はじめに

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2019年12月6日金曜日

ツタンカーメンのエンドウ豆


ツタンカーメンのエンドウ豆



豌豆の面倒を見て30

メンデルほどには芽も出ない

 

11月の初旬になると毎年種まきをします。ツタンカーメンのエンドウ豆です。30年前から栽培しています。

ツタンカーメンのエンドウ豆というのは、その出自によるもので、ツタンカーメン印の豆などというものではありません。

エジプト、ツタンカーメンの墓は考古学者ハワード・カーターによって発掘され、多くの出土品がありました。その遺構の中から出てきた豆として、ツタンカーメンのエンドウ豆と称されています。黄泉の世界の食料品の一つのようです。

この種子を手に入れたのは30年ほど前のことです。Tさんという人から頂きました。曰く因縁故事来歴を述べ、興味があるならと数粒を別けてもらいました。

その種子をプランターに蒔きベランダで育てました。白い花の中央が紫の綺麗な花が咲き、やがて実がなりました。成長に従い鞘に紫色が被さりました。普通のエンドウ豆との違いが歴然としました。鞘は紫色ですが、実は普通のエンドウ豆と同じ薄緑色です。豆ご飯を炊きました。炊き上がったご飯は、少しえこひいきしても“そう言えば赤いかなぁ”程度のものですが、炊飯器に何分か保持すると見事に色変わりをしました。小豆の赤飯には及びませんが、綺麗な薄い赤紫色です。じゃぁ小豆の赤飯で好いじゃあないか。ご尤もです。しかしながら、薄緑色の豆から赤紫が染み出すのは、何故かしら不思議な感じがします。神秘です。これぞツタンカーメンと思わせるところです。

以来、30年間、11月初旬に種を蒔き、明くる5月に収穫をしてきました。

今年も112日に「2018収穫」と書いてある封筒から種を取り出し蒔きました。蒔きながら、種の数が少ないのが気になりましたが、準備していた場所には行き渡ったのでよしとしました。夕方、種の保管場所を覗いたところ、似たような封筒を見つけました。「2019収穫」と書いてあります。エンドウ豆は年を越しての収穫なので、去年種を蒔き、今年収穫するのです。今年蒔くべき種は今年の収穫です。間違いは素直に正さなくてはいけません。蒔いた「2018」は取り敢えずそのままとし「2019収穫」分を植木鉢に蒔きました。ついでに「2016」分とかなり「黒みがかった」やつ、それと「Sさん」と書かれた種も蒔きました。

「ツタン・・」を30年前から栽培していると書きましたが、ブラジルにいた3~4年間は中断しています。中断の後に保管してあった種を蒔きましたが、発芽しませんでした。そこで一緒にTさんから種をもらって栽培を続けているSさんにお願いして分けてもらいました。絶滅した佐渡の朱鷺を復活させた手法と同じです。その時の残りが「Sさん」と書かれた封筒に残っていたのです。

図らずも、この度は種子の発芽テストをやることとなりました。学術的でなく、単に発芽を調べるだけですが気分はメンデルです。

一般的に種屋さんで売っているものは袋に発芽率と有効期限が印刷されています。時間経過とともに種子はその使命を全うできなくなるのが定めのようです。

Sさん」・・略20年物、「2016」・・3年物「2018」・・1年物「黒みがかった」・・320年の間物です。それと当年物です。

一時中断中の種が発芽しなかったのは経年劣化によることも考えられますが、保管方法によるのかもしれません。この豆はポリ袋に入れ、戸棚に放り込んでありました。入れ物の通気性が悪く窒息死したというようなこともあるのでは。はたまた、高温、あるいは低温により生命力を奪われたのか。

「ツタンカーメン」の場合、ピラミッドという恒温、恒湿状態が種子の生存に適していたのかもしれません。外気や太陽光など電磁波を受けなかったことも幸いだった節もありそうです。

さはさりながら、「ツタンカーメン」など一笑に付される作り話だ。″嘘だんべぇ″これが通説であり、一番真相に近いのでしょう。

しかし、大賀ハスの例もあります。大賀ハスは2千年前の種子。「ツタンカーメン」は3千年前で千年も古いではないか。いやいや、千年しか違わない。経年劣化の比較に適さない大年数です。

たまたま、大賀ハスは大賀博士という植物学博士の手で復活することができました。「ツタンカーメン」のカーターさんは考古学者です。植物学に造詣がないので、単に遺品として持ち出し、流出した可能性は、・・・・・。おまけに、「ツタンカーメン」では、王家の呪いにより発掘関係者の多くが変死しています。アメン神は聖なる墓地を荒らした人に呪いを降りかけることができる能力を持つ神様です。そこに供えられた物には三千年はおろか、永遠の命が宿っているのでは。

そういうことにして、今年も「ツタンカーメン」を育むことといたします。メンデルにあやかって、テストに供したエンドウ豆がメガデルことを・・。



(蛇足)

「エンドウ豆」ですが、「エンドウ」は漢字で書くと「豌豆」です。「エンドウ豆」は「豌豆豆」です。「万世橋」は交通案内標識のローマ字表記を「Manseibashi Bridge」と変えたそうです。「豌豆豆」は世の流れに沿ったものかもしれません。



それでは小噺を一つ。



三途の渡しにて

 

三途の渡しに長い行列ができていた。受付で何事か言い争い、トボトボと戻ってくる人が何人かいた。レポーターがそのうちの一人をつかまえて話を聞いた。

R「ずいぶん長い列ができていますが・・、お尋ねしてよろしいでしょうか?」

亡「どうぞ」

R「あなたはここへ何しに来ましたか?」

亡「何しに?!もちろん死んで、あの世とやらへ行くためです」

R「受付で揉めている人が大勢いるようですね?」

亡「はい」

R「いつもこうですか?」

亡「いつも?!私は初めて死にましたから、判りません。前世のテレビでレポーターがしばしばくだらない質問をしていましたが、あなたでしたか?」

R「失礼しました。・・で、こちらへ戻られたのは?」

亡「私は長い年金生活で、めいっぱい長生きしました。貯めた二千万円を、渡し賃を残して、綺麗さっぱり使い切りました。これを見てください」

そう言って、亡者は残高がゼロになった貯金通帳とチラシを見せた。チラシには次のようなお知らせが書かれていた。



「お知らせ  

古来、三途の川の渡し賃は六文と定められておりました。しかしながら、この度、消費税が十%となり、経営努力によるだけでは価格維持が困難となりました。つきましては渡し賃を七文に改定させていただきます。亡者各位にはご理解、ご了承の上お支払いをお願いいたします。

令和元年十月吉日 渡し守                     」



201912

2019年11月6日水曜日

いじめみじめ


いじめみじめ

正義の味方はテレビジョン

惨めな姿の先生使い 虐めた先生いびってる



神戸のカレー事件には吃驚しました。イジメとされていますが、これは事件だと思います。動画をこれでもかこれでもかと、何度も見ました。羽交い締めにされ、カレーを口に入れられるやら、目や口に塗りたくられています。痛いだけではなく、尊厳を酷く傷つけられています。この事件は被害、加害者ともに先生だということです。まぁ、落語の枕で、先生というのは「マズイキテル」と読むとされているので、驚いてはいけません。

人間の体に食品を盛り付けて興に入る宴席があります。女体盛りと称します。日本の芸者遊びの一つかと思いますが、フランスでも似たような遊びがあるようです。女体盛りは、盛り付けられた料理を取って食べるという趣向ですが、カレー盛りは塗りつけて、嫌がる、痛がる人を見て喜ぶというもののようです。前者は食欲増進に役立つかもしれません。盛り付け容器に擬せられた人は早く食べて貰わないと風邪を引きそうです。でも、ご祝儀の奮発が期待でき、商売として成り立っています。後者は支配欲増進なのでしょうか。対象者は炎症を起こします。おまけに、先生はご祝儀どころか、残業手当も貰えません。

加害者側の撮影のようですが、どうして犯罪の証拠となりかねない動画を残し、世間にさらしてしまったのでしょう。理解できません。加害仲間の内部告発ではなさそうだし、金になったのか、誇りたかったのか。今はやりのインスタ映えを狙った作品という代物でしょうか。本来、主演者は被害者ですが、助演者が主演気取りです。若しかして、この加害教師の教え子が、長じてバカッターとなり各種迷惑動画を配信しているのではありますまいか。インスタ映えを狙った時代の最先端を教える義務教育の一環と推察する次第です。

続報ではインスタ映えに加えて、思考の飛躍を感じさせるコトに話が展開しました。

事件が報道されることを受けて、神戸市の教育委員会が動きました。委員会は、報道されるまでは知っていて放置していた、全く知らなかったの両説があるようです。しかしながら市教育委員会のとった対策は素晴らしいものでした。

この度は、子供たちの心を大いに傷つけてしまった。彼らの目の前から、事件を思い出させるような物は遠ざけなくてはいけない。「カレー」を給食に出すことを止めこととしました。加えて、正門や家庭科教室の改修です。

私は小噺を作ることが趣味です。日頃からネタを考えます。考えるというよりひねっているのです。心がけの一つに、何かの話題を飛躍展開させることがあります。なるべく飛距離の長い方がいい物ができます。この神戸の件で教育委員会は、先生を総入れ替えするなどといった、視野の狭さ、発想の貧弱さを思わせるようなことは考えませんでした。短距離だとトランプさんも振り向いてくれません。「カレー」を給食に出さない。彼らの発想は小噺級です。当該教育委員会の委員以外で、給食にカレーを出さないことが児童の動揺を抑え、教育に効果があるなどという発想は持てないでしょう。素晴らしい発想です。小噺作成に、大いに参考にさせていただきたいと思います。

彼らの発想の大きさに比べると貧弱のそしりを免れませんが、いじめについていじってみます。

♫この子よう泣く、守をばいじる・・♫

竹田の子守歌です。悲しい歌です。子守は年端もいかない女の子でようで、泣く子は一つ前後の乳幼児を思わせます。子はお腹が空いたか、下が汚れたのか。訴えることが何かあるのでしょう。子守をイジメてやろうなどという下心はないし、子守もそんな下心を恨んでいるわけはありません。私がつらく悲しい境遇にあるのも知らないで泣いて困らせる。これはイジメなんだよ。第三者委員会から見れば、これはイジメではないし、当人もそれほど・・・・。と言う結論になることが目に見えている程度です。でも子守にとっては赤子が泣くのも自分に対するイジメを思わせているのです。境遇がそう思わせています。更に思い募れば、赤子を放り出したくなる。放り出したくなる前で止まる程度の平和がこの歌にはあります。                               

自分自身はどんなイジメに遭ったことがあるか。あります。

小学56年生の頃は疎開児として、異分子として虐められました。中学生の時は、進学の内申書を書かないと先生に脅されました。長じてからは社会人晩年のころ受けたのは今で言うところのハラスメントだった節はあります。少しよく考えてみないと判断しかねます。

見聞きしたことはあるか。あります。

「俺らぁ、どうせシイナだぁ」

小学校の頃、同級生の一人が吐いた言葉です。誰かが虐めたとかいうことではありません。彼は家で何か不当な扱いを受けたようでした。友達と一緒に何かすることをハバにされたのが悔しくて言ったのかもしれません。彼は体も小さく、温和しい子でした。温和しいという言い方は当たりません。ひっそりと目立たないようにしていたという方が正しいと思います。シイナという例えがぴったりだと思いました。妙なことですが、当人の表現が当を得ていると思ったことを鮮明に覚えています。これは絶対にイジメの結果です。当人は耐えてはいましたが、かなり憤っていたのです。それが判っていたから、未だに「シイナ」を覚えています。

「コロシタローカー!」という怒鳴り声を何度か聞きました。

上司が部下に対して発していたのです。現行基準から言えば、絶対的パワハラです。お前はそれを黙って見聞きしていただけで、何もしなかったのかと咎められそうです。その通りです。怒鳴られた方が気にもしていなかったし、丁寧な言葉遣いではあるが、結構大きい声で反論していたので、こちらもそのつもりにしていました。校長先生や教育委員会が事後に吐く台詞の定番と同じです。イジメとかハラスメントだとか、そういう単語も一般ではありませんでした。私だけでなく、その界隈にいた人々はそう思っていたに違いありません。卑怯な言い逃れです。俺もお前も同じ穴の狢です。怒鳴り声は聞くのも気分が悪い。脇にいる者が我慢しなくてはならない程でした。当人は尻をまくってその場を去るか、サー殺せって一度で好いから啖呵を切ってみたかったのではとも思います。

自分自身がイジメを受けたり、周りで受けたりしたことは記憶しています。

己が人を虐めたことはないのか。無い。

断言しているが間違いないか。人に指摘されればあるのかもしれない。指摘されても、俺はそんなことはしてない、言ってない。私はそう主張します。イジメにおいては加害側には自覚がないのが特徴のようです。敏腕刑事に、手練手管で自白を迫られても「ない」と主張するつもりですが、怪しいものです。拷問にでもかけられれば、あること無いこと何でもすぐに自白しそうです。

イジメというのは幅が広すぎてどうもしっくりしません。

この度の加害教師たちもテレビで連日繰り返し、繰り返し報道され、イジメまくられています。私達はそれをテレビ桟敷でみて、薄っぺらい正義感を満たしています。自分がイジメ共犯者に仕立て上げられているような気分でもあります。上から目線で加害教師を見ています。これはイジメです。反省します。もう一つ反省点が見つかりました。子供の心を傷つけないようにとカレーを給食から外した教育委員会の対策を素晴らしいと褒めました。間違いでした。これは他の教師がカレーを見ると真似しかねないと、繰り返しを防止するイジメ対策とするのが正解です。当該教育委員会に思考の飛躍を期待したのは間違いでした。極めて短絡的思考でしょう。

被害教師はもちろん、加害教師、教育委員会のどれも「みじめ」感が漂います。教育環境が悪かったのではないでしょうか。教育の所為です。



それでは小噺を一つ。



対策



 5才の幼児が左頬を酷く張らして保育園から帰ってきた。診察を受ける動画がネットにアップされた。

医者「坊や、どうしてほっぺが腫れたの?酷く叩かれたみたいだけど?」

坊や「うん、ネコ副園長にアカンベーをしたら、・・・痛かった。でも、泣かなかったよ」

医者「副園長に?ネコなの?」

坊や「うん、わかんない。皆がそう呼んでる」

この動画が配信されて、数日のうちに市内の幾つかの保育園でネコが飼われるようになった。

201911

2019年10月6日日曜日

忘却とは


忘却とは

忘却とは忘れ去る事なり 

忘れさりて忘却を恨む心の悲しさよ



免許証更新のための認知症検査を受けました。

結果通知が来ました。見事、甲種合格です。早速、次の段取りの講習を申し込みました。2時間の講習です。乙種だと3時間講習です。丙種ともなると、機能低下が著しいと疑われ、受講ではなく受診になるのだそうです。2時間講習はお安くなっています。検査時の説明では、できが悪いと金がかかるよと脅かされました。受診にまで低下している気遣いはなさそうだと舐めていましたが、三年前に比べ程度は悪くなっていました。己の記憶力低下を思い知らされました。この度は、受験手順が変わっています。三年前は、今回のペーパーテストのほかにシミレーターでのテスト、それに運転実技が一緒でした。この部分がペーパーテストによって仕分けされ、切り離されて別途受講という手順に変わっています。その都度お金が必要であり、時間も余分にかかります。爺婆の免許証更新に手間暇と金を掛けさせようという魂胆です。面倒くさくして返納を促し、貯め込んだ小金を吐き出させる国策です。上手な仕掛けです。大いに賛成します。

忘却とは忘れ去る事なり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ“

連続ラジオ放送劇「君の名は」の初めに流れた語りです。女湯が空になると囃された大ヒット番組です。中学生の頃でした。物語をまともに聞いていたという記憶はありませんが、なぜかしら、認知症検査を受けた帰りにこの語りの文句を思い出しました。

60年余昔のラジオドラマの枕を覚えているのです。覚える必然性も無ければ努力をしたわけでもありません。覚えているのです。

忘却とは忘れ去る事なり・・・・・“に続いて、急に過去から現在に思考が戻りました。できなかった問題の答えです。絵を見て、雑念を仲入れして、何の絵が描かれていたか思い出す例のやつの答えです。16問中4つができませんでした。ヒントを見て書く段になって1つを思い出しました。結果として3つがダメでした。その3つを車の運転中に思い出したのです。

乗り物=「ひこうき」、台所用品=「やかん」、果物=「れもん」の3つです。

なぜ駄目だったのか。反省、併せて自分自身への言訳を考えました。

「ひこうき」はもう長いこと乗っていません。それと乗り物という分類がそぐわない気もします。「やかん」は我が家にはありません。ポットと早沸きのケトルで湯を沸かしています。「ひこうき」や「やかん」を見たのは、遠い過去のことだから忘れていて思い出せないのだ。そうだ、そうだ。大いに納得し、心安らかになりました。困ったのは「れもん」です。我が家にはレモンの木があります。毎年百個に余る実をつけます。今は青い実が鈴なりです。それなのに、それなのにです。そもそも果物はそのままパクリと食べるものです。レモンは直には食べません。果物という分類が・・・。でも果物だよなぁ・・です。

もう一つというか二つというか、引っかかった物があります。

ヒントを見て書く段です。動物の項目にペンギンと書きました。進んでいくと鳥が出てきました。鳥は何だったべか。ペンギンは鳥だ。そうそう、動物はウサギだ。でも、ウサギは一羽、二羽と数える。ペンギンは・・・・・・。紛らわしい。

運転しながらくだらないことを考え続けるのは良くない。帰ってから考えよう。

忘却とは忘れ去る事なり・・・・・“は短いから覚えているのだと思い返しました。帰宅してから、長いやつを唱えてみました。

チンオモフニワカコウソコウソクニヲハジムルコト・・・・・・・・・“

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩・行深般若波羅蜜多 ・・“

完璧に復唱できるつもりでしたが、駄目です。所々思い出せないところが両方共にありました。何年か前にやってみたときはちゃんとできました。経年劣化です。

 甲種合格通知を受取った日に、学生時代の仲間のMLに戦時中の歌に関するものが掲載されました。右翼の街宣で、大音響で流される軍艦マーチをヒントに当時のこの種の歌を思い出してみたそうです。この御仁、二日間掛けて考えたということです。結果18曲を思い出しました。二日間考える持久力もたいしたものですが、思い出した曲数が18曲というのも驚きです。私は18曲の中で、1曲は知りませんでした。試しに17曲の一番を歌ってみました。全部歌えました。そこで、他に知っている曲の一つや二つはあるだろうと思い、二日は無理なので、十分ばかり考えました。一つも出てきません。アッタ!あったと喜んで見直してみると、18曲の中にあるではありませんか。たった今歌ったのに、それを忘れているのです。その後、MLには、あれがある、これがある。こんなのが思い浮かんだがどうだろうか。等など皆さん脳活動を活発化させ、いつ覚えた、それは戦後だとか、結構楽しく賑わいました。

 二年ほど前に書いた「うたごころ」でFORESTAの歌う懐メロを聴きながら、原曲をうたった歌手の名前を思い出すお遊びを紹介しました。あの場合は曲名、作詞作曲者名、年月に加えて肝心の曲が唄われるのです。戦時中の歌で知っているものを思い出せという命題は情報が少なすぎます。FORESTAの場合、情報はたっぷり与えられ、そこで歌手を思い出すのですから、楽なはずです。それでも名前が出てこないことが結構沢山あります。モゾモゾ感のままで、終わりの画面に歌手名が出ると、そうだ、そうだったのだと安心感、安堵感が少しの口惜しさとともに出てきます。

受験帰りの車の中で問いの答えを思い出す。戦時中の歌では、人の思い出したものはわかる。FORESTAでは字幕でホッとする。

 記憶低下といわれるが、少し違うようです。記憶は大方残っています。ヒントとか時間があれば出てきます。必要な時に思い出せないだけです。忘れたりしてはいません。古いことは覚えているが、新しいことは覚えられない。古いことは出てくるが、新しいことは出てこない。これが正解ではないでしょうか。思うに脳細胞の未使用領域が少なくなっていることもあり、データーの断片化が起きているのです。古い記憶は断片化していないから、比較的早く思い出せるのに対して、新しい記憶はバラバラに収納されているので時間がかかるのです。デフラグが必要です。脳みそのデフラグ方法ですか。知りません。パソコン用語はほとんど判らない、理解できないのですから無理です。一つだけパソコン用語で知っていて、この問題解決に役立つものがあります。内緒でお教えします。「初期化」です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



では小噺を一つ。



ヨレヨレ詐欺



 オレオレ詐欺の受け子が標的の家にやってきた。玄関でそれらしい年寄りが応対した。

受「孫の太郎さんが急用で来られなくなり、頼まれて来ました。お願いしてあるお金を頂いて参ります」

婆「ハイハイ、ご苦労様。事情は電話で聞いて承知しております。少しお待ちください」

お婆さんは奥へ取りに行き、暫くしてかなり分厚く膨らんだ封筒を持ってきた。受け子はそれを受け取ると、さっさと玄関を出た。

暫くして、受け子が息せき切って戻ってきた。

受「こっ、こ、これは何ですか!?」

婆「おや、どうかしましたか?」

受「こっ、こ、これは本物のお金なんかじゃアありません!玩具のお札です」

婆「おや、何をおっしゃいます。太郎はそれをママゴトでよく使っていました。今でも通用します」



 (201910

2019年8月6日火曜日

豚コレラ


豚コレラ



トントン豚コロリと隣組、あれこれ面倒殺処分

              詰め込められたり埋めたり



私、生まれも育ちも美濃の山奥です。姓はトンコ、名はレラ。人呼んで豚コレラと発します。

人様には豚コレラなどという名前で呼ばれていますが、私たちは美濃の山奥で暮らしていました。暮らしていたのは美濃に住む猪の体の中でございます。猪と私たちは、それぞれに分をわきまえて仲良く共生していました。少し面はゆい点はございます。仲良く共生というのは私どもの一方的な思い込みで、猪にしてみれば何のことやら、まぁ何にも感じていないことかもしれません。猪にはあまり恩恵はなかったと思います。彼らは、元気に山の中を駆け巡り、地の中、木下の食べ物をとり、それなりに平和に暮らしていたのでございます。

人間は私たちのような形態のものを常在ウィルスと呼んでいるようです。平和に共生していると言いましたが、常在菌、常在ウィルスの生態は守っています。猪が年取ってきて弱ると、私たちは活動を始めます。誤解されるのは嫌ですから、あえて申し上げておきます。私たちが活動を始めるのは、決して弱いもの虐めのためではありません。弱った猪に元気を戻して貰おうという応援のためなのです。只、この手の活動には、跳ね上がり者がいくらかいるのはつきものです。仲間の気持ちを考えもしないで、いい気になってここぞとばかりに暴れ回る輩がいるのは本当に困ります。そいつらによっていわゆる豚コレラという病を発症してしまいます。このことで重症化した猪は死んでしまいます。ある意味では、自然界での高齢者対策でもあります。

昔は猟師が鉄砲を持って猪を撃ちに山に分け入ってきました。時にはトンコ・レラを発症して死んでいるやつを見つけたかもしれません。新しいやつは担いで持って帰ったでしょう。私たちは人間の体内では、なぜかしら元気が出ません。ですからその猪を食べたからってどうってことはありませんでした。相性が悪いのです。

どのくらい前だったでしょうか、山が荒れ木の実はならず、雨も少なかったのか、ミミズなども少なくなって彼ら猪の生活は厳しいものになってしまいました。もちろん私たちトンコは猪におんぶに抱っこのご身分ですから、けっこう長い間異常に気づかなかったのでございます。猪たちは餌を探して山を下りてみました。なんとそこには、いろいろな食べ物が一面にあるではありませんか。次第に多くの猪たちが降りてくるようになりました。そこは人間の住む領域です。人間はそこを里とか里山とか読んでいました。猪が里山にやってきて暫くすると、人間は柵を作り、鉄砲や爆竹で脅かし始めました。猪にとっては、それは怖いものでした。

ところが、かなり時が立っていたと思いますが、人間が滅多に来なくなりました。訳が分かりません。作物は申し訳程度に植えられていて、周囲に張られた柵に触れると痺れがはしるような仕掛けがあるところもあり、猪はびびりました。ストレスがたまり、疲労がたまりました。猪が疲れてくると、私たちは困ります。元気になっておくれ!みんなで応援をしました。応援が足りない。数を増やしました。数が増えすぎて、猪が参ってしまうようなことも起きました。帯状疱疹などという人間の病気も、ご本人が疲れると救っていたウィルスが応援合戦を繰り広げ、やり過ぎで痛みが出るというではありませんか。私たちトンコ・レラの場合も同じ様な関係なのでしょう。すみません。知りもしないこと、いい加減な物言いをして。そんなこともあって、年取った猪だけでなく、若い威勢のいい猪も発症して死んでしまうようなことが起きました。

いつの頃からか、美濃の里で人間が豚を飼うようになりました。以前は間違って里に猪が下りても、豚なんぞはいませんでした。その豚小屋のすぐ湧きでくたばったのもでました。餌を求めて歩き回っているうちに、豚の餌を失敬したり、ついでに製品を置いてくるやつもいました。

そんなこともあって私たちは豚の体に入ることに成功してしまいました。新天地を得たつもりでした。栄養満点の豚がゴロゴロ居るではありませんか。ところが、道を踏み外してしまったようです。元気のいい、栄養満点の豚。実際、豚の中に入ってみると住み心地は満点でした。新居です。皆が皆、元気溌剌、はしゃぎ回りました。これがいけなかったのかもしれません。ようやく落ち着いたと思った途端に、豚が次々と死んでしまったのです。私たちも少しばかりはしゃぎすぎたのは否めません。それにしても、若いくせになんと豚の意気地のないことでしょう。何でも、抗体とかいう物を持っていないため、私たちが少しはしゃいだだけで、くたばってしまうのだそうです。

ワクチンというものがあるそうです。人間はこれを猪に食べさせて、豚コレラの広がりを抑えるんだそうです。何匹の猪が食べるんでしょうか。私たちとしてはなんとか頑張って、すり抜けてほしいと思っています。

罹患して困るのは豚のはずです。養豚を生業にしている人間も大層困っていると聞きます。豚にワクチンを!猪は我が故里です。ここを住めないようにされると、私たちは絶滅危惧種になります。ワクチンを猪にとはどういうことなんでしょうか。ワクチンを食べると、私たちは猪に住めなくなるのでしょうか。それとも、猪も私たちトンコ・レラも生き延びられWin-Winの関係が築きあげられるのでしょうか。そうあってほしいものです。

人間は「豚」とか「豚野郎」と言うときは、相手を見下しているとのことです。猪の方は「猪武者」などと使われるそうですが、前掛かりの強さは小馬鹿にされていますが、元気の良さも表しているんだそうです。ですから、私たちは「豚コレラ」と呼ばれるのは愉快ではございません。差別用語です。適切な、なにがしかの名前は必要なようです。そこで「トンコ・レラ」と名乗って、人間様にはそう呼んでいただきたいと思っている次第です。カタカナ語の方が格好いいという風評もあります。始めにお断りすべきかとは思いましたが、人間が豚コレラと呼んでいる物をトンコ・レラとさせていただいた次第です。生意気というお言葉は甘受いたします。尚、アフリカ豚コレラというのが、中国東北部で流行っていて、とても強いそうです。私たちトンコ・レラのパクりでも何でもなく、全く関係ありません。お間違いなきように。

正直なところ、豚には偏見があります。狭いところで不自由な暮らしをしているせいか、酷くヤワです。私たちが住み着くとすぐにくたばってしまいます。中には抵抗しているやつもいるのですが、殺処分という凄惨な目に遭います。いつまで経っても私たちに免疫を持ち共生できる豚になりません。誠に不都合です。仮に免疫ができても、人間に豚野郎などと差別用語として使われる輩には住み着きたくありません。是非、猪にお願いしたいものです。

豚に侵入してしまったために、危うく絶滅の危機にさらされています。

トンコ・レラです。トンコリタです。



それでは小噺を一つ。



Made in Japan



ソウルの日本大使館前で反日アピールが行われていた。何個かの段ボール箱が並べられ、それぞれに日本の会社のロゴや製品名が描かれていた。人々はそれらを思いきり踏んづけて潰し、気勢を上げた。中の一つが何回踏んづけても潰れなかった。一人の男が不審に思って箱を開けてみて、思わずつぶやいた。

「ハズキルーペだ。さすがMade in Japan !



20198


2019年7月6日土曜日

今月ァ足りない


今月ァ足りない



年金暮らしの残高照会オレオレ詐欺か金融庁



政治がらみはあまり好きではありません。ただ、このところ腑に落ちないというか、気に入らないというか、そんなニュースがありました。政府や国会議員の方々が、妙に暇そうで、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って叱ってやりたくなりました。

♫コンゲツァタリナイ、カリネバナラヌ。ムライサンチノハトドケイ♫

二千万円不足です。金融庁が年金だけでは老後の資金が賄えず、二千万円が必要だと報告しようとしたことに関して、問責だの不信任だの大臣の首を取るなどと、取れないのを承知で、騒ぎ立てています。首を取るのに百メートル以上離れたところで段平を振り回しているの図です。暇そうです。

コースへ行ってゴルフをやるには、・・・なかなか・・。そこで、私はしょうこと無しに、素振りをやって暇つぶしをやっています。暇だけは間違いなくあります。素振りも、間違ったホームでやると下手くそになるそうです。

金融庁は不足分を補うには投資をやるべしと言いたいのだという説があります。株屋さん辺りとつるんだ話かもしれません。

金に関わる話、とりわけ投資、株がらみに関しては音痴の域を脱して外れます。外れて話を進めます。反対車線に出て逆行するほど外れていないと思っています。

不足の二千万円は夫婦二人を前提に計算したようです。不足額二千万円は平均額です。こういったお話しで、平均値というのはどんな意味があるのでしょうか。分布はどんな格好をしているのでしょうか。平均値というのは一見意味がありそうですが、使い方を間違えると、ほとんど意味をなさないものになります。

こちらも平均値です。日本国民一人当りの平均貯蓄額はおよそ一千万円です。夫婦二人ですと二千万円です。年金だけでは不足する二千万円と完全に一致します。老後の生活には年金とこの貯蓄額で充分生活できます。そういうことに相成ります。平均値で論ずると、金融庁報告の瑕疵は足りないとしていることです。平均値ではこういうことになります。勘定合って銭足らずということです。金が足りないなどというのは、年金マンになって急に始まるわけではありません。いつも人は何らかの努力、多くの場合節約等でやりくりをしているはずです。その個人の努力が及ばない場合の対策、施策を考え、実行するのが政府や議員の先生方の仕事です。顔が赤くなるほどの正論ですゾ。

私は年金生活を二十年近くやっています。ベテランです。年金マンになる直前にはいささかの不安がありました。直後には、本屋に行かずに図書館に行くというような色々努力の一つや二つはやりました。ベテランの域に達した今では、本屋と図書館の両方へ行っています。やりくりしています。

さて、前提の計算年数に、あと十年あまり。財政破綻無しでやれるか。

なんせ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」など誰も忠告してくれません。もしかして財政破綻前に「ボーっと死んでんじゃねーか!」って言われるかもしれません。

♫コンゲツァタリナイ、カリネバナラヌ・・・・♫

知っていますか?

元歌は

Come, Mister tally man, tally me banana. Daylight come and me wan' go home

ハリー・ベラフォンテのバナナボートソングです。

二千万円不足問題を耳にしたとき、すぐに浮かんだのが、

♫コンゲツァタリナイ、カリネバナラヌ・・・・♫でした。

♫地球の上に朝が来る♫ 歌謡漫談、川田晴久が歌った替え歌です。多分一度しか聞いていないので、ムライサンチノ・・は間違っているかもしれません。駄洒落ってもいないし、鳩時計が何のことかも判りません。1950年代も終わりの頃の歌です。今月は足りない、誰か貸してよ。足りない人に貸しても、高度成長時代だったあの時は、返ってこない、返えす見込のない人が少なかったのかもしれません。今の時代、これから年金だけで生活できない人に、金を貸す人は居ないでしょう。よしんば借りられたとしても、返せるでしょうか。家屋敷があれば、それを質に貸す会社があるようです。死んだら質流れです。逆生命保険みたいなモノです。TVコマーシャルでやるくらいですから、時流に乗っているんでしょう。そうでもないと、ジジババには貸す人なんか居ません。還付金が戻ってくると親切に教えてくれる人は結構居ます。私にも数人から電話がありました。お言葉に甘えないようにしております。



次はレジ袋のことです。

この国は民主主義。または資本主義国家を標榜しております。政府も暇を持て余して、何か政策を進めなくてはと思ったのでしょう。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って言われないために。レジ袋をただで配ってはいけないという法律を作るんだそうです。

この話を耳にしたとき、思い浮かんだのは、マラウイ共和国のおなら禁止法です。効果が本当に期待できるのか。軽すぎないか。率直に言えば『屁』みたいな話と思った次第です。

世の中で、少し狭めてこの国で、モノを只で配ったら行けないという法律はあるのでしょうか。もちろん、家屋敷、金塊、宝物、お金など財産と言われるモノを子や孫にただで配るのはいけません。お国への配分を忘れたり、ズルしたりしては困ります。でも、お洒落なお飾り、小遣いなどを何かにつけて与えるのは法律で禁じていません。レジ袋は財産と評価される程の量を個人で貰っても困るだけです。それをただで配ってはいけないという法律を作る。それも単にレジ袋という単品対象のようです。

有料化するのは、環境問題を解決するための手段だとされています。プラスチック片が魚の内臓に入っていた。ストローが鼻に刺さった亀がいた。海洋をプラスチックが大量に漂っている。気分の悪い、おぞましい光景です。困ったことです。なんとかしなくてはなりません。

私が時折行くスーパーではレジ袋はすでに有料です。結構多くの人が手提げ袋を持って買い物をしています。ポリ袋があってそれに詰めてくれるモノもあります。これは無料です。全国的に無料で配られているレジ袋がどのくらいあるのでしょうか。大方は有料で、無料はそれほどの割合ではないと思います。

プラスチックの2%ほどがレジ袋のようです。98%のプラスチック製品は無料ではいけないという法律はないでしょう。なんかの景品で配られるモノには結構プラスチック製品があります。身の回りのモノの大部分はプラスチックか、プラスチックで覆われたモノです。98%は放っておいて、2%の更に少ない無料部分を有料化して、廃棄量を減らす。そのために法律をつくる。ナンボの効果が出るのでしょうか。

禁止すれば別です。禁止することで効果はでます。おならは法律を持って禁止しても、出物腫れ物ですから減りはしないでしょう。プラスチックは間違いなく減ります。紙や木製品など代替品への変換が起きます。レジ袋は小物としての使い勝手が有効ですが、中には使う必要のないものもあります。例えば、ストローの大部分は無用です。飲み物を飲むのにストローはいりません。湯飲、コップの類いから口へ直接飲めば好いのです。ストローは法律で使用禁止にしてはいかがでしょうか。モトへ!プラスチックストローを本物のストローに戻すだけでもかまいません。

法律というはもう少し重みのあるモノです。レジ袋は軽すぎます。もちろんおならはもっと軽うございます。



それでは小噺を一つ。



豚コレラ



この度の中朝首脳会談において密約がなされた。FNN(フェイクニュースネットワーク)ではその情報をさる筋から入手した。



致死性のアフリカ豚コレラが中朝国境を挟んで流行の兆しがあることに鑑み、次の手段を講じることとする。

1,        罹患が確認された場合、豚のみを、直ちに処分する。

2,        半径1Kmにわたって自国のみの消毒を行う。

3,        罹災状況のみ双方確実に連絡する。

4,        豚の処分を行った場合、人民日報、労働新聞1面にそれぞれの首脳の当日の元気で和やかな写真を掲載することにより、風評の流布を防ぐ。



なお、情報筋は1,~4,の各項目の詳細内容については説明を拒んだ。

20197

2019年6月6日木曜日

帯状疱疹


帯状疱疹

 度々病んで夢に患部を掻きまくる



  帯状疱疹なるものを患ってしまい・・云々と発送文に書いたところ、多くの方からお見舞いをいただきました。結構この病気を経験している人が多くいたのには驚きました。病院で言われるまで、私は帯状疱疹なる病名も知りませんでした。

発症したのは2月の初めです。

1日目;腰部、背部湿疹気味

2日目;少し痛みを感じる

3日目;湿疹が広がり、一部隆起

4日目;皮膚科受診:帯状疱疹と診断:飲み薬&塗り薬7日分

5日目~湿疹が黒色&白色

痒み→痛み

10日目;受診:飲み薬&塗り薬によるウィルス治療完

;痛み→飲み薬

20日目;受診:痛み止め飲み薬(痛んだ神経の修復剤)

その後、神経修復剤は倍々と増量:痛みは若干和らぐも今も続く



発症して4ヶ月が過ぎました。当初一日251錠だった薬を、今は754錠と12倍の量を服用しております。座ると痛かったお尻の部分の痛みが少し和らいできました。痺れ感が残ったままです。帯状疱疹との関係は判りませんが、右足裏に若干の腫れがあり、よろけ歩きになることがあります。

全治4~5ヶ月ということですので、あと一ヶ月ばかりの辛抱かと思います。ただ、高齢者は治りにくいそうです。お見舞いをいただいた経験者の方が罹患したのは、もう少し若い時でしょうから、私の場合は一生モノかもしれません。

少し和らいだとは言え、痛み、腫れは続いています。怨み辛みの類い、帯状疱疹に関する悪口、愚痴を言いたくなります。お付き合いください。

発病原因は水疱瘡のウィルスだそうです。このウィルス、長年にわたって私の神経細胞に巣くっていたようです。それが隙を突いて、突然暴れ出しました。宿主の免疫が低下すると動き出すとされています。神経細胞にとりついて、十分な栄養となにがしかの働きをしながら、安定した生活を送っていたはずです。一度の水疱瘡発症による働きで、長年年金生活をしてきたところです。それが突然の反乱です。何か不満があったのでしょうか。

水疱瘡を患った記憶はありません。記憶の彼方で、かなりの幼少期に患ったんだろうと思います。さすれば、少なくとも70年以上前のことです。70年以上暮らしてきた宿主に対して長年の恨み辛みを晴らさんと立ち上がったのです。宿主である私としては、何ら覚えのないことに対する怨み辛みです。このウィルスは馬鹿ではないかと思います。反乱後、わずか1週間で退治されてしまいました。皮膚科の先生は、まだ痛いし、腫れも、ボロもあるという私の主張に対して、ウィルスは1週間分の飲み薬と塗り薬によって完全に駆除されたと宣言しました。病名をも知らなかった無知蒙昧な輩の私としては承服するよりありません。ウィルスは滅んだのです。とはいえ、なんとなくISに勝利宣言したアメリカをはじめとする国々の言い草を思うのです。IS同様に、私の体のどこかにひそかに潜伏しているのではないでしょうか。

この病気の特徴の一つは半身にしか出ないことです。

左翼小児病という共産主義者、左翼を蔑視する言葉があります。対語としては右翼老人病とでもいうのでしょうか。私の場合は右半身に出現しました。対語としては当を得ています。老人性という冠のついた病気は老人性白内障と老人性イボというのを患ったことがあります。イボの方は昨年ですから、老人性という冠を甘受しますが、白内障は40歳代の時です。医学用語として不適当です。帯状疱疹は老人性水疱瘡という名前の方がよさそうに思います。病名はだれが決めているのでしょうか。国語審議会ならぬ、医学語審議会などがあるのでしょうか。言霊の国です。慎重審議の上決定いただきたいものです。

ウィルスは馬鹿ではないかなどと誹りましたが、奇妙な判別能力を持っていると思われます。ウィルスはどうやって、私の右半身の神経節を検知、判別したのでしょうか。右利きですから右の神経のほうが優れて活動し、活動の強い方がいいなどということがあるのでしょうか。それとも左半身には何らかの欠陥があり、住み心地が悪いのかもしれません。不思議なことです。

いただいた情報の中には、ワクチンが有効だというのがありました。事後のこととてそうですねとしか言い様がありません。そう言いながら、事前であっても役に立ちません。駄目です。言っていてくださればなど、泣き言を言う資格はありません。私は多くある予防接種をした記憶がないのです。記憶になくてもしたことがあるモノが一つだけあります。天然痘です。腕に四角い痕がありました。今は消えてしまって見ることができませんが、間違いなく痕跡がありました。別に主義主張があって接種をしないのではなく、メンドクサイが先に立っているだけです。帯状疱疹を受けて、方針転換を図るべし。駄洒落を考えただけで実行に移すことは無いでしょう。罹患してから、やっとけばよかったナァとなります。

ウィルスが右半身だけを狙って、弱り目に祟り目を仕掛けたかの疑問に加えて、もう一つの疑問が残っています。お医者さんです、

 先生は、ウィルスは1週間の投薬により死滅したと宣言し、以降は治療に及ばずの感じでした。私は痛いし、痺れ、痒み、腫れも残っていると訴えました。帯状疱疹は治り、残ったのは後遺症である。冒された神経が癒やされず勝手に悶えているだけだ。ウィルスは関知してない。病気としては完治してない。

関知してない。完治してない。主張は対立ないしは平行線です。

この先生、すごく潔癖にして高潔な人に違いありません。少しばかり痛みを訴えている患者で、それがもとで死ぬ気遣いはありません。昔、3時間待ち-3分診療という言葉がありました。

「痛みはどうですか?」

「良くなっているような、いないような。変わりません」

「薬を1週間分出しておきます。お大事に」

「有り難うございました」

私の診察時間は30秒で済みます。

出された薬は40日分です。40日飲み続けて大丈夫ですか。副作用はありませんか。心配いらない、大丈夫だと即答されました。お前は少なくとも40日間は来なくてよい。診るのは無駄だと。間違いなく、健康保険の支出削減に寄与しています。大して痛くもないのに痛みを訴え、薬をもらいに来る。30秒で済む、好いお客だ。そうは思わないらしい。偉い!

診察初日、患部を一瞥し、症状を聞き、直ちに帯状疱疹であることを宣言されました。彼はその後私の患部を診たことはありません。どのくらい痛いか聞くだけです。どのくらい痛いかと聞かれても答えに窮します。まさか先生のほっぺたを殴って伝えるわけにもいきません。帯状疱疹の患者を多く診てきて、あえて患部をいちいち診なくとも判るのでしょうか。もしかして、じじいの尻など診たくもないが正解かもしれません。私は医者から見放されたと表現するのは見立て違いです。40日後に薬が切れて、行ったところ、ちゃんと痛みの程度を聞き30日分の薬を出してくれました。見放されたりしていませんでした。

反省の気持ちもあります。お医者さんの所為、他人の所為にしても、痛みが消えたり軽くなったりするわけありません。

反乱を起こしたウィルスが間違いなく死滅し、再起等と言うことがないよう願うだけです。

左半身の神経にはウィルスは潜伏していないのでしょうか。大丈夫でしょう。私が患った水疱瘡は右半身だけだったのです。そうだとして、この度ウィルスは宿主の寿命を悟り、自爆テロに奔ったのかもしれません。だとすると宿主の寿命は・・・。

私を見放したのは医者ではなくウィルスだったのかもしれません。



それでは小噺を一つ。



御前に



米トランプ大統領が日英と時をおかずに国賓として訪問した。時として、その振る舞い、マナーが批判された。

英国はエリザベス女王に謁見した。大統領のお付きが側により耳元でささやいた。

お付き「閣下、前が、前をおかけください」

トランプ大統領は、スーツの前に手をやり、ボタンをかけようとし、お付きにささやいた。

大統領「おい、ちゃんと掛けているぞ」

お付き「閣下、スーツではなく、下です。下。ズボンの方が・・・」



20196

2019年5月6日月曜日

令和


令和

 改元で痛み痒みも飛んでいく

お礼はあとで年払い



元号が改まりました。大多数が新元号の「令和」に賛同しているようで、国民に祝福されて始まるということは結構なことです。

とは言え、中には異論を唱える人がいないわけではないようです。

共産党の志位さんが異論を唱えておりました。これは極めて当然のことです。共産党は天皇制を否定しているのですから、天皇制によって立つ元号を否定するのは至極当然のことで、他の異論に抜きん出ています。全く違和感がありません。ご無理ご尤もです。

いささか違和感を覚えたのが社民党の又市さんです。「令和」という元号がけしからん、気に入らないと言うことでした。理由は「令和」の令の字が「命令」の「令」だからとのことです。この方「令」が他の意味を持っていることを知らないのか無視したのか。知らないとすれば公党の党首としては無知と言わざるを得ないし、無視とすれば、普段からこういった牽強付会をしてはばからない人と思われても仕方がありません。「命令」の「命」は「いのち」です。大切な物です。一方は悪くてもう片方は好いというのは我が儘です。申し訳ないことですが、又市さんは社会党の党首だと思い、ネットで調べたら、社会党は眉毛の村山さんが最後の党首でした。もしかしてと思い社民党としてみたら出てきたような次第です。この党は天皇制を否定していなかったのでしょうか。ついでに、この文章を書くに当たって「またいち」と入力しても「また一」「マタイチ」しか出ませんでした。私が党の名前を失念しても咎められない程度に、絶滅危惧種化しています。党首が悪いのか、党員がなってないのか知りません。

共産党が異を唱え、社民党がケチをつけるのは不思議なことではありません。内閣を握る一番大きな党の方も、異を唱えていました。幅の広い党ですから、異論を持つ人の何人かがいても不思議ではないのかもしれません。

石破さんです。次期首相を窺おうかと言われる重鎮です。

官房長官の発表順序が引っかかったようです。

「・・元号は・・『れいわ』です」

官房長官が厳かに、勿体ぶって言い、続いて「令和」と書かれた額を正面に向けて、見せました。これが気に入らない。先に文字を示して「れいわです」の方がいい。順序が逆の方がいい。そう言いました。もしかして「令和」と文字を見せ、読むのは「れいわです」の方が字の読めない人には好いという気配りかもしれません。新元号は「れいわ」です。字はこう書きますでは何か不親切さがあるのでしょうか。テレビで見た限りでは、石破さんは理由を言いませんでした。理由がないのでしょう。人の言動に異を唱えるならば、それなりの理由があるはずです。理由がない、または言わないのは言い掛りにすぎないと思います。私は菅さんの順序に賛成です。理由はちゃんと用意してあります。「有言実行」というではありませんか。「実行有言」とは言いません。「有言」が先です。「実行」が後です。駄洒落に近い理由です。感想を求められた軽い会話でした。真剣に反対し、批判をするならば順序ごときを取り上げるのはいけません。質問に花を添え、答えるなら、この程度の落ちを用意すべきです。理由がない異は敵対するためだけとしか受け止められないと思います。何か一言「ケチ」をつけておくべしという発想が感じられました。「令和」は向こう何年か使われ、国民に親しまれるはずです。「ケチ」をつけた元号の下で総理を狙うのでしょうか。それを使って逆に「ケチ」をつけられるのが落ちではありませんか。

元号を使っている国は日本だけということです。他国と違っているということは好いと思います。日本の文化です。とりわけ万葉集から「令和」が引かれたというのは一層の誇りを覚えます。もちろん元号自身も、万葉集の文も起源が中国にあるのは確かです。この度の改元に際して、中国の若者が、自分の国にあった元号が失われ、日本に残っているのはうらやましい。そういう発言もあったようです。勘ぐれば巧みな政権、共産党批判かもしれませんが、素直にうれしいと思います。

素晴らしい文化だと思いますが、少し面倒です。

元号そのものは時代を表し、まとめてみるのに都合がよく、昭和時代、平成時代的思いが蘇ることで文化的にはいいものです。皆さん感じておられることだと思いますが、困るのは西暦との併用です。併用というより、元号の持つ連続性の不具合です。多分、伝統的建造物群保存地区に住んでいる人々が感じているんじゃあぁなかろうかと思われる、面倒くささ、というか不便さです。伝統的に過ごそうとすると不便さが出てきます。

元号、西暦の使い方です。

私は昭和13年生まれです。自分の生年を1938年と記すことが増えたのは、外国とのお付き合いが増えてからです。それまでは昭和の意識しかありませんでした。今では、今のところはといった方がいいかもしれませんが、自分の生まれ年は元号と西暦ですぐに思い、書けます。

小学校入学は簡単です。昭和20年で1945年です。終戦の年で、繰り返し見聞きしているからです。これは元号西暦関係なく出てきます。小学校卒業から高校までは考えないと元号、西暦ともに出てきません。これが大学の卒業、会社入社となると突然昭和36年です。西暦は使いません。大学、会社のOB会が結構頻繁に行われます。このとき使われるのが昭和年号です。○○36会、××36OB会、・・等など昭和年号が使われています。自分が昭和36年に卒業、または社会人になったということを強く記憶、意識することとなります。私は何年からこの仕事を、この会社でしているか。西暦では、あらかじめ計算、準備してないと答えられません。

60歳で定年でした。定年の年は何年か。元号、西暦ともに、にわかには言えません。足し算をしなくてはだめです。1938601998です。

ここです。この場合昭和や平成は使えません。その場合は更に複雑な数式?を用いないと算出ができません。何年前かなぁ?の場合は元号をまたいでいると、その年を記憶していても何年前かはだめです。困るのは、さほど厳密に何年前かを思い出すのにも不都合です。あれは確か昭和50年過ぎのことだった。何年前か。すぐには判らなくなっています。

 現役で仕事をしていた頃は、文書の日付は昭和か平成、元号を使っていました。対外国用のみは当然ながら西暦です。

現役末期は在伯していたのでもちろん西暦を使っていいました。訪伯したのは1997年と記憶しています。離伯時ミレニアム問題なるものが取り沙汰されていました。コンピューターの誤作動で飛行機が飛ぶやら、落ちるやらが心配されるなどという噂も流布されていたのです。だから私は2000年まではブラジルにいて、帰国に際し飛行機に乗れるかどうか、少し気にしていました。その年まで3年間在伯していたのだから、引き算で訪伯が97年と判るわけです。極めて理屈っぽい覚え方だが、あらゆることを時系列的の覚えているなんぞは無理です。理屈がつけられれば、覚えにも影響できます。ぼけ防止策として、いろいろな物にかこつけ、理屈をつけておければ、ぼけたなどと侮られなくてすむと期待しています。この場合も平成何年か、恥ずかしながら俄には答えられません。

記憶力の大幅低下が窺われる昨今、元号が変わりました。令和が進むと、平成のことも何年前のことかと聞かれると返答に窮する事態が起こるであろうことは疑いないことでしょう。元号を使う機会はしばらくないでしょうが、困りそうな気がします。

改善提案があります。

今年は令和元年です。今年の4月までは平成歴19年とし、来年は令和20年とします。そして平成に遡って、元号の年を「元号歴+西暦の下二桁」と表現してほしいのです。昭和まで遡ると混乱を招くかもしれませんが、平成なら大丈夫ではないでしょうか。

いかがなもので?改悪ですか?!





それでは小噺を一つ。



薬効



薬を飲んでも、どうも治りのよくない患者が医者にたずねた。

患「どうも先生、頂いている薬が一向に効かないように思えますが」

医「どれどれ」

患「腫れも痛みも前と変わりません」

医「フーム」

患「おまけに下痢の症状まで出ています」

カルテと薬の服用説明書を見ながら医者は言った。

医「いや、大丈夫。薬は間違いなく効いています」

患「はい?」

医「ほら、説明書に書いてあるでしょう。副作用として時に下痢の症状が出ますって」

患「はい」

医「副作用が出ているのです。主作用は間違いなく効いています。薬を飲んだからこそ今の状態ですんでいるのです」



20195