はじめに

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2014年10月6日月曜日

デンギー
代々木では蚊柱を立て慰霊碑に
とんだことかな飛んだことかな

この度のデング熱騒ぎは、お彼岸が過ぎて落ち着いてきたようです。多くの感染者がでましたが、皆さん軽症で何よりでした。蚊にすればとんだ災難でした。
デング熱と聞いたとたんに、これは大変なことだと思いました。暫く暮らしたことがあるかの国、ブラジルでは結構この病気を気にかけ、注意していました。重症になる人がいたからです。ですから、日本で患者が出たというニュースには、かなりの危機感を持ちました。その割には、専門家のお話などをテレビで見ていても緊張感がなく、これで大丈夫なのかと思った次第です。かの国はデング熱の本場です。彼らはこれをDengue、デンギーと呼びます。本場の人たちがあれほど気に掛けているのに、デンギー後進国の日本人が軽視していいのか。そう思いました。ただ、本場の方の名誉のために言っておきますが、ブラジルはデンギーの本場であっても、元祖ではないようです。元祖は東南アジアだそうです。遥々、地球を半周して居付いてしまったのです。迷惑なことです。
「デンギーが流行りだしたぞ!」
季節が至ると、職場のそこかしこでデンギーが話題になりました。
「かの国のかたたち」でしばしば登場いただいた通訳のタブーシの友達に、河ナントカさんと言う人がいました。日系人です。年金生活の一人暮らしで、電気製品の修理などを片手間にやっていました。仕事場へ一度お邪魔したことがあります。修理をしながら、楽しそうに説明をしてくれました。
「河・の奴、日本へ又行ったようです」
タブーシがかなり冷たい口調で言いました。曰く、河・さんが日本へ再び行ったのは、少しばかり前にデンギーにかかったのが原因でした。彼はデンギーに再びかかるのを恐れて、日本へ退避したのです。彼が日本へ又というのは、その昔、結構長い期間日本へ出稼ぎに行っていたからです。そして、生活の糧である年金は、日本で獲得したものでした。出稼ぎ何年でどの位の年金が受けられるのか知りませんが、かなり長いこと働いたのだと思います。そしてタブーシが、また日本へと冷たく言ったのには訳があります。1998年前半のある日、ブラジル通貨Realはそれまで維持していた1R≒1ドルから、0.5ドルに突然切下がりました。日本円にすれば1R120円強だったのが、突然60円になったのです。因みに、2014年の今は45円余です。河・さんが日本から貰っている年金は円建てですから、一気に倍になりました。勿論、R切り下げで物価も上がりました。3Rだった会社の食堂の昼食代が3.2Rになったり、市内バスの料金1Rが1.2Rになったりしました。Real建で暮らしている人には、かなり大幅な値上げですが、円建てで年金を頂いている河・さんにとっては収入倍増で、この程度の値上がりは屁みたいなものです。
「笑いが止まらんワ!」
河・さんは、タブーシに言わせれば、そう「ホザイタ」のだそうです。このホザキは他の日系の知人からも聞きましたから間違いないことと思います。私はあえてそれをどうこう言いませんでした。なぜなら、私の現地手当は円建てです。「笑いが止まらん」側に属していました。
そのホザキ野郎が、いわば敵前逃亡をしたのです。襲いかかるデンギーから同胞を見捨てて逃げ出したのです。タブーシが冷たく言い放つ所以です。
逃亡を図ったホザキ側にも、尤もな理由がありました。
デンギーのウィルスには複数の種類があるのだそうです。初めてデンギーに感染し発症した場合、それなりの熱は出ますが、寝ていれば大方の人は治ります。ところが二度目の感染で、困ったことが起きます。同じウィルスの場合は免疫があるので発症しないか、しても極めて軽症なのですが、違う種類の場合には重症になるのです。酷ければ死ぬこともあるようです。重症は嫌です。死にたくありません。河・さんが日本へと脱出した理由です。
「モリさん。あんたはデンギーになったら日本へ送還してもらえるから、好いですね」
タブーシは私の手当てが円建てであることを知っているので、河・さんと重ねて、そう言ったように聞こえました。少しばかり、申し訳ない気もしていたので、そう感じました。
 デンギーは人間が宿主とされています。ということは、本来相性がいいはずです。宿主と仲が悪いと、宿主が死んで、ウィルス自身の身が危うくなります。ではなぜ重症となる場合があるのか。これはデンギーのウィルス型間に縄張り争いがあるからではないでしょうか。自分が人間の体内に入る。人は若干の反応を起こすが、抗体を作り、次の感染は軽症ないしは発症しない。ウィルスにとっても安住の血となる。そこへ違う型が入ってくると、排除すべく人間に戦わせ、後続ウィルスの安住の血であることを妨げる。血の争いです。本当っぽい作り話です。デンギーは勢力圏の拡大に蚊を利用します。蚊はデンギーにかからないのか。もう一つの珍説を披露します。蚊はデンギーになります。しかし、潜伏期間より蚊本人の寿命の方が短いのでデンギーを発症したり、デンギーで死んだりしません。時に寿命が長い奴がいて発症して死んでも、誰も気付かないということです。
河・さんがうろたえて日本へ行ってしまった話を聞いても、私自身はデンギーに対する反応は鈍く、この度の代々木関連の方が気になりました。理由は、かの国で、蚊に刺された記憶が無いのです。街中でも蚊を見かけませんでした。路上市場、フェイラは結構ごみごみしていますが、そこでも蚊を見かけませんでした。とは言え、全く蚊に遭遇しなかった訳ではありません。季節になると、蚊が沢山でる所がありました。通勤バスです。蚊の乱舞がしばしばありました。窓ガラスにそばえる様に飛ぶ蚊を押し潰し、並べて数えました。記録は20匹でした。私が自分で始末した数です。他の同乗者は知らん顔しています。奇妙なのは、バスの中に蚊がいるのは出勤時だけで、退勤時にはいませんでした。夜中に駐車してある所に蚊の住処があって、一部がバスの中に入り込むのでしょう。朝、まだ眼が覚めていないのか、雄だけなのか、刺しにくる奴はいませんでした。それでも時には、潰した蚊の赤黄色い血が窓ガラスにべったりと付くことがありました。この時は、いささか気味悪くおもいました。ただ、窓にくっついた蚊はデンギーやマラリヤを媒介する熱帯縞蚊とは違うように思えました。熱帯の方はなじみがありませんが、一筋縞蚊、所謂、藪蚊は我が家の内外を飛び回っており、馴染みがあります。これだけ飛んでいれば、デンギーが日本中に蔓延するのではと思います。その藪蚊の勇姿に比べて、いささか窓にへばりつけられたかの国で見た蚊は貧弱でした。私に簡単に潰されるほど素早さに欠けておりました。縞蚊でないことを承知しているから、同乗者たちは知らん顔をしていたのかもしれません。彼らは本場の人達です。デンギーが流行るとかなり緊張します。その人達が気にしないのです。とはいえ、潰れた蚊からにじみ出た血が気味悪いのは、かの国がデンギー、マラリヤと並んでエイズの本場でもあるからです。
蚊には刺されませんでしたが、ブヨには多くの血を提供しました。職場であるC社の構内にはブヨがウヨウヨいました。何気なく腕を返すと、ブヨが血を吸っています。殺すか逃げられるかして、反対側に返すとそちら側に別の奴が食らいついています。食われた跡は、結構大きく窪んでいます。ブヨが穴をあけ、そこから滲み出る血を舐めていたようです。これを瞬間にやってのけるのです。食われたところは暫くして、猛烈に痒くなります。多い時には十か所位赤くはれ上がりました。奇妙なことに何個食われても痒いのは一か所だけという感じです。そこの痒みが収まると別のところが痒くなります。この痒みは数日間持続します。蚊よりも痒みの激しい奴に数多くやられていたので、時に蚊に刺されても気付かなかったのかも知れません。
一年ほどして河・さんはサントスに戻ってきました。デンギーの心配が無くなったからではありません。折から不況のさなかの日本では、いい仕事が見つからず、年金だけの生活では、笑いどころか、涙も出ない状況だったそうです。生活苦でくたばるより、笑ってデンギーでくたばる方を選んだのです。

では小噺を一つ。

調査報告書のスクープ

アサイチンブンが調査報告書のスクープ記事を一面に載せた。見出しは「30万の虐殺10万の強制連行」となっていた。この記事が世間を騒がせた。機密保持を盾に頑張っていたアアセイ・コウセイ省も、スクープされたとされる調査報告書を公開に踏み切った。

調査報告書
この度のデング熱騒動に際し、コウセイ省は関係者の事情聴取を行った。関係者の証言は以下のとおりである。

デングウィルス;
何処から、どうやって来たかはよく判りません。蚊に乗って飛ぶことはいたしますが、飛行機などというものはよく判りません。人間様には宿主としていつもお世話になっております。居候の身で家主を傷つけるなど、とんでもないことです。代々木公園へは何度か行った記憶があります。

ヒトスジ縞蚊;
仲間が刺した人間に、デングウィルスがいたのですか。私たちにとって、迷惑千万です。おかげで、多くの仲間が薬殺されてしまいました。え?30万匹かですか?イエ、何匹かは知りません。代々木公園にそんなにいますかネエ。まぁ30万だろうと300万だろうと、全滅した訳じゃありませんから、それほどご心配いただかなくても結構ですヨ。

人間某;

熱が出て病院で診察を受けたら、デング熱と診断されました。一緒に代々木公園に行ったのは5人です。公園へ行った皆さん、事情聴取されるのですか?そんなことをしたら10万人以上の人を調べるのですか。私はデング熱になったおかげで、ゆっくり休むことができました。助かりました。なにしろブラックに勤めているので、過労死寸前だったのです。ハイ。 (2014.10)