はじめに

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2017年7月6日木曜日

うたごころ

うたごころ 
地の果てか挙句の果てか行き着いて 
判らぬままに今ここに

大袈裟な言い方をさせてもらう。先日、今世紀に入って初めて唄を歌った。前世紀において、ゴルフ、麻雀、カラオケはサラリーマンと言われた人種の三種の神器とされていた。私も一端のサラリーマンとしてこれらの研さんに励んだ。サラリーマンを卒業した今、続いているのはゴルフだけである。幸いそれなりのお仲間はいるし、料金も老人優遇税制、世間のゴルフ離れによる値崩れ等もあり、ネンキンマンでもナントか出来る。但し、それなりの人数が揃わないと出来ないし、降水確率上限、気温上限など、厳しい条件下での実施である。幹事役の方は大変である。
麻雀は仲間が集まらないだけではなく、大きな声では言えないが、手元不如意という理由もある。少し命脈を保つには、パソコンで一人黙々とやることとなる。恥ずかしながら、一人手合わせでは、聊かのインチキをやってしまう。負けが込んでくると、頭にきて、試合を放棄して恥じない。最後までやらない。ソフトが勝つように仕掛けがしてあるに違いないと、勝手にきめてしまうのだ。不正?不誠実?がまかり通る。
カラオケは個人で機械を持ったり、仲間内で集まったりしてやっている人もいるようだ。周辺にはそういった人はいない。環境問題はさて置いて、私はいつの間にか声が出なくなってしまった。慢性的に喉が腫れているし、最近では鼻の周辺が普通の会話の時ですら、抑えこまれた感じでクグモッタ声になってしまい、前に出ない。そんなこともあって唄は一番縁の無いものとなっていた。それが、今世紀初めて歌ったのである。私にしては世紀の出来事なのである。
知人の一人にギターを得意とする人がいる。こういった稀有な機会が持てたのは、そのギターの達人がかなり高価なギターを入手したことによる。演奏を聞かせてほしい。お願をし、仲間数人が打ち揃って演奏を聴く会を催した。達人の演奏を何曲か聞いた。久しぶりに聴かせてもらったが、大したものだ。歌えと言われた。その昔、達人の伴奏で歌ったことが何回かあったが、今は駄目だ。歌え、歌え。声が出ないヨ。・・・折角の機会だ。達人の伴奏で歌えるのは光栄なことだ。歌ってみよう。「ベサメムーチョ」を歌った。ギターの伴奏で歌うのにはいい唄だ。途中何箇所か声がクグモッタ。それでも自分が思っていたよりは声が出たし、歌えたという感じが持てた。私としては大満足な結果であった。アンコールの声はかからなかった。
アンコールの代わりに、達人から提案がなされた。歌詞を書け、つくれ。何で?お前は駄文を書き、狂歌をつくっているではないか。歌詞をつくれ。自分が曲をつける。ご冗談を。その話はそれきりと思っていた。ところが、「狂歌明日か6月号」の返信で歌詞の方はどうなったかと、ご挨拶なのか、督促なのかを貰った。
一寸待ってチョウ。歌詞なんてものはどうやって創るのか。考えたことも無い。どうすれば出来るのか。「うたごころ」の欠片も持っていない。考えてみた。どう考えても、歌詞なんてものは、考えて出来るものではない。それを考えた。
小噺、雑文、狂歌をつくる時の流儀と同じでやってみよう。取り留めのない、雑念を思い浮かべることから始めた。歌を思い浮かべた。
戦後一番に流行った唄、「リンゴの唄」が思い浮かんだ。
♫赤いリンゴに唇寄せて・・・リンゴ可愛いや、かわいやリンゴ♫
何ともつまらん歌詞だ。情感が殆ど何もない。「うたごころ」を感じさせない。想像させるというか頭に思い浮かぶものが無い。作詞をしたサトーハチローはその道で大層有名な人だ。著名な作詞家だ。大先生に対して素人が偉そうなことを言ってはいけない。偉い人だと思っていることも付け加えなくては・・。サトーハチローはコミックソング「うちの女房にゃ髭がある」、追悼の唄「長崎の鐘」等など。多くのヒット曲を創っている。なかなか大した人だ。
「リンゴの唄」は戦後直ちに流行った唄だ。戦後の混乱した状態で創ったのだろうか。もしかして、戦時中に為う事なしに書いたものかもしれない。私なんぞは終戦の前後などには、リンゴなどは食べるはおろか見たこともなかった。ハチローさんは食べていたのだろう。退屈しのぎに、リンゴがねぇだ。それにしても不出来だ。なぜこの唄があんなに流行ったのか。思うにNHKは、進駐軍のご指示を受けて、乃至は忖度して、毒にも薬にもならない唱を流さなくてはならなかったのだろう。唄の数も多くはない。何度も繰り返し放送され人の耳と心に響く、一新された世の唄だ。うけたのはタンタンタッラン・・・曲の前奏部分にあるのかもしれない。流行り唄というのは歌詞にかかわらず、曲によって成果が得られるところも大いにあるのだろう。 
もう少し情感とか想像性とかを感じる歌は無いか。「カスバの女」が浮かんだ。フランス映画の主題曲で、歌詞は翻訳されたものと思い込んでいたが、これがmade in Japanだと最近知った。
♫泪じゃァないのよー浮気な雨が・・・ここは地の果てアルジェリア・・・♫ ロマンのある好い文句だ。「うたごころ」がこもった見事な物言いだ。そう思った。驚いたことに、作詞の大高ひさをという人はアルジェリアなんぞへ行ったことも無いそうだ。作詞家の想像力、創作力の大きさを感じさせてくれる。作曲は孫牧人という人で韓国人だ。おまけにこの唄を歌っていたのはエト那枝という。何とも国籍不明な名前の人だ。
「カスバの女」が思い浮かんだのには訳がある。
最近テレビでよく見る歌番組がある。フォレスタという合唱団が歌っている。歌手はクラッシック出の人達であるが、演奏される曲の多くは歌曲ではない。20世紀の流行り歌である。古い歌だけに、熟成されコクが出ている。歌詞に「うたごころ」が詰っているものが多い。
懐メロ、20世紀の歌番組は結構数ある。古い映像を再生したり、最近の歌い手が歌ったりしている。気に入らない点が多くある。古い映像を流すに際し、何故かしら1番だけ乃至は酷い時には出だしだけでフェードアウトさせたりする。懐かしさ、唄声に浸る暇もない。フォレスタの場合はフルコーラスやる。原曲が4番まである場合、聴いたことが無い文句であることが少なくない。レコードならば4番まであれば、4番まで聴いているのだろう。歌謡曲はラジオかTVで聴いてきた。多くの歌番組では、長くても3番まで位しかやらなかったのだろう。最近の人が歌う場合には2番くらいまではやる。この時は、歌い手の特徴が仇となって、昔の歌い手との違和感が生じて、どうもいけない。
この番組は「こころの歌」という。お気に入りで、大方毎週聴いている。ただ歌を聴いているだけでなく、脳の活性化が出来る。題名、作詞、作曲者は演奏の初めに、オリジナルを歌った歌手名は、唄が終わってから出てくる。歌い終わるまでに、その歌手の名前を思い出すのだ。フォレスタは演歌歌手の癖のある歌い方を持ち込まない。持ち込まないから、逆に唄が流れると昔の歌手の顔が、歌い方が思い浮かんでくる。歌い手の顔は思い浮かんでくるが、名前が出てこない。あれだ、あれ。ほらあの。不思議なことが起こる。4番に入ると名前を何故かしら思い出すことが結構あるのだ。
美空ひばり、淡谷のり子はまず間違えない。藤山一郎も大丈夫だ。ミッチー、ハッチー、ムッチーも大方大丈夫だ。コーラス系は苦戦を強いられる。何のタロベエだ。何のチョメ子だ。違う人の名前が出てくる。はぁああ、そうか、そうだった。忘れてしまっているだけではない。時にはそんな名前聞いたことが無いという場合もある。名前は知っているが、顔を全然知らない人もいる。戦前の歌い手だ。戦後の人は大方知っている。
「カスバの女」は結構カラオケで歌った覚えがある。これをフォレスタが演奏した時、焦った。歌手の顔も名前も思い浮かばなかった。歌い終わって右下に出た字幕を見ると「エト那枝」となっている。初めて聞く名前だ。知らない人だ。Do you know? へえー。エト那枝ってえ人が歌ったのか。情感とか想像性とかを感じる歌として「カスバの女」を思い浮かべた理由の一つがこれだ。その後も何回かフォレスタの演奏でこの曲を聞いた。直ちに「エト那枝」!と叫ぶように正解をする。
で、作詞の方の宿題は?私の思考回路をご推察願いたい。記憶を呼び覚ますために、シノプシスをつなげて喜びを得ているだけだ。想像力,創造力に係わる脳細胞にはつながらない。私には「うたごころ」の欠片も無い。夢も情緒もなにもあったものではない。あるのはお遊びごころだけだ。年金で遊んで暮らす癖が身についている。乞御免。

それでは小噺を一つ。

あの世の入国手続き

身罷った正男があの世の受付で、係員に促され、タッチパネルに向かって手続きをした。
画面には;
「以上の規約に同意し、次に進んでください」と書かれ、
□「同意する」
□「同意しない」
をチェックするようになっていた。
☑「同意する」にチェックをし、次に進んだ。住所、氏名、生年月日等など全ての必要事項の記入を終え「確認する」をクリックした。
画面に「該当者なし」と表示が出た。どうしたのかと係員に尋ねた。
係員が替わって画面操作を行った。
係「数ヶ月前に、母国の要請によって名簿の強制削除が行われています」
正「どうすればいいのでしょうか?父も祖父もこちらにいるはずですが」
係「どうすれば、・・申請しても・・変更を母国は認めないでしょうし」
正「この受付に居続けなくてはならないのでしょうか?」
係「他を当たって頂くより他にありません」
正「・・・・?」
係「難民申請をして頂けば、事情によっては、天国の方で受け入れてもらえることもあります」

(2017.7)