はじめに

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2016年12月6日火曜日

反社会的勢力

反社会的勢力 

ミカギラれミジメなことにならぬよう
           ミッチリ払えミカジメ料

「私は反社会的勢力の構成員又は協力者ではありません」
こういった文書に署名捺印した。決して然るべき所へショッ引かれ、お取り調べを受けたりしたわけではない。反社会的勢力に係わると、何らかのお咎めを受けたりして、困るところが自己防衛的に私のような善良な市民と関わりを持つに際して免罪を担保するために行う相手方の手段である。
署名捺印に際し、俺はそういった勢力に何らのかかわりもなかったよと反芻してみた。間違いない。絶対、殆ど、多分、間違いない。
思えば、世に言うところのヤクザ、ヤ印と思われる方と付き合ったことは皆無ではない。
子供の頃、小学校の高学年ころだったと思う。怖いおじさんがいた。ヤの人だから、あの人には係わるナと親達から注意を受けていた。町内に住んでいるという訳ではなく、事あれば現れるという存在だった。当地ではかなりの悪で名が通っていた。お祭りなんぞがあると、屋台で売っている人たちの周りを巡回していた。餓鬼どもは怖いもの見たさに少し離れてついて行ったりした。屋台の人たちの態度が尋常ではなかった。それが面白いと思った。本人が何かを売っている時もあった。寅さんの先輩のテキヤとその地域の元締め格といったところだろう。この人が、出羽錦に殴られた。春日野部屋一行が巡業に来て、学校の校庭で相撲をやった。間近に栃錦、出羽錦、大起などを見た。このおじさんがゴザの上に胡坐をかいた出羽錦の前に引き出され、平身低頭して謝っていた。頭を挙げた所へ出羽錦のビンタが飛んだ。見た目にはかなり手加減をしていたように見えたが、おじさんはグラリとなった。膝をついた姿勢のままへたり込んだ。相撲取りの力強さが十分に認識できた。この頃、相撲の地方巡業はヤ印が仕切っていたと言われている。その関連で、何か粗相があったのだろう。その後はこの人の姿を見ても興味が無くなり、ついて行く奴はいなくなった。この人は知ってはいたが知り合いではない。
知り合いもいた。やはり小学校時代のことだ。1級上のあっちゃんと犬を見せてもらいに、家に時々お邪魔していた小父さんがいた。結構可愛がられていた。この小父さんの腕には「一心」という字と「般若」のお面が彫ってあった。吃驚するような大きなものではなく、チラつかせて、それとなく恐れ入らせる程度のものだった。あっちゃんによれば、この小父さんは昔グレテいる時があって、墨を入れちまったのだそうだ。今は堅気だからナと言われて、納得していた。納得しつつも、その世界が自分とはだいぶ違った所にある所、存在だという意識はあった。反社会的勢力と思われる人との一番近い関わり合いだった。
長じてから、名古屋の栄のど真ん中、通称錦三と呼ばれる繁華街、その界隈には時折出這入りした。名古屋におけるご接待の中心地である。その筋から新宿の歌舞伎町並みに指定されている。多くの店が「ミカジメ料」なる物を支払っていたとか、いるとかされている地区だ。顔を出していた店の殆どが、この手のご協力をしていたか、していることになる。そこでいささかなりとも飲んだり、歌ったりすれば、間違いなくご協力をしていたことになる。構成員にはとても及ばないが、協力者の協力者位の地位は得られる。
私が今、住んでいるのは豊橋駅から歩いて10分余りの所だ。その中間地点に松葉地区というところがある。この地区名が時々新聞に出る。歌舞伎町はおろか錦三にすら及びもつかないが、そのての臭いが薄々する。夜10時過ぎに豊橋駅から家路につくと、ここでオネエさんに声をかけられる。あぁオネエサンだナとこちらが気付き、向こうがこちらを認識するとそっと近づいてくる。「マッサージ、ドデスカ?」。「どうですか?」や「如何ですか?」ではない。「ドデスカ?」である。時に禁止だか警告だかがなされるとお休みになるらしい。警告や通達は日本語で書かれているはずだ。彼女たちに届くとは思えない。通達を読み理解できる組織が絡んでいる。マッサージなどしていただくと、協力者になる可能性がでてくる。
私のその筋とのかかわりはそんな程度だ。しかし、世間を見渡すと、私の懸念なんぞは軽く吹っ飛ぶほどの環境が、堂々と存在している。派手な彫り物をして、ヤクを常用していた有名人もいる。ケツ持ちなどという業界用語を言いふらし、かかわりを見つけられて廃業してしまった人もいる。芸能界はこの手の話が結構多い。多くて当たり前だと思う。俗人的かかわりだけではなく、組織的に協力している。
♫親の血を引く兄弟よりーもー、堅いぃぃ契りの義兄ぉ弟ぁーい♫
兄弟仁義。間違いなくヤ印賛歌である。歌っているのは北島三郎。国民的演歌歌手である。この賛歌がTVでも何度となく流されている。そして多くの人が絶大なる拍手を送る。誰も不思議に思わないし、嫌な気分にもならない。何となく、陶酔感さえおぼえる。この人が馬をもっている。キタサンブラックという馬で、天皇賞、菊花賞馬だ。この11月にはジャパンカップも制した。公営の博打に直接関係している。公営競馬の胴元は「私は反社会的勢力の構成員又は協力者ではありません」の誓約書を貰っているのだろうか。勿論、賛歌を歌っているからと言って、反社会的勢力の構成員とは言えない。それは認めるが、協力者ではないのか。歌を通じてヤ印の勢力維持拡大に寄与している。若者がこの歌を聴いて、・・・・。無いとは言えまい。賛同して歌っている訳ではない。歌手は言訳が出来る。作詞家はどうだろうか。星野哲郎はその世界に憧れ、賛美したい気持を詩にしたのではないか。フィクションだヨ。詩人は現実の気持ちを詩にする訳じゃあない。そりゃぁそうだ。でも、この唄を流行らせよう。人々をいい気分に、非日常を味あわそう。そう思った。その結果彼らは金をシコタマ儲けた。彼らの元締がいる。事務所とか。レコード会社。TV会社。一丸となってヤ印賛美をする気持ちが無ければ成り立つまい。
唱、歌手関係だけではない。見たことが無いので詳らかな点は知らないが、国民的俳優と言われた高倉健の映画なんぞも、倶利伽羅紋々の肌を見せびらかした宣伝広告をよく見た。多分内容は所謂任侠道の素晴らしさを描いたものと推測できた。次郎長以来映画の定番だ。
世を挙げて賛美してきたヤ界もこの所忌み嫌われだした。私どもは真っ当な商売をいたしておりますという担保のために、私なんぞを相手に仕事をなすに当たり、その道とは馴染みがないことを誓約させる。
私がもっている携帯電話はガラケーと呼ばれている。日本の技術が、国内向けに進化しすぎて、世界の物とかけ離れたものになってしまったのだそうだ。ガラパゴス携帯電話。ガラパゴスに対する差別だ。酷い省略だがガラケーとなった。ヤ印関連でも日本はガラパゴス化していないか。好い悪いではない。世界がヤ印方面に向かって変化している節がある。日本は世界の流れに竿さしている。
プーチンさんやジョンウンさんは島や人間を使って、返してほしければ言うことを聞けと恐喝する。業界用語ではカツアゲだ。習さんはアメリカと太平洋の真ん中に線を引いてあっちとこっちで縄張りを決めようなどと堂々とかけ合った。口だけではなく、南、東シナ海で実績作りを怠りない。この手の人たちは皆さん、北の方の人たちだ。社会主義国家だ。反社会的国家ではない。それなのに、反社会的勢力ではなく、反政府的勢力の排除、撲滅を懸命に図っている。日本の歴史教育が悪いようで、私なんぞはこれらの国々は怖いと思い込んでいる。彼らの人民がわが国に何かやらかしても、無かったことにして手を引いてもらったりする。ヤ印を避ける善良な国民の手法を政府まで採用している。なにとぞお手柔らかにとお願いしてきた。
ところがギッチョン。この度はアメリカから「ミカジメ料」が少ない、もっと払えと言ってきた。トランプさんの曰く、お前んちを只で守ってやるわけにはいかない。今までのミカジメ料では駄目だ。このままで一緒にここで商売を続けられると思ったら大間違いだ。イイナ。「明けの元朝から暮れの三十日まで、ここら辺りは親分の縄張りだ」元締めの親分の言い分は聞かないとやっていけない。
世界が総ヤ印化している。恐喝、縄張り、ミカジメ料。堅気の世界に生き、真っ当な生活をしていると、人口だけではなく、領土を始め金も命もすり減っていく。困ったもんだ。
怖い国々から遠ざかりたい。ガラパゴス化を強力に推し進めるだけでは間に合わない。この際、ガラパゴスに吸収合併してもらうのはどうだろうか。
国民投票をやろう!

それでは小噺を一つ。

小野篁

何時も夜勤めている小野篁が昼間閻魔の庁にいた。見かけた見る眼嗅ぐ鼻が尋ねた。
見「今日は昼間からのお勤めか。ご苦労様」
篁「いいえ、私も寿命が尽き、こちらに身罷ってまいりました」
見「そう言えば着ている物も白装束だナ。ところで隣にいるのは誰だ?」
篁「三途の川の渡し守でございます」
見「何でまた?」
篁「毎夜、ここへは井戸を潜って来ていました」
見「フヌ?」
篁「亡者は正規の道を使わなくてはなりません。三途の川では渡し賃三文いるというのをうっかりしていました」
見「それで?」
篁「この方は付け馬です。見る眼嗅ぐ鼻さま、三文をご用立てください」
(2016.12)