はじめに

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2017年12月6日水曜日

カチカチ山異伝

カチカチ山異伝  

狐七化け狸は八化け
      舌を出す奴尻尾出す奴
 
もうかなり昔のことですが、近所の人から聞いたお話です。お伽噺にカチカチ山というタヌキが主人公で老夫婦と兎が絡むものがございます。どうもその噺の異伝ではないかと思われるものです。
ある処といっても、この界隈のお話ですが、お爺さんとお婆さんが住んでおりました。かなりの齢で、それも二人暮らしで細々とした生活を営んでいたそうです。名前がよく判らないので翁と媼と呼ぶことにします。ある時翁が柴刈に山へ出かけた折に、タヌキの赤ちゃんが一匹雑木の陰でピイピイと啼き声をあげておりました。見渡してみても、親の姿はありません。可哀そうに思った翁は子ダヌキを拾い、懐に入れて家に連れ帰りました。だいぶ前に自分達の子供を育てたことはありましたが、タヌキは初めてです。ご飯をかみ砕いたりして与え、何とか育てることが出来ました。楽なことではありませんでしたが、二人にとってはタヌキの成長が楽しみでしたし、それが生き甲斐でした。
やがて、タヌキも随分と大きくなったある日、哀しい出来事が起きました。翁が山から柴を担いで帰ってきますと、いろりの脇で媼が倒れていました。その隣ではタヌキが寄り添うようにして眠っていました。
野辺の送りを済ましてそれほども経たない時に、何人かの村の人が酒と肴を持って翁を見舞いにやってきました。酒がすすんだ頃、一人の村人が言いました。名前を五作と言いました。
「このタヌキ、タヌキ汁にして食べたら美味かんべナ」
そう言いながら五作がタヌキに手を出したとたん、ガブリと喰いつかれてしまいました。
「イテテテ・・テ!こいつ食いつきやがった!俺の言うことが判ったらしい」
五作はタヌキを睨みつけました。翁が言いました。
「小さい時から、いろいろ話を聞かせているから、少しは判るかも知れんぞ、ハハハ・・。大きな声では言えんがノ、ワシはかなり前に食べたことがあるが、タヌキ汁なんてェ物は美味い物じゃァない。この臭いが肉にまで染みついている」
五作は少しばかり赤くなった手を眺めて、忌々しそうにタヌキを見直しました。人間のやり取りを聞くともなしに、タヌキは寝てしまいました。
「こいつ、タヌキ寝入りをしていりゃあがる」
五作はタヌキがどうしても気に入らないようです。
翁はいつまでも悲しんでばかりもいられないので、また柴刈りに出るようになりました。タヌキも一緒について行き、時には柴を背負子で担ぐなど、翁の手伝いもしました。帰りがけに翁が一服している時、キセルを叩いた拍子にたばこの火玉がタヌキの背中の柴に入り、燻り出しました。すぐに気が付いたので大したことにはなりませんでしたが、背中の毛が少しばかり燃えて縮れてしまいました。
家に帰って膏薬を塗ってやっていました。そんな時、五作がきました。
「お、背中に火傷か。話に聞くカチカチ山だナ。兎が騙して背中に火をつけたとされているが、お前さんがやっちまったのかい」
噛まれてこの方、五作はタヌキを見ると何かと悪く言いました。タヌキはあまり気にする様子もなく、五作の顔を見ていました。
それからしばらくして、翁はタヌキと魚釣りに川へ出かけました。このところ続けて降った雨で川の水かさが増え、流れが速く、あまり魚は釣れません。翁は少しずつ深みに入って行きました。その時、思わず足を滑らしてしまい、転んでしまいました。立ち上がろうとしましたが、手を伸ばしても足を延ばしても川底に届きません。深みにはまってしまい流されてしまいました。これを見たタヌキは川原を下に向かって駆け出しました。家にいる時ののんびりした動作からは考えられないくらいの速さです。流された翁は浅瀬に打ち上げられ、横たわりました。それ以上は流されずに済みましたが、水に体を横たえたまま動こうとはしません。翁の脇に駆け付けた、タヌキは翁の手首に食いつきました。かなり痛かったと見え翁は半分失いかけていた気が戻りました。半分だけ気の戻った翁の顔をタヌキは舐めました。
「お、お前か。助かったようだ。ありがとう」
何匹か魚の入った魚籠と釣竿は流されてしまいました。収穫はありませんでしたが、翁は嬉しそうにタヌキを抱いて家に帰りました。
このところ何かがある時に限ってやってくる五作が翁の家にその夜もきました。
魚を取りに出かけて川へ嵌まりタヌキが助けてくれた。翁は嬉しそうに、その話を五作に聞かせました。
「タヌキは兎にドロ船に乗せられて沈められ、溺れることになっているのに・・・。爺さんが溺れて、タヌキが助けるなんぞ、兎が聞いたらさぞ悔しがることだろうて」
「ハハハ、舟になんぞは乗っていないし、ウサギも傍にいなかったゾ。何でお前さんの話には兎がそんなに出てくるんだ」
「兎・・。あれの身は柔らかいし美味い。臭みなんぞはないからワシは好物なんじゃ。タヌキは確かに臭くて美味くない。いけない、いけない。折角寝ているのに起きて又噛まれるのは御免だ。帰る、帰る」
それっきり、五助さんは翁の家に寄り付かなくなりました。
暫くして翁はタヌキを連れて何時もと反対方向へ出かけました。小高い丘を過ぎると少し開けたところに出ました。畑のようですがすっかり荒れていました。その丘の縁に五作がぼけーっと座って、タバコをくゆらしていました。
「おい、五助じゃあないか」
「おぉ。タヌキ爺か」
「フム、タヌキ・・。まあいいや。お前さん此処でなにをなさっている?」
「・・・いいじゃあないか何をしようと。タヌキを捕まえに来たわけじゃあないことは確かだ」
翁はこれ以上話を続けるとこじれそうに思ったので、引き返すことにしました。丘を戻った所に何軒かの家がありました。知り合いがいるので寄って、五助の事を聞きました。五助はこのところいつもあの丘の所に座っているということでした。兎を捕まえ、それでタヌキをやっつけるとか言っているようです。そのために、毎日のように兎が木の根っこにつまずくのを待っているそうです。村では待ち呆けとかいう唄が流行っているそうです。

では小噺を一つ。

タヌキです その二

鋭い質問で著名なジャーナリストが小池都知事にインタビューした。意表を突いた意地悪な質問に軽快で当意即妙な受け答えをした。
ジャ「・・選挙結果、代表辞任ということで、党内からも騙されたとか、たぶらかされたという声が出ておりますが?・・・」
小池「いいえ、私は決して人を騙したり誑かしたりはしておりません!・・」
ジャ「どうしてですか?・・・」
小池「だって、私はキツネではなく、どちらかと言えばタヌキだと申し上げたでしょ。狐は人を騙し、誑かしますが、タヌキは何事も騒ぎ驚かす、サプライズだけですヮ・・ホホホホ・ほ」

(2017.12)

2017年11月6日月曜日

モリノミクス

モリノミクス  

排除など日本語使ったばっかりに
廃女と化すか緑のたぬき
 
アベノミクスの向こうを張って、ユリノミクスを掲げて選挙戦を戦った女史がいました。その内容がどうのこうのということはよく判りません。レベルを私に下げて考えれば、単なる語呂合わせに過ぎないことなのかもしれません。ただ、少しばかり奇妙な気分もします。何でも、ユリノミクスなるカタカナ語を英語だとすると「尿失禁」だそうです。女性にはこういう症状が結構多いという話もあります。カタカナ語の総元締めですから、そのくらいのことは百も承知で唱えられているのでしょう。もしかしたら、年相応に自覚症状があって、思わずお漏らししたコトばかもしれません。
ついでながらの語呂合わせです。私の場合はモリノミクスです。カタカナ語ついでに言えば、モリというのも気になる言葉です。この際ですから、情報公開とまいります。申し上げます。アクセントの起き場所をリとすればどうってことは無いのですが、モ後ろに置くとスペイン語では死ぬの過去形で「死んだ」となります。合成カタカナ語としては死んだ経済となり、情けない言葉となってしまいます。失禁するようになってまで生きているより、・・・・。
尿失禁、死んだを脇に置いて、一応経済に関するモリノミクスについてのお話です。経済といっても私は商売をやっている訳でもなく、金稼ぎの一端を担ってもいません。もっぱら使う、消費活動のみが私のGDPに寄与出来ることです。私的なお金に関わることがモリノミクスの特徴です。
株式を保有しています。鉄鋼株を持っています。会社勤めをしていた時に、社員持ち株制度というものが出来ました。毎月一定額を給与から天引きし株購入に充てるという制度です。普通に株式を持つためには単位以上の購入資金と手数料が要り用のようです。持ち株会では単位以上でなくても買えますし手数料も不要でした。天引きの手続きをすれば、従業員の身分から株主という身分になれるのです。株主なるもの、株を保有するなどという発想は全くありませんでした。この制度で株主になれる。なんか偉くなったような、急に金持ちになったような気分でした。この制度によって定年までに購入した株価は一株で凡そ3,800円です。今現在のそれは2,500600円です。凡そ70%位に落ち込んでいます。自分自身の勤務先に加えて、息子、娘の就職記念にその会社の株を買いました。これも同程度下落しています。どちらもバブル期に購入したのですから、この程度の目減りは相場なのかもしれません。直近では孫の就職先を買いました。買ったばかりですから、損得は無いと思っています。
これだけですとお話になりません。
私の保有しているこれらの株は買ったことはあっても売っていません。株式の売買に理解できない点があるからです。株式は新たに売りに出された場合は少し違いますが、それ以外通常の売買はゼロサムだと思います。勿論その会社が新たな富を生み出せば株の価値が上がるくらいなことは承知しています。しかしそれが極めて長期にわたり続くものでないことも事実です。そのどこかで売り買いに際しゼロサム現象が起きているのではと思うのです。この程度の知識ですから、株の売買に手を出さないのは好いことだと識者、専門家筋から賛同されるかもしれません。
何故買ったか。記念品としてです。観光旅行先でお土産を記念に買うのと同じ気持ちです。何故売らないか。記念品というのは自分の身の回りにおいて、時として持っていることを愛でるものです。
前記の他に記念に買ったものにブラジル債があります。ブラジルには公私にわたってお世話になりました。前世紀末のことではありますが、未だに交流のある方もいます。そのブラジルのオープン投資があるという話を耳にしました。お世話になったかの国に聊かの恩返しをしよう。かの国では外貨が充分ではありません。雀の涙、それにも及びませんが、気持ちの問題です。どうかご利用ください。大層清らかな心根でレアル債を買いました。もう大方15年ほど前のことです。1万口あたり12,000円程でした。1万口というのは購入単位です。一口幾らという表現でなく、万口単位というのがおぞましい程のインフレ国家らしさを顕しているようにも思えます。購入するや否やすぐに下げだしました。やっぱりなと思いました。去年の初めに至っては5,000円を割り込みました。このところは結構持ち直して7,000円前後を維持しています。40%に落ち込んだのが60%位に回復しています。1年前に買った人は5割増しです。今現在で言えば、私の場合は他の株と同じ憂き目にあっています。ところがの「が」の字です。私が今この債を売ると投資額に対して60%程の利益が出るのです。ナ~ンデカ?!それはネです。この債券には今の日本の金融商品には考えられない、超高金利が付いてくるのです。凡そ0.5%の利回りです。ホホウ、最近の定期の金利より結構高いナ。そう思われたでしょう。間違いです。0.5%は月利ですゾ。年利にすれば6%です。この金利も、購入当初は1%程でしたから、大幅に下落しての結果です。ここで得た配当をそのまま自動的に再投資しています。元金は減る一方ですが、金利合計は追い付き、追い越して行きます。因みにかの国の公定金利は今10%を超えています。私が年金を受け取っている通帳についてくる「お利息」は1円です。もしかしたら、通常は0円で、何かの拍子に1円が付くのかもしれません。かの国と私の間の金融取引はカタカナ語で言えばウィン・ウィンの関係にあります。
アベノミクスは成果をあげている論と失敗論があって、素人には判断がつきかねます。ユリノミクスは漏れているかなどと触ろうとしようものなら、セクハラなどと叱られそうです。
モリノミクスはどうかです。
纏めです。モリノミクスでは国から年金という生活保護を受け、見事人間としての尊厳を保つ程の生活を営んでいます。また、レアル債で毎月証券会社から送られてくる通知書を眺め、資産の増加ぶりで温かい気持ちを味わっています。財布は膨らみませんが、喜びは膨らんでいます。
モリノミクスは偉大なる成果をあげております。グレート!!
もう一つ。毎月とはいきませんが、ジャンボの配当300円也を現金で受け取っています。
お金はいりません。嘘です。金はいくらあってもいいようです。金持ちほど更に増やそうとするのは人間の性としてあるようです。私は幸か不幸か、お金はあるにこしたことは無いが、無理して、乃至は努力して増やそうという意志はありません。もう少し正直に言えば、そういった手段、能力の持ち合わせが無いことへの言訳かもしれません。こう言うには理由があります。ジャンボ宝くじをその都度買います。何億円の当りを目指してです。当たるはずがありません。
心を広げて考えます。毎回、10枚を連番で買います。300円が当たります。これまでの当選金の最高額は1,000円でした。通常の場合一割の配当です。元金は国に長期に渡って預けています。そう考えます。思います。こんなぼろい配当は今の日本にはありません。加えて、今まで頂いてきた年金は、とうの昔に払い込んだ元金を越えていると推察します。食い荒らすだけではいけません。貰う権利があるなどとノタマワッテはいけません。多少なりとも補てんをする努力をしたいものです。お国のためです。稼ぎが悪く、ほしい物もあまりなく、納める税金もたかが知れています。
モリノミクスはそんなところです。
よくよく考えるとユリノミクスはやはり優れています。写真を一緒に撮っただけで3万円稼ぐそうです。写真を撮ったからって減るもんじゃあるまいに、などと言えばナにやらハラスメントとカタカナ語で叱られそうです。加えて、何事につけてもそうですが、私には一旦立ち止まっての先がありません。端に止まったままです。女史は一旦立ち止まって考えると言っています。考えることが出来るのは人間が持っている特性の最重要点です。女史はこれを行使するといっております。きっといい考えが多く浮かぶことと思います。私の場合には止まったら、それまでで、止まり続けているだけです。後ろからバッシングを受けるのが関の山です。

それでは小噺を一つ。

タヌキです

鋭い質問で著名なジャーナリストが小池都知事にインタビューした。意表を突いた意地悪な質問に軽快で当意即妙な受け答えをした。
ジャ「・・緑の狸と呼ばれていますが・・・」
小池「そうねぇ。私は狐というよりタヌキのタイプね・・」
続いて別のジャーナリストが質問をした。普通の質問に普通の受け答えをした。
記者「この度の衆議院選で、要請に関わらず自ら立候補しなかった理由は・・・・」
小池「そうねぇ。私はタヌキのタイプよ。沈むのが判っているドロ船に乗る気はサラサラありませんでしたヮ・・ほホほホ・・」

(2017.11)

2017年10月6日金曜日

不倫

不倫  

やっただろう やっていません
 しただろう したじゃぁないわよ わたしゃうえ
 
不倫のお話が、世の中をにぎわしている。
一方では「ならず者」と言い、「完全に破壊する」、「超強硬対応」などという物騒な言葉が飛びかい、言葉だけでなくミサイルまでが飛んでいる。ミサイルは飛んで行っただけだが、飛行機の部品やら、石材が上空から降ってくるので、上を向いて歩かないといけない状況にある。
 上を見てばかりいる国民を落ち着かせようとするのか、下を向け、下に気をつけろとマスコミは騒ぎたてている。下のお話しである。それも下々の話ではなく、国会議員や名だたる?芸人などの下ネタである、不倫話だ。
 記者会見でのやり取りがきわどい。
・・なにをされていたの?
「一線を越えてはいません」
「男女の関係はありません」
若者言葉とか、IT用語が今一つ判らないのと、どこぞの知事さんのカタカナ語の如き似非日本語など判らない言葉に加えて、昔ながらの婉曲的表現で苛立たせる言葉が世に充ちている。
「貴方はあの男と一発やったのですか」
「いいえ、一発はやっておりません。週四回です」
この位なら判りやすいのだが、男女の関係とか一線などと言われるとコソバユクていけない。
「♫テトテトアシトアシトテトアシトオヘソトオヘヲスリアワセコンナイイコトナニワルイ・・♫の方は如何でしたか?」
と質問してほしい。
不倫話の大部分は週刊文春という雑誌が源泉らしい。文芸春秋といえば、天下の上級雑誌である。その会社が出している週刊誌が、こういった記事を掲載し、それに便乗してTVでも各局一斉に放送している。一流出版社がカストリ雑誌を出しているという風情で、TV会社はジェネリック薬品を作っているといったところだ。源泉かけ流しではなく、源泉垂れ流しだ。
何故かしら、寅さんの啖呵売の文句を思い出す。
「一流デパート白木屋、黒木屋さんで、紅白粉のお姉さんに・・・・・500円でいかがですか。500円!」
 ところで不倫というやつは、そんなに悪いことだろうか。ズラリと並んだ記者の前で、深々と頭を下げ、「このたびはご迷惑をおかけし、まことに申し訳なく・・・」とやっている。
これが判らない。納得がいかない。
一体、誰に謝っているのか。記者か?視聴者か?どちらにしろ、誰も迷惑なんぞは受けていない。時には低頭している時間を計られ、短いと怪しからんと批判、叱責をうける。レスリングの浜口さんは「気合だ!気合だ!・・キアイダ!・・・」と雄叫びを上げる時、指折り数えている。TV会見の時低頭している人は「ヒノ、フノ、ミノ・・・今何刻ダイ?・・」をやっているのかもしれない。低頭ついでに舌の一つも出してみたら面白いのだが、後ろから隠し撮りされて駄目だろうか。舌が駄目ならいっそのこと下を出したら。こちらは間違いなく犯罪だ。わいせつ物陳列で現行犯逮捕される。不倫で迷惑、損害を与え、謝るべき相手は、自分の連れ合いと相手の連れ合いだけで十分だろう。
「♫ムカシムカシノカミサマガオシエタマイシコトナレバナンデマネシテワルカロウ、ホラ・・♫」
と応じてもらいたいものだ。
 不倫が多いのは上流階層、金持ちという説がある。どうやって統計を取ったのだろうか。
その昔、何かで読んだ記憶がある。もしかしたら文芸春秋かもしれない。対談だ。演歌歌手、村田英雄に関するごくまじめなエピソードとして紹介されていた。彼の男っぷり、豪快さを表現するためで、決して貶めるものではない。
対談で語った人は、村田と東京タワーに上った。その時村田が自慢したそうだ。
「見てみろ、あそこ、・・・それと、こっち。ここから見える所に女を三人住まわせている」
東京タワーに上るだけでも金がいる。見える所に家を三軒持つなんぞは想像もつかない。そこに女性を住まわせる。住んでいるだけでは済むまい。それぞれに顔を出し、ご機嫌を伺い、その他諸々、それなりのことをしなくてはいけない。
これほどに派手やか、大ごとでなくとも無理筋だ。統計があろうとなかろうと、不倫が多いのは上層階級、金持ちだは納得できる説だ。
私の如き下層階級、貧乏人はお相手してくださる方からお願がかかる気遣いも無い。無理というより、不可能なことだが、お願がかからないでイタしたりしようものなら、記者団に囲まれることは無くても「お前、やったな!・・キリキリ白状いたせ!」お巡りさんに囲まれてしまう。
 お巡りさんといえば、この記事を書いた側の人は、関係ないのだろうか。法律に触れてはいないだろうか。
「・・今チョメチョメさんと逢われてましたヨね」
ホテルを出たあたりで、マイクを突き付けられる。ご苦労様だけど、記者は必要な時間+αで張っていたんだろう。張っている間に何か変な想像をして、張って来たかもなどと思うのは下司の勘繰りというものだ。彼らは使命に燃えて、職業魂で待ち続けていたに違いない。どういう使命があるのだろうか。金儲けだろうな。一番理解出来る理由だ。長時間張るための準備として、標的となる人物をつけまわしていたのだろう。これはストーカー行為だ。写真は盗撮だ。標的がホテルの中で何かしら致している。致していることはエロかテロか。どちらにしろ、致したことは世間に広く知らせなくてはいけない。していると期待しているのは、テロの相談、準備などではない。それを公にする。張り込み側が法律を犯しているのではないか。私が、見ず知らずでも、知っている人でもいいが、女男にかかわらず暇にまかせてつけ回し、写真に撮ったり、何をしていたかなどと聞いたりしようものなら、間違いなくしょっ引かれると思う。文春の記者様は007よろしく、覗きのライセンスでも持っているのか。山尾さん、この度の選挙で落選したら、文春をストーカーで告発しては如何か。
 山尾さんの場合は党を離脱しただけだ。議員を辞めたわけではない。収入も変わらないだろう。芸能人ではベッキーさんを始め、結構多くの人がコマーシャル等々、TV出演が困難になっているという。職を失い、経済的制裁を受けている。これなんぞは威力業務妨害の典型ではないか。こちらの方は実害がある。当人たちも警察も、訴えたとか事情聴取したという気配が無い。
法律に触れているかどうかはさて置いて、このところの流行りの差別とやらは大丈夫だろうか。
不倫なるものをした方々は、平均的な人より少しばかり性欲が強いだけではないか。一人では飽き足らずに複数の異性と交わりたい欲求が強いのだ。世の中には性にかかわる幅広い嗜好性があるとされている。中には同性にのみ関心を持つ人もいる。略語?でLGBTと表記するらしい。昔々の神様が教えたまいし方法とは違うが、信長と蘭丸の如き例示は枚挙に暇なしである。それが曲がったことと思う人がいたりもした。今現在はLGBTの人を変に言ったり、見たりすると怪しからんとされる。差別主義者と批判される。不倫好きというか、なるべく多くの異性といたしたいという人がいて何の不思議があるのだろうか。不倫でしか駄目だという人もいるやもしれない。嗜好性の一つだ。少し平均的な、乃至は多数の人と違うだけではないか。これを非難したり、やり玉に挙げたりするのは差別だ。
もしかしたらの思いもある。実はこの不倫好きの人達は、世の中の平均値、乃至は多数と違わないのではないか。総じて同じなのではないか。これを報じる雑誌が売れ、TV番組の視聴率が上がる。それは多くの人々が、己の道徳律と違うことに批判があってのことではない。同じ穴の狢なのではないか。自分自身を考えて、同意を逃れられない。
「あの野郎!巧くやりゃぁがって!悔しくてたまらない。コンチクショウ!!自分にゃあんないいことをやるだけの金も力も地位もない。くやしい・ィィィィ・・・。そらバレタ。馬ァ鹿ァ!ザマぁみろ。叩きまくられて、平身低頭。なんと痛快!ウシシシシ…」
何の利害関係もないのに雑誌が売れ、TVの視聴率が上がるのは、人々の妬みを利用しているのだ。差別などではない。
週刊誌が下に注視して記事を載せる。TVがコピペする。日本も捨てたものではない。多くの人が下ネタ好きだから、この手の記事で雑誌が売れるのだろう。多少は少子化対策になるかもしれない。しかし、下ばかり見ていると危ない。上は危ないものが飛び交っている。もう少し安全だったように記憶している時代でも、「上を向いて歩こう」という唄がおおいに流行していた。

それでは小噺を一つ。

経済制裁

朝鮮人民共和国の高官イ・ソレガシの家内で夫婦が揉めていた。
妻「どういうことですか。不倫なんぞは許されません」
夫「いや、その僕は別に・・あの、その」
妻「不倫をしただけでもダメなのに、子供まで出来たということで。とんでもありません」
夫「いや、その僕は別に・・あの、その。不倫は認めるが、子供が出来たのは俺の所為ではない」
妻「どういうことですか。全然説明にも、言い訳にもなっていません」
夫「いや、その僕は別に・・あの、その。・・・現下の情勢を考えなさい」
妻「情勢?」
夫「大きな声では言えないが、経済制裁を受けて多くの物資が調達困難になっている」
妻「・・・?」
夫「贅沢品ということで、日本製品の入手は我々でも無理なんだ」
妻「日本製?」
夫「そう!極薄で品質の良いコンドームが手に入らない」
妻「それで?」
夫「手に入らないから、使えない。使えないから出来てしまった」
妻「!?」
夫「制裁に向き合わず、それをどうこう言うのは・・。国難に当たって愛国心が欠けていると言われても仕方が無いではないか!」


(2017.10

2017年9月6日水曜日

こん狐

こん狐  

 てっぽうを もだごとにしちゃあ まいかんぞん
おしゃぁ どでぶの くそだわけ


 これは、私が小さいときに、村のおじいさんからきいたお話です。

その村は三河の妙厳寺というお稲荷さまのある豊川村から少し離れた田舎にありました。その村は塔の木と言い、数軒の家が疎らにあるだけでした。そこに伝わるお話です。

 春のいい日和に五助ドンと呼ばれる爺ちゃんが、森の中で犬ころを見つけました。森といっても雑木林で、そこを村の衆は茸や山菜を採る程度に利用しておりました。森の入り口から少し入ったところでその犬ころは寝ていました。生まれて間もない様子で、少し弱々しい感じでした。五助ドンはその犬を家に連れて帰りました。家には婆ちゃんとサエちゃんという五つになる孫娘がいました。サエちゃんがすっかりその犬ころを気に入ました。五助爺ちゃんと婆ちゃんは百姓でしたから、毎日のように野良へ出て朝早くから日が暮れるまで働いていて、家にはサエちゃんが一人でいました。サエちゃんは犬ころのお蔭で寂しくなくなりました。一生懸命、餌をやったり、毛づくろいをしたり面倒をよく見ました。暫くすると犬ころはすっかり元気になりました。
 ある日、村の一番の物知りと言われる四平さんが五助ドンの家に来ました。小さな村ですから、一番といってもしれてはいます。
サエちゃんが「可愛いラ!」といって犬ころを見せました。
「アームイて腹を出して、チョウラカスと嬉しそうにするだニィ」
犬ころは腹を上に向けたまま、さすられて気持ちよさそうにしていました。
四平さんはそれを見て言いました。
「ホイ!こいつは犬なんかじゃあアリャァセンゾン。狐だがネ」
サエちゃんは驚いて、犬ころの顔をしげしげと見直しました。犬ころは何のことやらとサエちゃんを覗きこんでいるだけでした。
「こいつ、うんにゃ、なんて呼ぶダン?」
「名前はマンダつけちゃァおらん。・・お前はなんちゅう名前がいいダネ?」
サエちゃんが顔を覗き込んで訊くと狐のような犬ころが「コン!」と一声啼きました。
「ほれ、今コンと啼いたジャンか。こいつは狐だゾン。ホダラ」
その夜、爺ちゃん、婆ちゃんとサエちゃんで相談をしました。これはやっぱり四平さんが言うように、犬ではなくて狐に違いないということになりました。
五助ドンは一つ咳払いをし、背筋を伸ばして言いました。
「こいつの名前は“コン”ということにシマイカ!」
お爺さんの宣言でその狐の名前は“コン”ということにしました。
 秋口になりました。
コンはとても大きくなりました。
「まぁ、コンはマーハイこんなにシトナッチまって、抱っこしてやることも出来センわ。腰が、腰がエライわ。エライ、まイカン」
婆ちゃんが大きくなったコンを抱っこしようとして、腰を痛めてしまい痛がりました。
「お婆ちゃん、ドえらい痛いダカン?膏薬でもお塗リン」
「そうだノン。サエ、膏薬がそこにあるズラ?とって、ワシの腰にナデクットクレン」
サエちゃんは貝の中に入った膏薬を婆ちゃんの腰に塗ってやりました。
コンは秋になると纏わりついていたサエちゃんから離れるだけでなく、家の外にまで一人で出るようになりました。冬になると余り外に出なくなりましたが、少し暖かくなるとまた外に出るようになり、時には夜になっても帰らない日もありました。そのたびにサエちゃんは心配で、周りを探しました。
「コン、コン!何処へ行ったダヤア?」
暗闇をすかして名前を呼びました。心配で眠られないこともありました。でも一晩いない程度で、次の日には、いつの間にか家に戻ってきました。
「何処へ行っとったダン?ザイショにでも帰ってたのカネ?」
サエちゃんはコンが生家にでも帰っていたのかと聞きました。でも、コンは何も言いません。少し叱られたりしましたが、反省しているような様子は見せませんでした。
そうこうしているうちに、時々コンは家に鼠や昆虫を持ち込むようになりました。そんな時は決まって、サエちゃんのすそを引っ張り、その傍へ連れて行き、誇らしげにしていました。餌を自分で獲ったのを自慢しているのかと思いましたが、折角の獲物を自分は食べようとはしませんでした。どうやら、コンにしてみればサエちゃんにお土産を持って帰ったつもりのようでした。
 ある日、家に立ち寄った四平さんにこのことを話しました。
「コンがネズミや虫をサゲチャぁ来て、始末に負えんのだわ。お止めンって怒ってやるんだけど、ちっとも聞きゃあセン。どうすりゃいいダン?」
「そりゃぁ、きっといつも世話になっているサエちゃんへお土産のつもりだニ」
四平さんはそう言えばと、よそから聞いた話をしてくれました。やはり四平さんは村以外のことを知っている物知りです。
「尾張の在のことだ。ゴンという名前の狐がおったゲナ。コンと似た名前だけど、こいつはワルサ好きで村の人に悪さをしては喜んどった。ところがその悪戯がすぎて、猟師の兵十という爺っさまに悪いことをしてしまった。お詫びに毎日のように栗を拾って届けていたゲナ。狐は採った物を人にサゲテくるようだノン。そんなこととは知らない兵十は栗は神様が施してくれていると言われてその気になっていただゲナ。ある日、ゴンぎつねが栗をサゲテきた所へ兵十が帰って来て鉢合せをしてしまい、泥棒狐と思い、吃驚コイた兵十は持っていた鉄砲を撃っちまった」
「兵十てのはタアケだノン。ゴンがド可哀そうジャン!」
「すぐ、兵十はゴンぎつねが栗を届けてくれていたことに気付いたが、後の祭りだった」
「オソガイ話だねぇ。弾はゴンにあたったのカン?ソイデどうなったダン?」
「まぁハイ、話はそこで終わりダガネ。尾張の話。話の終わり。ハハハ、ハ」
「話かぁ。三河のこの辺じゃあ狐はお稲荷様のお使いダモンデ、悪さをするなんて誰も思っトリャアセンよ」
「ホウズラ!」
「そイカラ、百姓ばっかりで猟師はいないから鉄砲もアリャァセン。そんなオソガイことは起きんガネ。コンは好かったジャン。ゴンが聞きゃぁケナルガルゾン」
サエちゃんはコンの頭をなでながら嬉しそうな顔をしました。
 それから一年経ちました。半月ばかり家に帰らなかったコンが五匹の子狐を連れてきました。
「うわぁ!コン、ヤットカメだねぇ。こんなにヨウケ子供を産んだのカン!?」
コンは一匹一匹をサエちゃんに紹介するような素振りでした。少し鼻を広げて自慢げに見えました。
その後も時々コンは子狐をサエちゃんに預けたまま森の中に行くようで、家を空けました。サエちゃんは大変です。コン一匹の時は適当に餌やり等の世話をしていたのですが、この度は五匹です。子狐たちは家じゅうを駆け回るわ、ご飯を食べればこぼしまくるわ。そこらじゅうに涎を垂らすわです。
「あんたラァ、こんなに汚くしちゃって、フントにランゴクモない!オウジョウコクでいかんわ。マアハイ、そこらじゅうヨドマルケにしてーぇ!イヤッタイ子たちだヤァ」
サエちゃんは工夫をしました。五匹の子狐に涎掛けを作ってしてやりました。
「こいでチイたあケッコクなるズラ」
家の中は少し綺麗になりました。
五匹の子狐はすくすくと育ったそうです。そして、いつのまにか他の狐たちもやってくるようになり、まるで狐の家になってしまいました。サエちゃんも近所の人達も狐たちと仲良く暮らしたゲナ。めでたし、芽出度し。

 これが私の聞いたお話です。今は村も人が増え、昔と様子が変わり、狐を見ようとしてもめったに出会えるものではありません。でも、昔は三河では多くの狐が人と和やかに暮らしていたのは間違いないことです。豊川稲荷へ行って御覧なさい。おおくの狐の石像が寄進され、赤い涎掛けをしています。

(会話部分は三河弁を使っています。お判りにならない場合は、ご質問ください。又、誤用などあれば、ご指摘もお願いたします。)

それでは小噺を一つ。キツネではなくタヌキの噺です。

タヌキの都市伝説

 タヌキが人間に化けてアパートを借りようと不動産屋へやってきました。
不「それで、お一人で住まわれますか? ご予算は如何ほどでしょうか?」
タ「はい、一匹・・あ、一人の予定です。あまりお金は出せません。一番安いので結構です」
不「そうですネ・・・。こちらなどは如何でしょうか。結構お得な物件です。八畳一間で、押入れが付いています」
タ「え?八畳ですか?・・一寸すみません。トイレを貸していただけませんか」
不「え?あぁトイレはそちらです。・・えぇ右側です」
暫くしてたぬきはトイレから戻ってきました。
タ「すみません。・・・あのー、八畳というのは少し狭すぎませんか?」
不「・・?狭すぎますか? お一人でしょう。ご予算の関係もありますし」
タ「八畳というのがどの位の広さか、トイレで調べてきました」
不「・・・? ・・?」
タ「この広さでは、とても住めないと思います」
不「あぁぁ!!あの・・コ・困ります。ここでチャックを開けられるのは・・・・」


(2017.9)

2017年8月6日日曜日

夫天地者

夫天地者 
 
夫天地者近平之逆旅  全員者百代之過失
                  自白序文

お久しぶりです。すっかりご無沙汰しておりました。アルカイナでございます。いえ、いえ。前にも申し上げましたが、アルカイダではありません。そんなことアルカイナのアルカイナです。
ここだけのお話でございます。実は殆ど全世界が、かの超大国の手に堕ちようとしております。最上級の支配層の方々は承知しておりますが、殆どの人は知らないことです。暫く他言無用に願います。
その昔、その大国が世界を支配していた時代がありました。その時は、自分たちが世界を支配していると思い込んでいましたが、実際にはアジアの大部分ということで、地球の四半分にも及ばない程度でした。しかしながら、彼らは世界の中心にあり、周りは野蛮国で付き従うものとしていました。それらの国々には見下した名前をつけていました。支配下にはありませんでしたが、我が国を邪馬台国と呼び、統治者の名は卑弥呼としていました。邪、卑というような文字を使って、堂々と差別し、蔑視していたのです。今使っている“小日本”などと言う可愛い名前ではありません。邪悪に充ち満ちた言葉です。蔑視です。
さて今日ただ今のことです。一帯一路などの世界戦略が見事にはまり、超大国、中国の夢がかなったというものです。世界制覇を遂げ、少しばかり夢の中にこの手法、他国のリーダーを蔑称で呼び、己の偉大さを全人民とともに満喫しようと考えました。どのようなことか、説明いたします。
世界に覇をなしたことを宣言すべく、超大国は準備として、すでに各国に漢字の使用を要請しています。あわせて、首脳の名前も漢字表記することを義務付けたのです。勿論、ルールに基づいて自主的に決めるなどということは許されません。こうしろと言われた通りのことを自ら実施したようにするだけです。逆らえば蛇口が絞められます。蛇口です。喉首を絞めるなど乱暴なことはいたしません。勿論以前から使われていたものです。金です。金印です。今からご紹介する、各国首脳の金ヅルです。ここを握って世界を制覇したのです。勿論武力や財力で押さえつけられる国にはそれを使いましたが、並行して各個撃破で首脳のクビ、首根っこを押さえたのです。その上で、身の安泰を保証し名を授けようというわけです。漢委奴国王印に似た印と伴に「命名書」を添えようという次第です。それに漢字名を使うのです。
先ずはアメリカです。
アメリカの大統領トランプは“徒乱舞”としました。
いたずらに、撥ねっ返り踊り狂っているだけだという意味です。踊りの場合、それがいかに派手やかであろうとも、激しく、加えて下手くそであろうとも、傍にいる者には迷惑千万ではありますが、やらせておけばいいのです。自分はいっぱしの踊り手だとか、大向こうを唸らせていると思い込んでいても、適当に拍手の一つもしてやれば事足ります。近所がうるさい、迷惑だと騒ぎだしたら、少し手を貸せばいいのです。時に“グレート”位の声かけをしておけば御の字です。踊りに気取られ、騙されても気付くのに時間が必要です。
大西洋を渡っての島国、イギリスです。
メイ首相は簡単です。“迷”の一文字で沢山です。それ以上は文字の無駄遣いというものです。
仲間でいるとロクなことが無いというので、EUから脱出を図りました。その気ではなかった前任者が、国が出るなら俺も出ると家を出て行ってしまいました。残された家族も家を出ることにしたものの、家財道具を確保したり、その後の暮らしのありようについて話をつけなくてはなりません。国内では結束して、事に当ろうと用も無い選挙までやってみましたが、国民も思ったほど協力してくれそうもありません。すっかり当てが外れて、今さら引き返すにも引き返すことが出来ず困ったなぁの状態です。迷っています。参っています。“迷”です。
その“迷”の主な交渉相手はドイツでした。
ドイツのメルケル首相は“滅入蹴”です。
世界に冠たる・・。元へ! EUに冠たるドイツです。二次予選で完膚無きまでに叩きのめされましたが、見事な敗者復活を遂げています。財力、政治力を駆使してヨーロッパを束ね、栄えています。EUの盟主です。何処の国でもそうですが、ある範囲では間違いなく集中が起こります。経済成長が続けば見逃されてきますが、鈍化すると問題が大きくなります。日本で言えば、東京一極集中です。地方は過疎となります。東京の稼ぎを地方に分配しても、デモが起こったりして騒ぎが広がることはないようです。国が一つですから、都民ファーストなどという知事さまも地方に工場をつくるナ、東京につくれなどとは間違っても言いません。東京の稼ぎを右から左へとやっても、一旦止まって考えることもしません。しかしEUではドイツやイギリスが稼いだお金をギリシャに使えば、文句が出て当然です。しかしEUの稼ぎがドイツに沢山流れ、ギリシャにはおこぼれ程度なのは、経済現象というより物理現象です。困ったことに、EUの大国には金だけでなく多くの難民まで流れ込んできました。それは我慢するとして、イギリスの離脱騒ぎやテロ騒動には大いに滅入っております。しかし彼女は強いので、そんなものは蹴っ飛ばして進みそうです。
 もう一つのEU内の大国はフランスです。
 フランスのマクロン大統領は“真苦労”です。立場としては“滅入蹴”の次に叙せられます。若さが売り物です。残念ながら、若さのゆえに経験が浅く、並みいる海千山千に打ち勝てるかどうか、期待半分不安半分です。すぐ東の大国の“滅入蹴”には、歳上の女性を御する術を長年にわたって訓練し、習得しており大丈夫でしょうが、もう少し東の大国ロシアには本当に苦労が絶えません。更に更に東の超大国に至っては、下手に反抗姿勢を見せようものなら、爆買い観光客の制限を課せられるなど、いとも簡単に報復処置を施されそうで、なるべく黙っているよりほかありません。“真苦労”です。
 “真苦労”や “滅入蹴”が対峙している東の国、ロシアです。
プーチン大統領は“不沈”です。
不沈戦艦、不沈空母など、沈まないのです。宿敵どもを撃ち落とし、時には一服盛って沈めてきました。彼自身は沈んだりしません。沈まない代わりに、世界では経済封鎖などされて、浮いているとされています。正確には“真苦労”や “滅入蹴”と対峙しているのではなく、相手はNATOですから、大元はアメリカでした。ここは一番直接手を出すべし。さすがKGB。“徒乱舞”の舞に紛れ込んで、巧くやりました。一緒に踊りながら、向う脛を蹴飛ばしました。ヒラリとかわされたかと思った瞬間、向こうがコケました。シメタ。巧くやったと思いましたが、“徒乱舞”の踊りがへたくそ過ぎてバレそうです。やりそこなったかなとは思っています。“不沈”の所為ではありません。相手が政治の素人だったということが、誤算だったようです。でも“徒乱舞”が踊りのステップを間違えて、躓くようなことがあっても、“不沈”に事が及ぶ気遣いなんぞはありません。次回選挙も“徒乱舞”はこけても“不沈”は大丈夫です。元又は現KGBとしての実力は揺るぎも無く、右に出るものは一人としていません。
 一番超大国に近い国はどうでしょうか。
 先ずは直接のお隣、北朝鮮です。
キム委員長は“気無情”です。気まぐれで、人民へは情の欠片もありません。しかし、世界の首脳の中でも一番偉い人です。自国の人民がひれ伏し従うのは勿論のこととして、世界の首脳が格好をつけて口先では非難しますが、やれるものならやってみろとケツをまくられると、おケツの臭いに辟易とするのか、手も足も出ません。せめて紙ぐらい出そうと、韓国から差し入れの用意があるといっても、知らぬ顔です。“気無情”は人民と同じトイレでは用を足せないそうです。ミサイルをうつのは得意でもキジをうつのはかなり難しいようです。変なところで紙を出されても困ります。
 その韓国は如何でしょうか。
ムンジェインは“無理強”です。北に向けて話し合いをしよう、話し合いをしようと声をかけております。迷惑なんじゃありませんか。話もしたくないのに無理強いされても、返事のしようがありません。“無理強”も北に無視されて寂しいのか、南を向いて、日本とも話し合いをしようといっています。ところが日本も話は付いている、蒸し返されても知らんと、これまた好い返事はしません。どちらも無理筋なんでしょうか。国民の支持率は80%を超えているそうです。アメリカの大統領や日本の首相の倍以上です。もっと強く押して、押しまくれる立ち位置です。駄目ですか。隣の超大国の主席は100%でしょう。そりゃあ敵いません。お隣だけ気にかけておけばいいのだから、頑張りましょう。
さてと、日本が残っていました。
安倍総理大臣は“痾疲”です。
なんとまぁ、難しい漢字です。もしかしたら、ご当人は読めないかもしれません。勿論アソー副総理には無理というものです。“アビ”という発音ですが、少しばかり訛って下さい。読める人も支持率も30%切ってるとか、いないとか、・・。頭が痛いことです。頭痛だけでなく、潰瘍性大腸炎で腹具合が悪いとか腹黒いのではなど、印象操作が行われています。そばの食べ過ぎだという噂もあります。モリ、カケそばを喰い過ぎたとされています。モリにしろ、カケにしろ蕎麦の一杯や二杯で腹具合が悪くなるようでは困ります。本人は喰っていないというのに、野党からはヤイノヤイノと攻め立てられています。その昔、吉田茂は人を食ったと自称して、記者の取材を煙に巻いていました。“痾疲”さんも、集中審議とかで質問されたら、時そばよろしく「イマナントッキイタィ?」位の応答をしては如何なものかと・・。

全世界が手中に堕ちたとは言え、未だ世界の人々がそれを知ったり、気づこうとしていないのにアルカイナ、お前は何故知っているのか。今流行りのフェイクニュースに違いあるまい。ご尤もな質問です。言い質問ですネエです。
私、アルカイナは超大国の下請けもしております。正確には、しておりました。主席様から直々に世界の首脳の漢字名を考え、提案するようにと依頼を受けたのです。ですから、今まで紹介、説明をしてきた内容は私が作成し、提示たものです。したがって、超大国上層部数人と私アルカイナしか知りません。
 実は今、私は某所に息をひそめ隠れています。身の危険をひしひしと感じています。
各国の首脳の漢字名を提案した時に、我が国の核心についてはどうかと御下問を頂きました。漢字で習近平という立派なものがあるのにどうしてと尋ねたところ、お前の実力を知るためだと言われました。ここで秀作を示せば、この度の仕事が更に高額で買い取られるであろうと期待しました。私、アルカイナは真剣に考え“臭金糞兵”は如何かと提案しました。各国首脳には、なるべく汚く、気分を損ねるものを考えました。これにならって考えた結果です。勿論趣旨も説明しました。主席様と人民の方々が、世界にばら撒き垂れ流しているものでございます。金が付いているので耐え難きを耐えていますが、世界中が嫌がっております。言ってしまってから反省しました。私少しばかり口の軽いところがあります。ハタと気が付きました。手遅れでした。誤解を招いたとすれば真に遺憾です。取り消しの上、謹んでお詫びいたします。深々と頭を垂れ、心からそう申し上げたのですが、駄目でした。国家転覆煽動罪だとか言われました。国はとにかくとして、肥桶をひっくり返してしまいました。“臭金糞兵”です。
世界中があの国の影響下にあります。あの国の法律が私にも適用されるらしいのです。逃げなくてはなりません。殺されないまでも、一生牢屋に入れられ、病気になろうと死にかかろうと、いたぶられます。なんとか逃げ延びたいと思っております。お助けください。

それでは小噺を一つ。

中国旅行

 旅行社へ一人の老人がやってきた。社員が色々なパンフレットを見せながら、中国旅行を勧めた。
社「如何ですか。桂林、兵馬俑、万里の長城。素晴らしい旅行先が取りそろえてございます」
老「有名だから名前は知っている。興味はあるし、一度行ってみたいものだ。でもなぁ・・・」
社「何か問題がおありで?今ですと費用の方もお得な特別割引もございます」
老「だがなぁ・・。わしゃあ言葉が、その・・中国語はシェシェしか判らんし・・」
社「お客様、心配御無用です。ガイドが付いておりますから、何の心配もございません」
老「そうか。でもなぁ・・」
社「まだ何か?」
老「反日デモで、身の危険とか嫌な気分になるのでは?」
社「今は下火で、滅多にありません。ガイドがそのような場所にはいきません」
老「デモはそうとして、この頃日本人がスパイ容疑で何人も逮捕され、返してもらえないという話が・・・」
社「あれは、特別な場所での出来事で、観光地では・・。ガイドの言うことに従っていただきさえすれば、何の問題もありません」
老「まぁなぁ。そうかもしれん。ところで・・ワシはトイレが近いんだが大丈夫かナ?近頃下痢気味で・・心配だ」
社「大丈夫です。全てガイドが面倒みてくれます」
老「トイレまでガイドか?!向き合ってやるという話を聞いたが、やはりガイドと・・・?!」
(2017.8)



2017年7月6日木曜日

うたごころ

うたごころ 
地の果てか挙句の果てか行き着いて 
判らぬままに今ここに

大袈裟な言い方をさせてもらう。先日、今世紀に入って初めて唄を歌った。前世紀において、ゴルフ、麻雀、カラオケはサラリーマンと言われた人種の三種の神器とされていた。私も一端のサラリーマンとしてこれらの研さんに励んだ。サラリーマンを卒業した今、続いているのはゴルフだけである。幸いそれなりのお仲間はいるし、料金も老人優遇税制、世間のゴルフ離れによる値崩れ等もあり、ネンキンマンでもナントか出来る。但し、それなりの人数が揃わないと出来ないし、降水確率上限、気温上限など、厳しい条件下での実施である。幹事役の方は大変である。
麻雀は仲間が集まらないだけではなく、大きな声では言えないが、手元不如意という理由もある。少し命脈を保つには、パソコンで一人黙々とやることとなる。恥ずかしながら、一人手合わせでは、聊かのインチキをやってしまう。負けが込んでくると、頭にきて、試合を放棄して恥じない。最後までやらない。ソフトが勝つように仕掛けがしてあるに違いないと、勝手にきめてしまうのだ。不正?不誠実?がまかり通る。
カラオケは個人で機械を持ったり、仲間内で集まったりしてやっている人もいるようだ。周辺にはそういった人はいない。環境問題はさて置いて、私はいつの間にか声が出なくなってしまった。慢性的に喉が腫れているし、最近では鼻の周辺が普通の会話の時ですら、抑えこまれた感じでクグモッタ声になってしまい、前に出ない。そんなこともあって唄は一番縁の無いものとなっていた。それが、今世紀初めて歌ったのである。私にしては世紀の出来事なのである。
知人の一人にギターを得意とする人がいる。こういった稀有な機会が持てたのは、そのギターの達人がかなり高価なギターを入手したことによる。演奏を聞かせてほしい。お願をし、仲間数人が打ち揃って演奏を聴く会を催した。達人の演奏を何曲か聞いた。久しぶりに聴かせてもらったが、大したものだ。歌えと言われた。その昔、達人の伴奏で歌ったことが何回かあったが、今は駄目だ。歌え、歌え。声が出ないヨ。・・・折角の機会だ。達人の伴奏で歌えるのは光栄なことだ。歌ってみよう。「ベサメムーチョ」を歌った。ギターの伴奏で歌うのにはいい唄だ。途中何箇所か声がクグモッタ。それでも自分が思っていたよりは声が出たし、歌えたという感じが持てた。私としては大満足な結果であった。アンコールの声はかからなかった。
アンコールの代わりに、達人から提案がなされた。歌詞を書け、つくれ。何で?お前は駄文を書き、狂歌をつくっているではないか。歌詞をつくれ。自分が曲をつける。ご冗談を。その話はそれきりと思っていた。ところが、「狂歌明日か6月号」の返信で歌詞の方はどうなったかと、ご挨拶なのか、督促なのかを貰った。
一寸待ってチョウ。歌詞なんてものはどうやって創るのか。考えたことも無い。どうすれば出来るのか。「うたごころ」の欠片も持っていない。考えてみた。どう考えても、歌詞なんてものは、考えて出来るものではない。それを考えた。
小噺、雑文、狂歌をつくる時の流儀と同じでやってみよう。取り留めのない、雑念を思い浮かべることから始めた。歌を思い浮かべた。
戦後一番に流行った唄、「リンゴの唄」が思い浮かんだ。
♫赤いリンゴに唇寄せて・・・リンゴ可愛いや、かわいやリンゴ♫
何ともつまらん歌詞だ。情感が殆ど何もない。「うたごころ」を感じさせない。想像させるというか頭に思い浮かぶものが無い。作詞をしたサトーハチローはその道で大層有名な人だ。著名な作詞家だ。大先生に対して素人が偉そうなことを言ってはいけない。偉い人だと思っていることも付け加えなくては・・。サトーハチローはコミックソング「うちの女房にゃ髭がある」、追悼の唄「長崎の鐘」等など。多くのヒット曲を創っている。なかなか大した人だ。
「リンゴの唄」は戦後直ちに流行った唄だ。戦後の混乱した状態で創ったのだろうか。もしかして、戦時中に為う事なしに書いたものかもしれない。私なんぞは終戦の前後などには、リンゴなどは食べるはおろか見たこともなかった。ハチローさんは食べていたのだろう。退屈しのぎに、リンゴがねぇだ。それにしても不出来だ。なぜこの唄があんなに流行ったのか。思うにNHKは、進駐軍のご指示を受けて、乃至は忖度して、毒にも薬にもならない唱を流さなくてはならなかったのだろう。唄の数も多くはない。何度も繰り返し放送され人の耳と心に響く、一新された世の唄だ。うけたのはタンタンタッラン・・・曲の前奏部分にあるのかもしれない。流行り唄というのは歌詞にかかわらず、曲によって成果が得られるところも大いにあるのだろう。 
もう少し情感とか想像性とかを感じる歌は無いか。「カスバの女」が浮かんだ。フランス映画の主題曲で、歌詞は翻訳されたものと思い込んでいたが、これがmade in Japanだと最近知った。
♫泪じゃァないのよー浮気な雨が・・・ここは地の果てアルジェリア・・・♫ ロマンのある好い文句だ。「うたごころ」がこもった見事な物言いだ。そう思った。驚いたことに、作詞の大高ひさをという人はアルジェリアなんぞへ行ったことも無いそうだ。作詞家の想像力、創作力の大きさを感じさせてくれる。作曲は孫牧人という人で韓国人だ。おまけにこの唄を歌っていたのはエト那枝という。何とも国籍不明な名前の人だ。
「カスバの女」が思い浮かんだのには訳がある。
最近テレビでよく見る歌番組がある。フォレスタという合唱団が歌っている。歌手はクラッシック出の人達であるが、演奏される曲の多くは歌曲ではない。20世紀の流行り歌である。古い歌だけに、熟成されコクが出ている。歌詞に「うたごころ」が詰っているものが多い。
懐メロ、20世紀の歌番組は結構数ある。古い映像を再生したり、最近の歌い手が歌ったりしている。気に入らない点が多くある。古い映像を流すに際し、何故かしら1番だけ乃至は酷い時には出だしだけでフェードアウトさせたりする。懐かしさ、唄声に浸る暇もない。フォレスタの場合はフルコーラスやる。原曲が4番まである場合、聴いたことが無い文句であることが少なくない。レコードならば4番まであれば、4番まで聴いているのだろう。歌謡曲はラジオかTVで聴いてきた。多くの歌番組では、長くても3番まで位しかやらなかったのだろう。最近の人が歌う場合には2番くらいまではやる。この時は、歌い手の特徴が仇となって、昔の歌い手との違和感が生じて、どうもいけない。
この番組は「こころの歌」という。お気に入りで、大方毎週聴いている。ただ歌を聴いているだけでなく、脳の活性化が出来る。題名、作詞、作曲者は演奏の初めに、オリジナルを歌った歌手名は、唄が終わってから出てくる。歌い終わるまでに、その歌手の名前を思い出すのだ。フォレスタは演歌歌手の癖のある歌い方を持ち込まない。持ち込まないから、逆に唄が流れると昔の歌手の顔が、歌い方が思い浮かんでくる。歌い手の顔は思い浮かんでくるが、名前が出てこない。あれだ、あれ。ほらあの。不思議なことが起こる。4番に入ると名前を何故かしら思い出すことが結構あるのだ。
美空ひばり、淡谷のり子はまず間違えない。藤山一郎も大丈夫だ。ミッチー、ハッチー、ムッチーも大方大丈夫だ。コーラス系は苦戦を強いられる。何のタロベエだ。何のチョメ子だ。違う人の名前が出てくる。はぁああ、そうか、そうだった。忘れてしまっているだけではない。時にはそんな名前聞いたことが無いという場合もある。名前は知っているが、顔を全然知らない人もいる。戦前の歌い手だ。戦後の人は大方知っている。
「カスバの女」は結構カラオケで歌った覚えがある。これをフォレスタが演奏した時、焦った。歌手の顔も名前も思い浮かばなかった。歌い終わって右下に出た字幕を見ると「エト那枝」となっている。初めて聞く名前だ。知らない人だ。Do you know? へえー。エト那枝ってえ人が歌ったのか。情感とか想像性とかを感じる歌として「カスバの女」を思い浮かべた理由の一つがこれだ。その後も何回かフォレスタの演奏でこの曲を聞いた。直ちに「エト那枝」!と叫ぶように正解をする。
で、作詞の方の宿題は?私の思考回路をご推察願いたい。記憶を呼び覚ますために、シノプシスをつなげて喜びを得ているだけだ。想像力,創造力に係わる脳細胞にはつながらない。私には「うたごころ」の欠片も無い。夢も情緒もなにもあったものではない。あるのはお遊びごころだけだ。年金で遊んで暮らす癖が身についている。乞御免。

それでは小噺を一つ。

あの世の入国手続き

身罷った正男があの世の受付で、係員に促され、タッチパネルに向かって手続きをした。
画面には;
「以上の規約に同意し、次に進んでください」と書かれ、
□「同意する」
□「同意しない」
をチェックするようになっていた。
☑「同意する」にチェックをし、次に進んだ。住所、氏名、生年月日等など全ての必要事項の記入を終え「確認する」をクリックした。
画面に「該当者なし」と表示が出た。どうしたのかと係員に尋ねた。
係員が替わって画面操作を行った。
係「数ヶ月前に、母国の要請によって名簿の強制削除が行われています」
正「どうすればいいのでしょうか?父も祖父もこちらにいるはずですが」
係「どうすれば、・・申請しても・・変更を母国は認めないでしょうし」
正「この受付に居続けなくてはならないのでしょうか?」
係「他を当たって頂くより他にありません」
正「・・・・?」
係「難民申請をして頂けば、事情によっては、天国の方で受け入れてもらえることもあります」

(2017.7)