はじめに

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2019年11月6日水曜日

いじめみじめ


いじめみじめ

正義の味方はテレビジョン

惨めな姿の先生使い 虐めた先生いびってる



神戸のカレー事件には吃驚しました。イジメとされていますが、これは事件だと思います。動画をこれでもかこれでもかと、何度も見ました。羽交い締めにされ、カレーを口に入れられるやら、目や口に塗りたくられています。痛いだけではなく、尊厳を酷く傷つけられています。この事件は被害、加害者ともに先生だということです。まぁ、落語の枕で、先生というのは「マズイキテル」と読むとされているので、驚いてはいけません。

人間の体に食品を盛り付けて興に入る宴席があります。女体盛りと称します。日本の芸者遊びの一つかと思いますが、フランスでも似たような遊びがあるようです。女体盛りは、盛り付けられた料理を取って食べるという趣向ですが、カレー盛りは塗りつけて、嫌がる、痛がる人を見て喜ぶというもののようです。前者は食欲増進に役立つかもしれません。盛り付け容器に擬せられた人は早く食べて貰わないと風邪を引きそうです。でも、ご祝儀の奮発が期待でき、商売として成り立っています。後者は支配欲増進なのでしょうか。対象者は炎症を起こします。おまけに、先生はご祝儀どころか、残業手当も貰えません。

加害者側の撮影のようですが、どうして犯罪の証拠となりかねない動画を残し、世間にさらしてしまったのでしょう。理解できません。加害仲間の内部告発ではなさそうだし、金になったのか、誇りたかったのか。今はやりのインスタ映えを狙った作品という代物でしょうか。本来、主演者は被害者ですが、助演者が主演気取りです。若しかして、この加害教師の教え子が、長じてバカッターとなり各種迷惑動画を配信しているのではありますまいか。インスタ映えを狙った時代の最先端を教える義務教育の一環と推察する次第です。

続報ではインスタ映えに加えて、思考の飛躍を感じさせるコトに話が展開しました。

事件が報道されることを受けて、神戸市の教育委員会が動きました。委員会は、報道されるまでは知っていて放置していた、全く知らなかったの両説があるようです。しかしながら市教育委員会のとった対策は素晴らしいものでした。

この度は、子供たちの心を大いに傷つけてしまった。彼らの目の前から、事件を思い出させるような物は遠ざけなくてはいけない。「カレー」を給食に出すことを止めこととしました。加えて、正門や家庭科教室の改修です。

私は小噺を作ることが趣味です。日頃からネタを考えます。考えるというよりひねっているのです。心がけの一つに、何かの話題を飛躍展開させることがあります。なるべく飛距離の長い方がいい物ができます。この神戸の件で教育委員会は、先生を総入れ替えするなどといった、視野の狭さ、発想の貧弱さを思わせるようなことは考えませんでした。短距離だとトランプさんも振り向いてくれません。「カレー」を給食に出さない。彼らの発想は小噺級です。当該教育委員会の委員以外で、給食にカレーを出さないことが児童の動揺を抑え、教育に効果があるなどという発想は持てないでしょう。素晴らしい発想です。小噺作成に、大いに参考にさせていただきたいと思います。

彼らの発想の大きさに比べると貧弱のそしりを免れませんが、いじめについていじってみます。

♫この子よう泣く、守をばいじる・・♫

竹田の子守歌です。悲しい歌です。子守は年端もいかない女の子でようで、泣く子は一つ前後の乳幼児を思わせます。子はお腹が空いたか、下が汚れたのか。訴えることが何かあるのでしょう。子守をイジメてやろうなどという下心はないし、子守もそんな下心を恨んでいるわけはありません。私がつらく悲しい境遇にあるのも知らないで泣いて困らせる。これはイジメなんだよ。第三者委員会から見れば、これはイジメではないし、当人もそれほど・・・・。と言う結論になることが目に見えている程度です。でも子守にとっては赤子が泣くのも自分に対するイジメを思わせているのです。境遇がそう思わせています。更に思い募れば、赤子を放り出したくなる。放り出したくなる前で止まる程度の平和がこの歌にはあります。                               

自分自身はどんなイジメに遭ったことがあるか。あります。

小学56年生の頃は疎開児として、異分子として虐められました。中学生の時は、進学の内申書を書かないと先生に脅されました。長じてからは社会人晩年のころ受けたのは今で言うところのハラスメントだった節はあります。少しよく考えてみないと判断しかねます。

見聞きしたことはあるか。あります。

「俺らぁ、どうせシイナだぁ」

小学校の頃、同級生の一人が吐いた言葉です。誰かが虐めたとかいうことではありません。彼は家で何か不当な扱いを受けたようでした。友達と一緒に何かすることをハバにされたのが悔しくて言ったのかもしれません。彼は体も小さく、温和しい子でした。温和しいという言い方は当たりません。ひっそりと目立たないようにしていたという方が正しいと思います。シイナという例えがぴったりだと思いました。妙なことですが、当人の表現が当を得ていると思ったことを鮮明に覚えています。これは絶対にイジメの結果です。当人は耐えてはいましたが、かなり憤っていたのです。それが判っていたから、未だに「シイナ」を覚えています。

「コロシタローカー!」という怒鳴り声を何度か聞きました。

上司が部下に対して発していたのです。現行基準から言えば、絶対的パワハラです。お前はそれを黙って見聞きしていただけで、何もしなかったのかと咎められそうです。その通りです。怒鳴られた方が気にもしていなかったし、丁寧な言葉遣いではあるが、結構大きい声で反論していたので、こちらもそのつもりにしていました。校長先生や教育委員会が事後に吐く台詞の定番と同じです。イジメとかハラスメントだとか、そういう単語も一般ではありませんでした。私だけでなく、その界隈にいた人々はそう思っていたに違いありません。卑怯な言い逃れです。俺もお前も同じ穴の狢です。怒鳴り声は聞くのも気分が悪い。脇にいる者が我慢しなくてはならない程でした。当人は尻をまくってその場を去るか、サー殺せって一度で好いから啖呵を切ってみたかったのではとも思います。

自分自身がイジメを受けたり、周りで受けたりしたことは記憶しています。

己が人を虐めたことはないのか。無い。

断言しているが間違いないか。人に指摘されればあるのかもしれない。指摘されても、俺はそんなことはしてない、言ってない。私はそう主張します。イジメにおいては加害側には自覚がないのが特徴のようです。敏腕刑事に、手練手管で自白を迫られても「ない」と主張するつもりですが、怪しいものです。拷問にでもかけられれば、あること無いこと何でもすぐに自白しそうです。

イジメというのは幅が広すぎてどうもしっくりしません。

この度の加害教師たちもテレビで連日繰り返し、繰り返し報道され、イジメまくられています。私達はそれをテレビ桟敷でみて、薄っぺらい正義感を満たしています。自分がイジメ共犯者に仕立て上げられているような気分でもあります。上から目線で加害教師を見ています。これはイジメです。反省します。もう一つ反省点が見つかりました。子供の心を傷つけないようにとカレーを給食から外した教育委員会の対策を素晴らしいと褒めました。間違いでした。これは他の教師がカレーを見ると真似しかねないと、繰り返しを防止するイジメ対策とするのが正解です。当該教育委員会に思考の飛躍を期待したのは間違いでした。極めて短絡的思考でしょう。

被害教師はもちろん、加害教師、教育委員会のどれも「みじめ」感が漂います。教育環境が悪かったのではないでしょうか。教育の所為です。



それでは小噺を一つ。



対策



 5才の幼児が左頬を酷く張らして保育園から帰ってきた。診察を受ける動画がネットにアップされた。

医者「坊や、どうしてほっぺが腫れたの?酷く叩かれたみたいだけど?」

坊や「うん、ネコ副園長にアカンベーをしたら、・・・痛かった。でも、泣かなかったよ」

医者「副園長に?ネコなの?」

坊や「うん、わかんない。皆がそう呼んでる」

この動画が配信されて、数日のうちに市内の幾つかの保育園でネコが飼われるようになった。

201911