年代の者には、戦後は終わっていません。
現在の日本は、戦いは無く平和で、飢えに苦しむこともなく、上っ方の事を誹っても批判しても牢屋に入れられることもありません。好い戦後です。この戦後が、私が生きている間は続いてほしいと思います。自己本位な発想です。この辺りは偏向教育の効果かもしれません。もしかしたら、道徳教育を履修していない欠陥かもしれません。

では小噺を一つ。

盗聴合戦

安倍総理大臣へオバマ大統領から電話が入った。
オ「この度は大変失礼なことをいたしました」
安「え、なんでしょうか」
オ「そのー、私どもの盗聴の件ですよ」
安「あぁ、バイデンさんからお電話いただきました。わざわざ大統領からとは恐れ入ります」
オ「私からも一度お詫びはしておかないといけないと思いまして」
安「ご丁寧なことで。私どもにはアメリカに隠しておくような機密事項はございませんので、あまりお気になさらないように。お知りになられた内容で何かお判りにならないことが御有りでしたらどうぞお聞きください」
オ「いやはや、何と申し上げてよい事やら。私どもとしましては、我が国はさておいても、中露に漏れたりしてはと心配なのです」
安「その点は抜かりありませんからご安心ください。もし漏れているようなものや兆候がありましたら、ご一報いただければ幸いです」
オ「杞憂であればと思いますが」
安「はい、盗聴だとか諜報活動などというものはお互い様ですから、あまりお気遣いなく。おやすみなさい」

・・・蛇足・・・・
官邸の記録用録音装置に雑音が入っていた。
・・「・・・・・・晚安」・・

(2014.9

2015年8月6日木曜日

狂歌明日か
ソ・ソ・ソクラテスか
ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか
ユ・ユ・ユーロかドラクマか 皆悩んで金算段

 ギリシャが借りたお金を返せない。困ったことだ。騒ぎを見聞きしていて、何故かしら昔聴いた歌が思い浮かんだ。
「♪♪・ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか・・・・♫♫」
野坂昭如が歌っていたウィスキーのコマーシャルソングである。ソクラテス・プラトンがギリシャ人であることからの連想だ。安易で、あまり豊かな感性からの連想とはいえない。おまけに、誤った認識をしていた。歌っている野坂昭如なる人物についてである。彼は立派な文筆業者で、余技というか、遊び半分でコマーシャルソングを歌っているとばかり思っていた。たまたま見つけた彼の作品を読んで驚いた。「いじわる読本」という作品だ。「いじわる」というのは悪いことではない。いじわるをする場合、される側とする側に愛情というか、ある種の許し合いの心が通っている。イジメとは違う。ところがこの作品には人に対する愛情のかけらも見当たらない。悪口雑言の限りを尽くしている。汚物を直視させられているような気分にさせられた。こんな作品を書いている人間を、私は好きになれない。その男が歌った歌を思い出したのは聊か忸怩たるものがあるが、自分の脈絡形成がそうなっているのだからとあきらめる外無い。
「♪♪・ソ・ソ・ソクラテスか・・・・」の続きは「ニ・ニ・ニーチェかサルトルか、皆悩んで大きくなった♫♫」である。あまり豊かな連想ではないと思ったが、そうでもない。この歌はこの度のギリシャ騒動に係わっている。ソクラテス、プラトンはギリシャ人。ニーチェはドイツ人。サルトルはフランス人だ。登場人物の国籍に脈絡を感じる。結構その関連について繋がりをもっているではないか。好い連想だ。そう思い直した。
残念ながら、この歌に出てくる偉人たちの名前は知っているが、何をなさったか、なんなのかを理解していない。理解してないという言い方は恰好付けだ。判らないのだ。多少なりとも業績内容を理解して知っているギリシャ人を挙げるとピタゴラスとアルキメデスがいる。定理、原理の大先生である。
ピタゴラスについてはこの頃お世話になっている。
何年か前のことである。「♪♪・ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか♫♫」を思い浮かべた動機よりもっと弱い動機だったと思うが、ピタゴラスの定理を思い浮かべてしまった。さてと、あれはどうやって証明するんだっけ。直角三角形を描き、考えた。この問題が試験に出たら、時間切れで×を頂く位の時間がかかった。時間はかかったが、解くことはできた。以来、気が向くとこの証明をやるようにしている。年に一度くらいの頻度になる。このところはスラスラと解ける。思考力のテストのつもりだが、記憶力のテストになってしまっている節もある。どちらにしろ、ボケを自ら否定する手立てのつもりである。尤も証明をしようとすることを忘れてしまうようになったら、それ相応の状態に至ったことになる。ギリシャ人・ソクラテスを知っていることは有難いことだ。
現代のギリシャ人で名前を知っている人は殆どいない。知っているのはオナシス位なものだ。皆さんも同じだろうと思うが、オナシスを知っているのではない。ジャックリーヌ絡みでJ・F・Kの後釜として、名前を知っているだけだ。それも、いい年こいた助平爺が金に物言わせて・・・・。申し訳ないが、あまりいい感じは持っていない。
この度、久しぶりにギリシャ人の名前を知るところとなった。チプラス首相だ。
ギリシャは二千億円余りの借金が返せなくなってしまった。日本でも似たような金額で揉めていた。新国立競技場に要するお金だ。ギリシャの場合は各種通貨レートだけでなく、世界の株価にまで影響を与えた。それより大きな金額でも、日本のそれは国際問題どころか、国際的話題にすらなっていない。日本の世界に対する影響力の無さがなせることなのか?一人、森元総理だけが国際的な問題だ、三千や四千億のハシタ金で日本は恥をかくことになる、と仰っていた。ハシタ金より少ない額で世界の株価が動いているのも不思議なことだ。
この件についても、私は認識不足だった。二千億円の向こうに四十兆円に上る大借金がギリシャにはあったのだ。さすがは元総理。同じ森でも器が違う。四十兆円を思えば、三千億、四千億などはハシタ金だ。その四十兆円すらハシタ金かもしれない。ギリシャの借金は、底なしの取り扱いだが、思えば日本の国家予算では、毎年のように四十兆円の国債を発行している。その借金している額ではないか。合計四十兆と毎年四十兆ではとんでもない差だ。それでも日本や関連国で大騒ぎになっていない。気にしているという程度では言い過ぎだろうか。気にしている程度というのであれば、四十兆もハシタ金の分類に属するのだろう。お隣の大国では株価維持対策として何日か前に百兆円突っ込んだという話もある。四十兆などはやはりハシタ金に属するというのが世界水準なのだ。
国民投票でギリシャはEUの条件を拒否してしまった。
「耐乏生活をしろとEUは言ってきているが、貴方達は耐えられますか?Noと言ってくれれば悪い様にはいたしません」
チプラスは国民に問うた。僅差と言われていたのが、ふたを開けてみれば大差でNoとなった。大阪の住民投票と似たようなことをやった訳だが、結果は提案者の主張が絶対的に支持された。大阪では敗北した。
あの国の産業は何があるのだろうか。思い浮かぶのは観光産業位なものである。もう一つ。オナシス絡みで海運業があるのだろうと思う。海運王オナシスと謳われ、我々庶民の知るところとなった。かなり昔のことだ。今でも栄えているのだろうか。それにしてもギリシャは四十兆円もの借金を何に使っているのだろうか。観光事業にそれほどいるのか。全部飲み食いに使っていれば、返せる筈が無い。
私自身は借金というものに縁が無い。相続対策として借金をして太陽光発電を大々的にやっている人を知っている。どうして相続対策になるのか判らないが、借金をする能力があり、発電による収入からその借金が返済できる見込みがあると言っている。相続税対策というのはさて置いても、事業という面からは前向きの借金だ。借金は活かされ、返済される。私が借金に縁が無いのは活かす術を何も持たないからだ。借りようとも思わないし、誰も貸してくれない。
ギリシャには期待される話もあるらしい。国内に金鉱が見つかった。エーゲ海に石油の埋蔵がかなりある。チプラスが流したデマかもしれない。噂話か真実か。真実としても金鉱を掘ろうものなら、遺跡にぶつかって掘り進めないのではなかろうか。エーゲ海に櫓を組んだら景観が損なわれ、観光客が来なくなりはしないか。好い話か悪い話か判らない。
事の成り行きを見ていて認識を修正しなくてはなるまいと思った。チプラスは大政治家だ。お詫びして訂正させて頂く必要がある。
彼は国民大衆に迎合してEUに逆らうことで点数を稼ぎ、首相の地位を得た軽佻ポピュリスト政治家だと思っていた。EU案に反対しようという方向に仕向けて、国民投票を行った。ここら辺りは何をしようとしているのか判らなかった。判らないというより無責任だと思った。反対票が圧倒的多数となった。これでケツをまくってさあ殺せの騒ぎになるものと思っていたら、なんとEU案を飲む交渉を始めた。国民に反対を表明させておいて、その反対案を飲む交渉を間髪入れずに始めたのだ。国民の多数の意思を向けさせた方向とは逆の方向に、国の舵を切る。それを敢えて公にしておいてだ。並の政治家の出来ることではない。多数の意思はさておいて、彼自身が選択すべき道へ進み始めたのだ。それが国益にかなうという信念が無ければ、こんなことは出来ない。私利私欲が挟まる余地は無い。ピタゴラスの定理証明には補助線が不可欠だ。真似して解くのは私にでも出来る。これを考え出すのは偉大で無いと絶対に出来ない。国民投票は補助線だ。チプラスは人が考えもしない所、方向に補助線を引いたのだ。行きつく結果による証明が肝心だが、取りあえずはピタゴラス級の大物、大政治家だ。
安倍総理大臣は森さんの言うところのハシタ金の始末に動いた。国民の80%が反対する新国立競技場の建設案を潰した。国民の多数に従った。見方によっては所謂民主的判断だ。ここまで来たのに側から言わせれば、大衆迎合だ。チプラスとは対極をなす。同じ二千億、四十兆でもギリシャと日本では軽重に差があるごとく、首相においても軽重の差が出ているのか。安倍は軽くチプラスは重い。この比較は酷い。軽薄だ。安倍首相も安保法案では支持率の低下を気にすることなく推進しているではないか。国民の多数意見に反する方向が、この国の、国民のためになる。そういう判断だ。国立競技場は補助線だ。チプラスほど重くはないかもしれないが、それほど軽いものではない。安倍さんも芯は強く重いのだ。
重い軽いは体重ではない。内面的なものだ。内面がいかに充実しているか。ここは是非、アルキメデスの出番だ。

 では小噺を一つ。

国際協力

ギリシャではこの度の経済危機に関して受諾した緊縮策の実行に鑑み、彼らの神々に加護を依頼した。
オリンポスの神々が一堂に集い協議をした。なかなかいい案が無く、国際的な協力を求めるべしということになった。遠い極東の国、日本からの協力受け入れを決めた。直ちに人材が派遣され、オリンポスの神々の前で挨拶をした。

日神「皆さんの愛する国が経済的に困窮し、その立て直し策の実行に苦慮されているということで、協力を依頼され遥々日本よりやってまいりました。日本の神の一人でございます。一番の問題点は、要求されている緊縮策、耐乏生活の実行であります。このことにつきましては、私は長年にわたって困窮者、貧困生活に携わってまいりました。蓄積した技術、ノウハウは必ずや、皆さまのお役にたてるものと確信しております」
日本の神は自信満々な態度で話を続けた。

日神「あ・・・。申し遅れました。私の名前は貧乏神でございます。・さて・・・」

(2015.8)

2015年7月6日月曜日


病気自慢
生きとるぞ世のさざ波を乗り越えて
これがおいらのブヂ自慢

 私たちのような高齢者の集まりでは、何かにつけて健康状態が話題になります。とりわけご指名で何がしかのお話しをすることになった時に、自分が今どういった病気を持ち、どのように対処しているかを語る方が多いようです。致し方が無いことです。政治経済芸能スポーツのほとんどの社会現象とは疎遠になっています。後期高齢者ともなれば、世間に通用する共通の話題は限られてしまいます。聞く方にしても、病気に関して経験豊富で対処法に精通している方の話は聞いておくべきでしょう。この場合病気を多く又は長く患っていて、なお且つ、そう言った集会に出てくるだけの体力をもっている人が主役となります。それを揶揄して「病気自慢」などと言ったりします。
集会ではありませんが、私も参加させていただいているML上で、五体の状況についての話題が提起されました。提起した方はそれぞれ各自がどの程度クタバッて、乃至はクタバリかかっているかを知りたいようでした。何人かの人がこれに答えました。中には督促されての参加もありました。私はこれへの参加を控えました。そっぽを向いたりした訳ではありません。項目が多くて答えを書くのが大変なので、事前準備として紙に印刷をし、そこに上書きする形で書き出しました。ところが、どうもいけません。起案者の趣旨に反して、各項目に対する回答がどうも浮いたものになってしまいます。少し考えてみました。設問が、老化に伴う不調について記し、自らの対処法を記せという感じです。結論を言います。私にはほとんど該当事項が無いのです。無いということは、健康優良児ならぬ健康優良爺なのです。設問に真面目に答えると、趣旨に反して健康自慢になってしまいます。それで参加を見合わせた次第です。しかしながら、自慢話になるなら、してみたくなるものです。MLは時間切れ、賞味期限切れなので、こちらで間に合わせようという次第です。

運動をしているか。
継続している運動は、ゴルフの打ちっぱなしだけです。おおよそ1時間、週休二日程度で実施しています。週二日ではなく、週休二日です。
定期的ではありませんが、猫の額の畑仕事、自転車で買い物などに行きます。体を動かすという点では、お給料を頂いて働いていた時より多くなっています。当時は運動不足であったという歴史認識です。多分その所為と思いますが、ピーク時に比べて現状では体重が10Kgほど軽くなりました。食事の量が減ってはいますが、意識的な減量などということはやっていません。

 バランス感覚
パンツ、ステテコは立ったままで穿けます。靴下は右足装着時揺れて不具合を生ずることがあります。この場合には、頑張らずやり直すか、何かに座って穿くことにします。こけて捻挫なんぞは御免です。危機管理という意味でのバランス感覚も持ち合わせています。

 体力はどうか。
時折、通りがかりに近所の松葉公園で鉄棒にぶら下がったりします。結構長くぶら下がったままでおれます。残念なのは、力を込めても、体を上に引き上げることは叶いません。坂上がりなどは論外です。
散歩は好きでないのでやりません。走るなんぞはとんでもないことです。昔から好みに合いません。嫌いなこと、厭なことはやらない。このところその傾向が強くなっています。もしかしたら老化現象に属するのかもしれません。でも、昔からそうだったようにも思います。

 眼
40歳そこそこの時、老人性白内障と言われました。眼球の中にゴミが浮いて漂っていました。渡辺のジュースの素のような色をした点眼薬を貰いました。診察をしてくれたお医者さんに、不遜にも、老人性という病名を取り消すよう要求しました。40歳が老人の範疇であるとは思ってもみませんでした。「私も老人性白内障です」結構別嬪さんだったお医者さんはそう言って、老人性の取り消しを拒否しました。医者である彼女も同病とはどういう意味合いなのか。眼薬は一度さしただけで止めました。治る訳が無いと思いました。以来30年以上放置していますが、症状は変わりません。若年性白内障だったと思います。眼鏡は何度も替えましたが、度は当時と同じです。

 耳
物ごころがつく前に右耳の中耳炎をやっています。耳鼻科にかかる度に、医者にその痕跡を指摘される事で自覚しています。確かに左右の聴力には明確な差がありますが、普段は気になりません。TVを見ていて聞き取りにくいなと思うことがあります。ビートたけしの話は何を言っているのかさっぱりわからない時があります。早口とだみ声のせいです。昭和ヒット歌謡大会の如き、古い音源、録画で演歌を聴いていると、音程が狂っているように思える時があります。こちらの耳の劣化なのか、先方の音源の問題か悩ましいところです。本当のところは、歌手が音痴だったのかもしれません。

この子の鼻骨は曲がっとる。ガキの頃お医者さんにそう言われたのを覚えている。鼻もヘソも曲がっているようです。それによるのか、鼻の片方が詰っていることが多いのです。風邪をひくとこれが酷くなります。それでも両方とも詰ることはないような気がします。使用後、トイレの臭いがこのところ、ほとんどしないのはTOTOの技術によるもので、鼻の劣化ではないと思います。

 口
左下顎側の奥歯が二本ありません。30歳前に一本抜歯しました。歯茎が腫れ痛かったので抜いてくれと言ったら、休憩時間込みではありますが3時間かけて抜いてくれました。医者も患者も性根尽き果てた感がありました。腫れが酷い時に抜歯するのは、禁止事項度だということを後に知りました。時間と言い判断と言い、あの歯医者はヤブという感じです。歯を割って抜いたのですが、何十年かの後、その残滓と思われるかけらが歯茎から浮き上がりました。その隣が傷んで二年ほど前に抜歯されました。入れ歯を作ってくれましたが、物を噛むと痛いので放棄してしまいた。
歯の話ではなく、口の話でした。お前は口が悪いと、昔から言われて今に至っております。これは老化とは全く関わりがありません。生まれつきに近いものです。

 記憶力
「人や物の名前がなかなか出てこない」
親しい人やいつも使っている物の名前が出てこないなどということはありません。名前が出てこないのは、常日頃考えない、思い出そうともしない人や物です。どうでもいい人や事物については、当たり前ではないでしょうか。関心のない記憶を呼び出すのに時間がかかるのは当然です。若い頃は思い出したというのは錯覚か、用もない物を思い出す暇がなかったか、必要が無かったのです。思い出すのに時間がかかるのは日ごろ無関心で、深い所へ記憶を沈めているからでしょう。勿論、ネンキンマンともなれば親しい人や事物の対象が減少しているという事実はあります。それで、昔より思い出せない範囲が増えたのです。
「昔のことは覚えているが、昨日のことは忘れる」
昔のことを覚えているというのは怪しいものだと思います。大きな出来事は覚えているといいますが、本当に確かで、間違いのない記憶でしょうか。覚えている内容が、他の情報と混ざり合って創作してしまった記憶ではありませんか。私が書いている雑文はまさにこれです。創作です。創り話です。
昔の写真を見つけ出し、そこに映っている人や風景が自分の記憶と全然合わないことがあります。時間をおくと、その写真の記憶が戻るのか、記憶が修正されるのか、これぞあの時のという思いになります。本来記憶などというのはいい加減で、昔のことでも今の直前のことでも適当なものだと思います。あれは白かった。俺は記憶力が好いのだ。他の人はそれが白かったか黒かったか覚えていないから、その人の主張を尊重して同意します。本当は黒かったのかもしれません。ゴメンナサイ。私のこの論は卑怯です。己の記憶力の弱さを、話をすり替えて片付けています。謹んで謝ります。
「記憶より記録を!」某車載記録装置メーカーのキャッチコピーです。昨日の晩飯が何だったか覚えていない。当たり前です。覚えていても何の役にも立ちません。「忘れようとしても思い出せない」昔の漫才師のギャグです。人間の脳はテキトウによく出来ています。脳細胞の使用、不使用部分を自動的に整理しているのでしょう。この整理が覚束なくなるのを老化というのではないでしょうか。混乱混濁が起こり始めるのです。忘れる。好いじゃあないですか。貴方も私も脳が健全なのです。

頻尿
脳から下がってオシッコです。
昼間何回。夜間に何回か。
昼間何回かは勘定をして用を足す習慣が無いので、いい加減です。起きた時。寝る前。他に3、4回位かなぁ?です。
他にの中に含まれるだろうと思いますが、パソコンをつける時に行きます。立ち上がりの時間を待つ暇つぶしです。暇つぶしでオシッコに行くのなら、暇に充ち溢れている私の場合、しょっちゅう行くことになるはずです。そうはなりません。どうしてでしょうか。
夜は0.6/日位かと思います。オシッコがしたくなって起きる場合もありますが、冬は寒かったり、夏は暑かったりして眼が覚めるとか、時には何所かが痛くて起きることもあります。昔、オシッコをする夢を観ると寝小便をしていたという話を聞いたことがあります。これは間違っています。トイレを探しまくっても無かったり、ようやく見つけたらとんでもなく汚かったりし、苦労の果てになんとかオシッコができ良かったなぁという夢を何回か見ています。でも寝小便をしたことはありません。物ごころついてから寝小便なるものをしたことが無いのです。幼いころ友達が叱られていたり、やらかした布団が干されているのをよく見しました。理解の出来ない光景でした。バカジャアナイカと思いました。私の娘もしたことがありません。息子はやりました。息子がやるのに到ってバカジャアナイカとの思いを訂正しました。娘には俺の、息子にはお前の遺伝がと口を滑らしてヒン睨まれたことがあります。

かくも健康優良児ならぬ健康優良爺を誇りながら、何故かしら、年間何度もお医者さんの世話になっていますし、時にはあそこが痛いの痒いのと、人様との約束をドタキャンしたりすることがあります。
健康優良爺とは何じゃいです。
 原因項目としては「痛風」「膝痛」「腰痛」「心痛」などがあります。
「痛風」は30年ほど前に発症し、その痛さに仰天しました。「ユリノーム」で発作に至らないようにしています。服用をさぼると罰が当たり、ドタキャンにつながります。このところはかなり真面目に対処しているので大丈夫です。「膝痛」「腰痛」が円周率的に出ます。整形外科の判定では「程度1」なので、仮病に毛が生えた程度です。「心痛」は心臓が痛いかの如く感じるのですが、これもさしたる異常なしです。心因性です。「心痛」という単語があっています。
これらが起きると、大袈裟に反応してしまいます。今、心掛けているのはこれらの現象が起きた時、痛くない、痒くないと自らに言い聞かせることです。これで反応を抑えることができます。よく効きます。
風呂上がりに体重測定をやっています。数年前、タニタの体重計を買いました。生年月日などを入れておくと、いろいろな測定結果が出ます。その中に「体力年齢」というのがあります。現在その数値は「61」です。15歳若メです。日ごろ自分の実年齢を3歳若いと思っている人は長生きするそうです。MLの設問に巧く答えられない理由はこれです。
病気自慢を脱却し健康自慢をいたしましょう。

 では小噺を一つ。

MERS

世の中にはふざけた野郎がいるものです。日中韓で、軌を一にして同じような文をブログに載せた。
「私はMERSに感染した。これから繁華街に繰り出し、多くの人と最後の宴を行うつもりだ」
これを受けて、
日本では保健所と警察が共同して発信元を特定し、発信人を保護取り調べた。当人は発熱などの症状もなく、悪ふざけだと申し立てた。施設に隔離の上、検査をし、結果も陰性であった。その後、発信人は威力業務妨害で逮捕された。
韓国では保健所と警察が共同して発信元を特定し、発信人を保護取り調べた。当人は発熱などの症状もなく、悪ふざけだと申し立てた。施設に隔離の上、検査をし、結果も陰性であった。その後、隔離した病院で院内感染し発病してしまった。
中国では保健所と公安が共同して発信元を特定し、発信人を保護取り調べた。当人は発熱などの症状もなく、悪ふざけだと申し立てた。施設に隔離されたらしい。その後、当人の行方、症状などは全く判らない。発生の事実を誰も知らない。

(2015.7