はじめに

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2016年9月6日火曜日

犬の糞

犬の糞
  五輪終 行先冥土かTOKIOか 

リオ五輪が終わりました。四年後の私達は冥土でしょうか、はたまた東京でしょうか。全員が東京というわけには参りますまい。
五輪の中身にはさほどの興味はないのですが、この度は伯国のことですから、旨く出来る訳はないと思いつつ、何とかやってくれるのではと淡い期待をしていました。
始まる直前に、好いニュースがありました。フランス人のポロ選手が、リオの蚊はパリより少ないと言いました。専門家、事情通の方が「そりゃあ当たり前です。今、リオは冬です。パリは夏です。比べる意味がありません」
専門家、事情通の方は正論を吐かれます。しかしこの程度の論で一端の通とされるのは困ったものです。冬のリオと夏のパリの蚊の数を比較してなぜ意味がないのでしょうか。フランス人のポロ選手の見解は意味がないどころか、正しいのです。眼の前の状況を彼は述べたのです。眼の前で見た蚊の数を数えてみたら、パリよりリオの方が少なかったのです。さすがはポロの選手です。動体視力が大層いいのです。季節なんぞは関係ありません。到着したら、パリよりリオの方が涼しいぞ。蚊が少ないぞ。問題の一つが軽減されました。彼の体感上の見解です。正しいのです。ところでポロというのはどんな競技でしたっけ。
パリとリオの比較で思いました。そのことについてのお話をします。
蚊は結構日本でも見かけます。我が家でも繁殖・飼育をしているかの如く、ワンさといます。よく刺されます。それに引き換え、伯国では沢山見かけ、仏国をはじめとするヨーロッパ諸国でも同じように見かけましたが、最近日本ではとんとお目にかからないのが犬の糞です。蚊から犬です。それも糞です。若干連想に問題がありますが、ご勘弁願います。
その昔、江戸では「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」が名物とされていました。犬の糞が名物、目立つ物の代表であった訳です。伝統を重んじ、比較的文化遺産の保存状態がよい国家のわりに、このところの日本では、犬の糞を見たくてもなかなか遭遇する事がかないません。絶滅危惧文化の一つです。
江戸の華の時がどの程度であったかは判りませんが、子供のころは放し飼いにされていた犬が結構いたので、糞にも遭遇しています。その頃と比較して見ても、糞は仏や伯の方が圧倒的に多く、かないません。しかし、街中で見かける犬の数は当時の日本の方が数多くいました。それと当時の日本の犬は、放し飼いか野良犬でした。野良と言っても、誰かが餌をやったり遊んでやったりしていたので、無所属犬と言うべきかもしれません。
犬の糞は仏と伯ではどちらが多いか。
量的には両者ともにいい勝負だと思います。仏で犬が一匹で歩いているのを見たことはありませんでした。何度か見たのはタクシーの助手席です。それも結構大きな奴でした。あとは喫茶店のテーブルの下に客が連れて来ていたのを見た程度です。タクシーの助手席に客は乗せない決まりがあるとかです。
伯では、隣のフッチボール選手アンダーソンが飼っていたので、時折見かけました。一匹だけです。別嬪でスタイルの良い奥さんが犬を散歩させていました。奥さんの方に眼が行ってしまい、どんな犬だったかは覚えがありません。
犬は見かけないが糞はある。仏伯両国ともに犬は人間によってコントロールされていて、人眼に着かない状態です。犬がコントロールされていれば、糞もされている筈です。ところが、糞がコントロールされているのは犬のお尻から出る時までです。出てしまうとコントロールから外れてしまいます。外れた後は地べた、それも主として人が歩く歩道に鎮座することとなります。
では、歩道に放置された糞はその後のコントロールを受けないのでしょうか。この点で仏と伯では扱いが違います。仏では、歩道にある糞はパリジェンヌに目ざとく見出され、巧みな足さばきで避けられます。パリコレクションなどファッションショウでモデルが巧みなステップで歩くのは、この訓練のたまものではないかと思います。当然ながら、糞の放置は市当局に苦情がきます。観光立国であるフランスの首都は清潔でなくてはならない。糞と言えば水洗です。トイレが水洗であるのは不思議ではないが、場所は路上です。消防ホースで吹っ飛ばすことで、糞は下水口に流れ落ちていきます。仕掛けは水洗トイレと同じです。ただ、人にトバッチリがかかることもたまにはあるらしくその対策としてウェット方式を改めるべくドライ方式の検討もなされたそうです。前世紀の終わり頃のことです。オートバイの横に火挟みの如きものをつけ、それを操縦する事でつまみ取ろうとしました。人間の眼と両腕に頼った方式でした。当然のごとく失敗しました。現在の進歩したハイテク技術があっても、うまくいかないかもしれません。ハイテク技術を搭載した、室内自動掃除機の話がこれを物語っています。自動掃除機は定められた空間を定められた時間に掃除をするそうです。室内で飼われた犬が人の留守中におやりになると、指定時間に作動した掃除機が指定された個所にその糞を満遍なく塗りたくってしまうという結果を生じます。結構数多くの業務報告がメーカーに入っているということです。塗りたくることはできても除去は出来ないのが、現在の技術水準のようです。今でもパリでは火事以外で消防車が出動しているのでしょう。仏では公的資金が犬の糞に使われています。多くのヨーロッパ諸国では、飼い犬に税金を課しています。年間1万円程のようです。糞対策の目的税です。こうなると納税者の反応は見え見えです。俺は、私は税金を払って義務を果たしている。糞を始末するのは国家の義務だ。自分で始末したのでは税を払う意味がない。
仏は犬税を徴収しているかどうか知りません。しかし、オランダ、スイス、オーストリア等など糞の分布状況が極めて近似しているから、同じくらいの額が課されているものと推定されます。
さて、伯国の犬の糞はどんな塩梅でしょうか。伯国は聊か違います。だからと言って、かの国の方が糞対策が進んでいるという訳ではありません。
在伯時、日曜日にはしばしばフェイラに買い物に行きました。フェイラです。このところリオ・オリンピックで何度もTVに映し出され、日本人にも名が通りだしたのはファベーラです。フェイラは市場で、貧民窟ではありません。フェイラへはガラガラを引いて行きました。金籠にキャスターが着いた買い物かごです。これを引いて歩くとかなり大きなガラガラという音がします。もし糞づけようものなら輪ッカのガラガラ音は小さくなります。自分の足元だけではなく、ガラガラの輪ッカにも注意を払わなくてはいけません。犬の糞を足で踏んづけてはいけないし、輪ッカでも困ります。かなりの頻度で回避行動をとります。この頻度は往きが圧倒的に多く、帰りは比較的大丈夫です。パリと同じように清掃作業が行われている訳ではありません。フェイラへは朝方出かけます。犬の散歩はそれより早く行われているようです。糞の数と見かけた犬の数は全く一致しません。犬を見かけないのに糞だけがあります。それも夥しい数です。まさか家の中でおやりになった糞を道端に捨てて歩く酔狂な人はいないでしょう。昼間は暑くて出歩かない。夜中は危なくて出歩かない。比較的安全で涼しい早朝に集中して犬と一緒に散歩をし、脱糞に励む。勿論脱糞に励むのは犬だけでしょう。中の話ではなく伯の国の話です。私達がフェイラに出かける時刻は、犬が励んで間もない頃のようで、糞の一番多い時に当たっていたようです。帰る頃には数が減ります。この時間帯に消防署、市の清掃局乃至はその下請け業者が働いた形跡はありません。オリンピックの警戒に携わる警官の給料が払えないお国柄です。無理というものです。
何故、帰りの時間帯になると糞が減っているのかです。
かの国は天国である。神様はかの国に、天使が不公平感を抱くほどの素晴らしい自然環境を作られた。糞は干物状態となって無害化するのだ。
そうはいきません。その影響も全くなしとはしませんが、平等性を確保するべく神様によって住まわされた人間の質によるところが大です。住まわされた人間が、犬にやらせて放置した糞を片付ける。そうはいきません。
彼らは犬の糞など一向気にしないのです。帰りには無くなってしまったと思われる糞は、歩道の石畳に薄く延ばされ、硬くなってへばり付き、眼を凝らして見ないと判らない程になっているのです。片付けられたのではなく、片付いてしまうのです。なぜ薄く延ばされへばり付いてしまうのか。人々は何の気もなく、躊躇、注意もなく、平気で踏んづけていきます。踏んだかどうかを見もしないし、気にもならないのです。状況から見て、一人や二人の仕業ではありません。多くの人が踏んづけ行為に加担しています。この時、自然の恵みにも浴しています。表面が乾燥し靴や足に着かないのです。着かないというのは私のいい加減な推量です。試してなんかいません。何人かの人に、何度も踏みつけられ、延ばされた糞は、私が歩いても気にならない形状と品質に変化しています。干物となり無害化されます。恵まれた自然といい加減な、もとへ!大らかな人間が作り出す世界です。
オリンピックは伯国以外から見ると問題点が沢山ありました。しかしそんなことは一向気にしない人達が、未来に向かって歩み続けて、下の汚れ部分なんぞを踏みつぶしてしまったのです。いつも上を向いて歩いています。
五輪に参加した人たちは十分満足し帰って行きました。ケチをつけた輩は若干名いましたが、米人の水泳選手のように自作自演で騒いだだけです。
天国と言うのはこういうところのことです。五輪なんぞは犬の糞のようなものです。フヌ?

小噺を一つ。

地獄の今 続きの続き
急激に地獄へ落ちてくる人の数が増え、地獄は再び大幅な定員オーバーとなった。地獄の様だとかブラック地獄だとか鬼どもが口ぐちに唱え、閻魔さまに事態の改善を要求した。閻魔さまは正規鬼の呼び戻しを行うことにした。地上に派遣された大鬼が戻ってきた。
「如何であったか」
「誰一人戻ろうとしません」
「どうしてじゃ」
「いくら荒れようと、揉めようと地獄より地上の方がましだと頑張って、私の言うことをきかず、復獄を拒否しました」
怒り心頭に発した閻魔さまは知恵者の見る眼嗅ぐ鼻を説得に向かわせた。
暫くすると、多くの正規鬼が戻ってきた。
「これ、この度はよくぞ連れ戻した。して、どのように説得したのか」
「地上へ留まってもよい。その場合は北へ配置換えになると言っただけです」

(2016.9