はじめに

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2018年11月6日火曜日

老舗繁盛店


老舗繁盛店

 いにしへより丸よのウナギも風次第

けふここまでもにほひぬるかな



先月号でこの界隈のお店が、後継者不足で閉店している有様を書いた。町内の繁栄を望むものの一人として、引き続き後継者を得て長年繁盛している店について紹介する。100年はおろか200年近く営まれている店がある。

我が家の東隣に食堂三楽がある。食堂という名前が一番合っているお店だ。昼と夕方、大方満員になる。車で来る人が多いようだ。中には食堂にはやや不似合いなベンツで来る人もある。定食が主体だ。店にお邪魔することも時にあるが、隣近所だけは出前をしてくれるのでお願いすることの方が多い。食堂と名乗るからには大本命のご飯が美味しく無くてはいけない。これが素晴らしく上手い。定食として私が一番気に入っているのはロースカツだ。カツだから肉が美味いのは当然として、衣の旨さが類を見ない。スーパーなどで売っているカツは、衣の下に厚手の下着を着けている。この食感はいけない。三楽のカツの衣は薄く、味がいい。

この店には爺ちゃん婆ちゃんが存命の頃からお世話になってきた。爺ちゃんは空になった一斗缶を加工して七輪もどきを作ってくれ、ゴミ焼きに使ったりした。婆ちゃんは、家の者には内緒だよと言いながら、もらい物のお菓子などを運んできたりしたこともある。爺ちゃん婆ちゃんは亡くなってしまった。今はご主人夫婦に息子のアッ君が店をやっている。そのアッ君の子供達が外で遊ぶ。実は反対側の西隣の家族にも小さな子供達が居る。老令化が進む町内では珍しく我が家は子供達に囲まれている。アッ君がまだ何十年はやれるから、その間に今遊んでいる子達がその気になって継いでくれればト、期待が持てる。

通りを越えて曲がったところに大正軒という団子屋がある。「創業明治9年」と垂れ幕にしたためてある。もう一つ垂れ幕には「創業140年」とある。きちんと計算すれば140年を超えているが、毎年更新しても仕方が無いから、140年を迎えたところでそのままになっているのだろう。奇妙な感じがしないでは無い。創業と店名の関係である。明治に創業したとき次の年号の大正をどうして称することが出来たのだろうか。

ここは団子屋だ。ここの団子焼き器は特許権を取得していた。珍しいことだと思う。先代の爺ちゃんがとった自慢の特許だ。何がどの部分が特許の範囲かということは知らないが、団子を連続して焼くことを特徴とする団子製造法に関してのものだ。入り側で串に刺した団子をセットする。団子はチェーンで運ばれて進み、串をつかまれて焼かれタレに浸されてもう一度炙られて仕上がる。従業員が直接火に炙られたりして熱い思いをしなくて好い。店内でお茶を飲みながらだと、この焼きたて団子が食べられる。ただ、機械が休止しているときには、団子2本頂戴とは言いかねる。2本だけがその工程をくぐり抜けることになり迷惑だ。

何台分かの駐車場があるが満車になっていることが多い。時には路上駐車が出るくらいの繁盛である。団子屋ではあるが、おこわのお握りその他のお菓子も売っている。滅多に間食などを私はしないからほとんどご縁が無い。賑わっているなぁと横目で見る程度である。実は昨年まではこの店のおこわお握りを食べていた。町内会が敬老の日に高齢者に記念品?お祝い品?なのか引換券を配っていた。その中に大正軒の券があって、おこわを頂いていたのだ。それが今年から来なくなった。町内会員減少で財政難に陥り、冗費削減の一つとしておこわ配りを無くしたらしい。このところ高齢者への配り物が廃止されている市は市電の無料回数券を止めた。動物園、美術館、など市の設備への無料入場制度も廃止した。

札木通りを挟んで、大正軒のはす向かいにきく宗がある。豊橋名物の菜めし田楽の老舗である。なんと文政年間の創業を誇っている。文政年間ともなれば将軍は家斉様で200年近く前のことである。菜めし田楽とは名の通り、大根と思われる菜っ葉を刻んで入れたご飯と固めの豆腐を串刺しにして炙り、味噌を塗った田楽である。他にイチゴなどデザートがつく。貧乏人には結構な金を出して食べるのが少しばかりはばかれる思いのする代物だ。しかし、年金生活者ばかりで世の中出来ているわけでは無い。店の前には駐車場があって、バスが何台も止まれるようになっている。観光バスを仕立てて大勢の客が訪れ賑わっている。世襲の経営者だった人が調理人になって、伝統の味が保持されているという話があるが、理由は定かでは無い。長い伝統を保持するためにはいろいろあるということのようだ。

札木通りを東に行くと若松園という和菓子屋がある。私は滅多に間食の類いをしないと前述したが、ここのゆたかおこしは好きだ。雷おこしのようなパリッとしたものではなく柔らかい。細かい粉で出来ており、香煎風味である。うたい文句が凄い。昭和天皇ご即位献上菓子である。献上されたゆたかおこしを昭和天皇が食されたかどうかは、恐れ多く思ってか書いてない。私の味覚をもとにして、天皇も満足されたと思いたい。ここは創業が嘉永年間である。嘉永と言えば、ぺりーさんがやってくるなど、太平の夜が明けようとしていた時代である。創業者の意地がかなりのものであったと思われる。すぐに文明開化が訪れ、和物より洋物に移りゆく時代に棹さして和菓子を作りはじめ、売り続けたのだ。

若松園の筋向かい、札木通りを挟んで丸よがある。ウナギ屋である。創業100余年である。古さから言えばきく宗、若松園、大正軒の後塵を拝するのかもしれない。ここの宣伝文句が好い。ベッピンという言葉の発祥だとしている。うちのウナギは美味いぞというのを、うちのウナギは別品だと。この別品が女性に繋がり、すこぶるつきいい女をベッピンと称し、別嬪となったとか。ベッピンという言葉は時に私も使わせて頂いている。土用の丑の日に食せと平賀源内が唱えたとか、ウナギに関するお噺もある。ウナギだけに捕まえどころの無い話なのかもしれない。国語に影響したというのはウナギの品位を高めていて、いい話だ。

このウナギ屋、丸よには別品以外でもお世話になっている。このところ稚魚の不漁によってウナギは大層高い食べ物になってしまった。私如きが頻繁に食するものでは無い。それにもかかわらず、丸よのお世話とは何だ。理由は簡単だ。風向きなのか、繁盛して焼いている量が多いときなのか、その両者なのか。あの匂いが時として漂ってくる。魚を焼く匂いは不快に感じることがままあるが、ウナギを焼く匂いは当たり外れが無い。別品だ。



では小噺を一つ。



プチ自慢 



トランプがジョンウン宅を訪れた。

ト「おう、ジョン!元気そうだな」

ジョ「おや、こりゃぁ珍しい。トラさんじゃあないですか。お久しぶりです」

ト「少しばかり機関の手を借りたが、こうしてお前の住処まで辿り着いた」

ジョ「そりゃぁそりゃぁ、ご苦労様です。大変だったでしょう」

ト「歴代の米大統領がなしえなかったことを俺はやった」

ジョ「たいしたもので。ところで手助けした機関というのは?」

ト「あぁ、斬首作戦を立てている軍などさ」

ジョ「若しかしてその斬首の相手は私のことではありませんか?」

ト「ウン?ソ、その通り。ジョン。年貢の納め時だぞ」

ジョ「恐れ入りました。でもねぇ、トラさん。我が国が得意とする拉致や、身代金作戦を知っているでしょう」

ト「ウン。シンゾウから何度も聞かされている」

ジョ「まあ、ごゆっくりくつろいでいて下さい。その間に制裁の解除と、出来れば身代金を請求してみます。カムサンニダ!」 (2018.11