はじめに

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2015年5月6日水曜日

退職
お前要らぬと切られた首は余所でつなげる術もあり
安らかに眠よう安らかに眠れ

 先月と同じ狂歌を流用している。首切りの話ではあるが、平和国家では刃物も使わないし血も出ない。
私はネンキンマンを称しているが、失業者というのが正しいように思う。少なくともネンキンマンに至る直前は間違いなく失業者だった。以来、状況は何の変化もない。
失業に至った理由は最後に働いていた会社を解雇されたからである。平たく言えば、クビになったのである。このお話を今読んでくださっている方は、現役で活躍されている方もいるだろうが、働いていない人も結構多いのではと推察する。もしかしたら、似たような経験を持たれている方もいるかもしれない。
退職の形態というのは「定年」「自己都合」「解雇」の3種類だと認識している。「解雇」の中には「懲戒処分」、「会社都合」によるものがあるようだ。私は、「懲戒処分」を受けたことはあるが、その「懲戒」は直接退職に結び付いてはいない。「定年」「自己都合」はほとんどの人が体験しているだろう。「解雇」はどうだろうか。私は「懲戒」を含まない三形態を一度ずつ経験した。
私が職業に就いたのは昭和36年、高度成長のスタートラインに近い時である。就職先は製鉄会社で、大企業の一つである。雇用は勿論終身雇用であった。定年は55歳。その後、何年かして60歳に延長された。
一番始めは「自己都合」退職である。
55歳を迎えるにあたって、人事部門からお呼び出しがかかった。退職に関するお呼び出しである。寝耳に水ではない。60歳が定年なのに、その歳になると皆がそうなるので十分に予知していた。寅年の第3四半期生まれの人々が集められ、説明があった。配られた書類の□で囲まれた部分に「都合により」と記入し署名捺印するよう求められた。□の前には「私儀」後ろには「退職いたしたく・・・」とあった。呼び出され、書かされるのは自己都合退職の願文である。わざわざ願文を書かせるというのは、会社として後ろめたさでもあり、何かに備えるためのものなのだろうか。
「すみません。不都合によりと書きたいのですが」
つい、大好きな軽口を叩いてしまった。
「モリさん。まだ退職金の計算が終わっていないのですが」
人事の方が返してきた。「ゴタつくと退職金の額に響くぞ」という警告である。もう一度減らず口を叩いて、返事とした。
「え?自己都合による退職でも、退職金が出るのですか?」
「お入り用でしたら、お出ししますが」
お互いに笑顔で会話は進んだ。
退職願を提出したところで、退職金の扱いについての説明があった。会社からの借金があればそれを返し、個人年金制度があるので、限度額までそちらに・・・。私は今住んでいる家の土地購入代金を会社から借りていた。
「借金を返して、個人年金を限度額まで出来る程もらえるのでしょうか?」
「大丈夫ですよ」
これで退職金の計算は終わっていることが確認できた。
 自己都合退職の5年前に、退職金を下さった製鉄会社から別の会社に出向していた。サラーリーマン物では出向というと出世競争に敗れた人が落ち行く先である。大会社である。私と同じ年度に入社した大学卒社員は400人を超えていた。全員と思われる人達が出世街道を踏み外したらしく、出向している。全員だから、みんなで渡れば怖くないの格言?通りで、格段の気落ちも感慨もない。私が出向を命ぜられたのは50歳を過ぎていた。多くの人が50歳になる前に出て行っていた。とはいえ、私が出世街道を生き残っていた訳ではない。取り残されたのだ。犬屋のケージに入っている犬コロである。同期だけでも400匹を超える犬をそれなりに始末しなくてはならない。人事部門はものすごく大変だと思う。そうです。見てくれが好くて賢く、可愛い犬コロには買い手、貰い手、引き取り手がある。賢くなく、可愛げのない性格で、なつきそうもない奴は手がつかない。下手に手を出して、食いつかれでもしたら迷惑千番だ。おまけに、子犬ではなく老犬である。役に立つ、立たないどころか、場合によっては面倒をみる羽目になりかねない。取り残されるのは哀しく寂しいものだ。
出向先と出向者の関係はいろいろある。特に技術屋は培った技術が生かされるところが望ましい。技術と言っても、直接的に生産に係わるものばかりではなく、管理技術など汎用性のある技術をマスターしている人が多い。それらがマッチングすれば一番だ。中にはそういった会社を自分で探してきて、そちらに出してもらった人もいた。これが一番よろしい。次に、向こうからあの人もそろそろよろしいのではとご指名を受ける。その次は、人事部門が売りこんで話をつける。他に違った形態があるのかどうか判らないが、一番ビリッケツは人事部門が影響力を行使して押しつける。その場合受け取り側として選ばれるのは、比較的大きな影響力を受けやすい会社となる。可愛くない、賢くない犬コロの何匹かを食わせてやるだけの余力がなくてはならない。私が出向した先は一部上場の建設会社だった。押しつけたナ。自分でそう思う位だから、岡目で見ればもっと鮮明だっただろう。人事部門には真にもってご苦労されたことと思う。それでも、よほどの事情がお互いに無い限り、雇用は出向先で60歳まで継続される。それもあり、皆さん素直に退職願に署名捺印しているのだ。それなのに「不都合につき」と書きたいとは何事か。反省するということを知らない。私も反省はしばしばします。でも、反省は後からしかできません。
そう言う訳で、自己都合による退職をしても、引き続き出向先で雇ってくれるので、失業の憂き目には合わなかった。
 二番目は定年退職である。
 出向先で養われているとき、技術協力の仕事があるが、やる気はないかと声をかけられた。声をかけてもらえるだけでもありがたいことだし、その時やっていた仕事より遙かに好さそうだ。二つ返事で承知した。
行先はブラジル。C社の製鋼関係の仕事だった。建設会社ではなく、製鉄会社の仕事だ。製鉄会社は「都合」により退職している。今度は逆に建設会社から製鉄会社へ出向ということとなった。製鉄会社から建設会社に出向していた時は、私の給料は製鉄会社から支払われていた。勿論会社間の清算は、手段は知るところではないが、なされていた。この度は建設会社の方に在籍して、製鉄会社に出向するのだから、逆の清算が行われた筈だ。ブラジルへは長期出張となるので、手当てが出る。その手当ては製鉄会社からではなく、建設会社から支給された。建設会社はこのケースの取扱規定がなかったので、急遽作り上げた。製鉄会社の仕事をするのだから、費用はそちらが直接出すべきだと思うのだが、そうなっていなかった。勿論それらを含んで、清算はなされていたのだろう。
そのブラジル勤務中に60歳になった。初めの契約では期限が私の定年時期と合っていたのだが、先方からのご要請で延長されていた。そのために、ブラジルで定年を迎えることとなった。
建設会社の人事担当の方から電話が入った。
「ご承知かと思われますが、モリさんは12月末で定年となられます。そのご連絡をさせて頂きます。退職辞令は帰国の際に、・・それと、退職金が出ますが、どのように扱えばよろしいかと思いまして・・」
製鉄会社とのやり取り、各種連絡はリオの事務所を経由してなされていたが、建設会社との連絡はFAXで行われていた。一時帰国した時に健康診断を受けた。その際、胃にポリープが見つかり精密検査と処置をブラジルで云々などというような、私にとってかなり驚くような内容でも、FAXであった。当時日伯国際電話は料金も結構高かったし、なんせ時差が12時間だ。完ぺきに昼夜逆転している。電話をしてくるというのは、それなりの事なのだ。定年退職はそれほどのことのようだ。人事として気を使ってくれているのだ。
「おぉ、退職金が頂けるのですか!」
「ハイ」
実質的に建設会社から給与を貰い、労働をしたのは3年そこそこだ。それで退職金がもらえるなどとは、思っても見なかった。それを表現したくなった。
「家一軒建てるくらい頂けるのでしょうか?それとも孫におもちゃでも買えば程度で・・・」
「今一寸、額の方は判りかねます」
野暮だなぁ。
「家の一軒くらいは大丈夫です。勿論お孫さん用の玩具程度のものかもしれません」位なことは言えよ。
こうして、めでたい「定年」退職をかの国で迎えた。
 最後は「解雇」である。
C社の延長要請があり、定年後も2年ほどブラジルで働いた。二度目の要請を受けた時に、延長期間を値切った。理由は二つ半あった。
半は治安の悪化である。パトカーの警報が鳴り響き、ホテルの窓から下をのぞき見た。お巡りさんがパトカーの両側のドアを開け、それぞれを盾にして二人がピストルを構えていた。その銃口の先は運河沿いの木の陰で見えなかった。私たちの部屋は10階にあったが、ピストルはよく見えた。幸い撃ち合いは無く、お巡りさんは銃を腰に収め、パトカーは引き揚げて行った。ピストルだけにこれが引き金となって、延長要請を値切ったことは間違いないが、比重は後の二つの方が大きかった。
一つは仕事の達成感である。
C社再生の一環として、小さな連続鋳造機を古くて小さい工場に設置する案を、わたしを派遣していた製鉄会社がリコメンドしていた。大きな機械を新しくて大きい方の工場に設置すべきである。リコメンド案はC社の将来を危うくする。プロジェクトチームに対抗案をつくらせた。モリさんは自分の会社の案によく逆らえるねとC社の社員に言われた。結果として大きな機械を新しい工場に設置する案が採用されることになった。機械の向きが気に入らなかったが、大筋で満足できるものであった。
もう一つは仕事の不達成感である。
「私たちはこの期間、精一杯の仕事をしてきたつもりであります。しかしながら、まことに残念ながら、達成率は満足すべきものではありません」
日本のD社がブラジルのA社に製鋼関係の技術協力をしていた。そのD社の仕事の一部を私の勤めていた会社の製鋼部門の人間がチームの一員として加わって参加していた。その男の帰国後の報告である。
「私たちは・・・」で始まるご挨拶は、その団長さんの終了報告の始まりである。続いて、
「ここの人たちは教えたことの数%程度しか習得できていません。習得しようとしないとも言えます。もう少しやる気を出せば、このプロジェクトの成果はもっとあがる・・」
言って好いことと悪いことがある。この団長さんは、あまりにも正直すぎた。D社とA社の間に緊張が生じたことはやむを得なかった。
約束した時間に大幅に遅れる。遅れるどころか、一番ひどい場合は来ない、顔も見せない。後に、言訳はきちんとなされる。時間に関してのルーズさ加減も仕事に対するそれも大同小異である。団長さんのご意見、見解は正しい。
「私はC社でそれなりの成果をあげることができました。これは皆さんの力であります。これからも、ますます・・・」
私の場合は、お別れに際し定石通りの挨拶をした。団長さんは正直者で私は嘘つきである。
ブラジルで働いたことのある多くの人に共感してもらえると思う。疲れるのだ。暖簾に腕押し、糠に釘。ウンザリし、嫌気がさすという状態に追い込まれてしまう。
契約延長要請を値切った時、私は嘘をつかなかった。
「連続鋳造機の目途もついた。私は歳も歳であり、疲れたからあと半年程度の期間で勘弁してほしい」
その期間を無事勤め上げ、帰国した。製鉄会社の本社に出向き、自分の都合で期間を短くしたことの詫びも入れた。
「モリさん。怒らないでくださいね」
人事部門で辞令が交付された。辞令には「解雇する」と書いてあった。人事の人はこのことについて、私に怒るなと言ったのだ。確かに、まじめに働いて勤め上げたつもりなのに「解雇」とはという思いがある。もしかして連続鋳造機のことが・・、勝手に期間を変えたこと・・。私が仕事を辞したのは、それこそ自己都合だ。「解雇」という文字を見た私の顔に何か出ていたのか。
「こうしておかないと、失業保険の給付条件が悪くなります」
不審な顔をしている私に人事の方は付け加えた。
「心配いりません。虚偽、不正ではありません。わが社としてはC社との契約が切れたのです。モリさんの就業機会が無くなったので解雇せざるを得ないのです」
なんとも行き届いた処置であることよ。軽口を一言も発せさせることも無く、私を納得させてしまった。
私は大きな顔をして、職安に行き失業保険の申請手続きをした。月に一度は職安に顔を出さないといけない。顔は出したが、求人情報は一つとして提示されなかった。失業保険の給付期限が切れ、年金を頂くこととなった。以来ズルズルと来ている。だから現在も失業中である。職安での求職書類の希望給与欄に「ウン十万円」と書いたことが仕事にありつけない「不都合な」原因かもしれない。

それでは失業に係わる小噺を一つ。

若年失業者

 世界的に若者の失業者が増えており、実態を調べるべく何カ国かの若者をインタビューした。

アフリカの某国。
イン「失礼ですが、現在お仕事は何をなさっていますか?」
若者「仕事?失業中です。私は今まで職に就いたことがありません」
イン「どうしてですか?どのようにして生活しているのですか?」
若者「世の中に仕事がないからです。ゴミ捨て場から売れそうなものを探したり、時には、・・失敬したりして・・・」
イン「これからどうするつもりですか?」
若者「イスラム国とかいうところが、人を探しているというので、そちらに行ってみようかと思っています」
イン「Merci beaucoup !」
             
アジアの某小国。
イン「失礼ですが、現在お仕事は何をなさっていますか?」
若者「仕事?失業中です」
イン「どうしてですか?どのようにして生活しているのですか?」
若者「世の中に仕事がないからです。幾つかの仕事についてはみましたが、自分に適した、自分らしさが生かされる仕事に出会いませんでした。親の家にいて、食べるだけは困りません」
イン「これからどうするつもりですか?」
若者「親もだいぶ歳をとり、認知症のような気配も出てきました。生活保護でも受けようかと思っております」
イン「どうも、有難うございました !」

アジアの某大国。
イン「失礼ですが、現在お仕事は何をなさっていますか?」
若者「仕事?失業中です」
イン「どうしてですか?どのようにして生活しているのですか?」
若者「仕事をする必要はありません。親の家に居たり、別の所に行ったりして暮らしております。特別困るようなことはありません」
イン「これからどうするつもりですか?」
若者「親もだいぶ歳をとり、ナントか退治に引っ掛かりそうな気配もあります。ランボルギーニやフェラーリの何台かを売らなくてはいけないかとも思い始めています」 
イン「非常谢谢 !」

もう一つ季節的小噺を

非ゴールデンウィーク

ゴールデンウィークを利用して爺婆の家に孫たちが来ていた。
孫1「お爺ちゃんとお婆ちゃんはゴールデンウィークにどこかへ出かけないの?」
爺「そうだな、何処へ行っても賑やか過ぎて混むからなぁ」
孫2「つまんないネ」
婆「そんなことはないよ。こうしてお前たちが来てくれているじゃあないか」
孫2「じゃぁ、うれしい?」
爺「嬉しいとも。どこかへ行くより、ズーといいよ。爺ちゃんたちには、ゴールデンウィークなんてないヨ」
孫1「判った」
爺「・・・?」
孫1「お爺ちゃんとお婆ちゃんだから、シルバーウィークなんだ」

(2015.5)