はじめに

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2014年8月6日水曜日

戦後偏向教育
丸くて赤いは気に入らぬとて四角四面を赤く染め

多くの日本人は、戦後の偏向教育をうけて平和ボケしている。石原慎太郎さんあたりがその説の急先鋒といえよう。小学校の転校について書いていて、私はその偏向教育なるものを受けたという記憶が思い浮かばなかった。勿論、教育なるものは、何を記憶し何を理解したかなどを覚えているものではあるまい。結果としてそれが血となり肉となってこそ真の教育なのだ。だとすれば今現在の己の内外にある姿形にその痕跡が宿っているだろう。少し考えてみよう。
戦後偏向教育なるものは、日教組により支配された先生方によってなされたとされる。その日教組は大きな組織を誇っていた。私の記憶に残っている、あるいは消えてしまった先生方の殆どが日教組に入っていたはずだ。そういえば、あの先生がという思いが蘇りそうなものだ。経年劣化の所為か、一人として思い浮かばない。残渣の象徴が国旗「日の丸」の掲揚反対、国歌「君が代」斉唱反対である。TVニュースなどを見ていて、学校行事で「君が代」が流れても席に座ったまま、頑なに立とうとしない先生の姿は異様と言うより、滑稽にすら見える。その人達に対して、東で石原さん、西で橋本さんが処分を持って戦っていた。日教組も組織と力が著しく衰えたとされる今でも、知事が本気で戦っているのだから立派なものだ。それでも昔、絶大なる組織力指導力を持っていた日教組傘下の先生方から、「日の丸」「君が代」ハンターイの声を聞いた記憶が無い。先生の顔が思い浮かばない。
教科書の一部を墨で塗りつぶして使った記憶はある。都合の悪い外国のTV放送を真っ黒画面にしたり、インターネットの接続を遮断したりしてしまう今の中国よりは可愛い規制だ。おまけに塗りつぶしは、先生の指導、指図の下で生徒が銘々筆をとった。だから、教えてはいけないこと、教わってはいけないことが判った上で授業が進められた。GHQの方針が、先生にも生徒にも大層理解しやすい、授業方法だった。隠し事などは無い。塗りつぶす前が戦前偏向教育、塗りつぶした後が戦後偏向教育ということだ。戦後の部分はGHQが先駆けとなって、日教組が利用追随したのではなかろうか。
家の先に掲げられた「日の丸」、それを折りたたむ収納の記憶がある。戦時中の事だけなのだろうか。「日の丸」に関しては戦中戦後の分離が難しい。
「君が代」は戦中にとどまらず、戦後もなにがしかの機会で唄っている。それがどういう時であったかは確たる覚えは無い。歌として覚えているのだから、習ったはずだ。歌を習うのは学校でしかない。その時代にはカラオケは勿論、歌声喫茶もない。学校で習ったのなら、教えた先生は非組合員だったのだろうか。もしかしたら、幼稚園か終戦直前の国民学校一年生のごく短い間に習得したのかもしれない。「教育勅語」は少し怪しげなところはあるが、未だに暗記している。節の付いている短い「君が代」は忘れようがない。
忸怩たる思いがある。中学生の頃だ。自衛隊の車両に出会った。警察予備隊から保安隊を経て発足間もない自衛隊だ。隊列を組んでいたのではない。豊川にあった海軍工廠跡地に作られた自衛隊の基地のものであろう。あまり目立たない、というより目立たないようにした、一台だけの車両だった。その時の記憶が宜しくない。彼らを戦争する人間と捉えて、見下す気分があった。隣の国、朝鮮で戦争があっても日本人は戦争をしない。戦争に行かなくてもいい御身分になったのに、何を好き好んで自衛隊員(兵隊)などになったのか。戦争が好きなのか。表現が旨く出来ないが、大体そんな気持ちで彼らの姿を見た。今にして思えば、やはり戦後のいわゆる偏向教育が身に染みついていたのだろう。「兵隊さんのおかげです」とか「兵隊さんよ有難う」とは全く思わなかった。やはり慎太郎風にいえば「戦後偏向教育に毒されていた」のだ。「教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス」である。
自分は日教組に加入していると言った先生は一人もいなかった。日教組で知っている名前が一人だけある。槙枝元文さんだ。日教組が最強の時の委員長だ。「世界で尊敬できる人物は金日成。正日は信頼できる」と宣っていた人だ。今では、多くの日本人がこの言葉に賛同はすまい。当時は世界の平和を守り、人民を楽園に住まわせる、あの国の指導者を知り、尊敬できるか否かを話せるのは偉い人だった。その筋金入りの方が「真理の教育を掲げ、教員組織により自律的、集団的に決めた方針によって指導」したのだ。確固たる信念の持ち合わせもない私ごときが、確信的方針に基づいて行った教育にはまり込まない筈が無い。それを受けたと気付かれずに、知らず知らずに脳にしみこませてしまう。施す側から見れば、究極、至上の教育だ。洗脳という言葉があった。
 「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うと戦前の軍国主義につながり、平和国家としての日本再生を損なう。そして、平和を唱え、弱者の救済を叫べば、世の中は平和で皆が豊かな生活ができる。
私が戦後偏向教育を受けた記憶が無いと思っているのは、この人たちの主張に賛同しがたいと思っていたからかもしれない。人の言うことを素直に受け取らない、曲がった性格がそうさせたのか。教育を受けていても、曲がったヘソが受け付けなかったというところかもしれない。いやなガキだと思われていた可能性は否定できない。彼らの主張は科学的であるソウダ。科学的であるが故に、これに反対するものは勉強不足を露呈し白状している馬鹿なのだ。「オクレテル」そういう言葉の記憶がある。「オクレテル」なのだから、進歩的でない訳だ。そういう言葉があったのだから、進歩的なる教育があったのだ。お前は勉強をしない、怠け者だと思われるのが嫌で、そんなことは習っていないよと逃げているのかもしれない。
「日の丸」も「君が代」も、結構見聞きしていた記憶がある。テレビだ。今のように終日TV放送が行われていない頃、NHKが放送終了時に「日の丸」の翻る画面をバックに「君が代」を流して、当日の放送を終了していた。尤も白黒テレビだから、日の丸は白地に赤くではなく、黒くではあった。それが終わると不鮮明な白黒のボツボツが流れる画面になり「シャー……」という音が聞こえた。あれはその画面が放送されていたのではなく、電波が途切れるとそうなったようだ。今のテレビにはそういう画面が映らない。
TV画面ではなく、生で「日の丸」と「君が代」の演奏を聞いたのは、もう10年以上前のことだ。ブラジルに居た時のことだ。私を派遣していた会社と派遣を受けていた会社の技術協定が結ばれ、その調印式典があった。そこで両国国旗の掲揚と国歌の演奏がなされた。ブラジル国家は勇壮で、日本国歌は厳かであった。いいものだナと思った。
近頃では、ワールドカップなどを見ていると「日の丸」の旗が打ち振られているし、「君が代」は大相撲千秋楽の表彰式で演奏される。先日、白鵬も斉唱していた。横綱がモンゴル人ばかりだと嘆く人がいるが、君が代を歌ってくれているんだから、好いんじゃあござんせんか。「日の丸」も「君が代」も絶滅危惧種にはなっていない。偏向教育の影は薄くなってきたのか、功を奏していないのか。
日教組は一敗地にまみれたのか。GHQは日本を去ったのか。
考えてみると、「日の丸」の旗は家にない。私は持っていない。近所でも、国旗を掲揚する家を見ない。正月になれば、門松を立てる。門松などという大げさなものではなくとも、百円ショップで買ってきた注連縄とお札を玄関先に飾る。飾る行為、風習が無くなったのではなく、国旗が家に無くなっている。NHKの放送終了時の「日の丸」も「君が代」も近頃は見られない。卒業式で「蛍の光」「仰げば尊し」を歌わないとのことだ。好い文句とメロディーの曲なのに。
やはり偏向教育は絶滅危惧種になっていない。誰か絶滅防止対策をとっているに違いない。
戦後偏向教育は受けた記憶はないが、一部刷り込まれている可能性がある。私だけでなく、多くの人が似たような状態に育成されたのだろう。
戦後偏向教育のおかげによる平和ボケかどうかは別にして、我が日本は平和を世界で一番享受している国の一つであることは間違いない。有難いことだ。

それでは小噺を一つ。

虎か蠅か

21世紀も時がたったころ、習近平があの世に召された。早速、毛沢東を訪ね、到着の挨拶をした。
習「お久しぶりでございます。この度、こちらに参りましたので、生前同様によろしくお願いいたします」
毛「おぉ、習というのか。よくきた。早速だが、わが国の事を話してくれ」
習「はい。主席が亡くなられて後、鄧小平先生の強力なご指導で、発展の端緒を築きました」
毛「ウゥン。あの鄧がか?どうもあいつは気に入らん。近くに来ても挨拶にも来ない」
習「そのおかげで、今や美国を抜いてGDPは世界一になりました」
毛「ナヌ?GDPが世界一?伝統とはいえ、言い方が大げさすぎはしないか」
習「本当でございます。ただ、経済発展につれ、党の規律が緩んでしまいました。何千万元という不正蓄財をする幹部まででる始末です」
毛「何千万元?国家予算ではないか。何千元の間違いだろう」
習「いえ、何千万元です。ほっておくと共産党の足元が掬われます。そこで綱紀粛正を図りました」
毛「綱紀粛正?あぁ、紅衛兵を使っての文化大革命か!パクッたナ」
習「イエ、イエ。虎も蠅も叩きのめすと宣言して、自らやりました」
毛「虎は怖い牙があるし、蠅は数が多い。ワシは蚊も蠅も北京にはいなくなったと日本人をタブラカシタがノウ」
習「騙したのではなく、ちゃんとやりました」
毛「どうやったのか?」
習「虎には美国資本の工場で腐肉を造らせ、それを食わせました。蚊と蠅はPM2.5を撒き散らし絶滅いたしました」
毛「好!精神的でなく、肉体的攻撃か。ところで、お前はまだ若そうだが、こちらに来てしまったのは腐肉を食ったのか、PM2.5を嗅がされたのか?」

(2014.8)