はじめに

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2013年3月8日金曜日

訛り懐かし


訛り懐かし

ふるさとの訛りなつかし震災の
  がれきの中にそを聴くこともなし

 

岩手県大槌町の港へ行った。一年前のことである。大震災から一年が経っていた。船着き場は地盤沈下で突端の方は海に沈みかけていた。休止している魚市場の端にテントがけがされていて、そこから青年が顔を出した。岸壁の向こうに見える島の松が海の盛り上がりで見えなくなった。そう思ったら海が襲ってきた。逃げた。途中でこけていた子供二人を引きずるようにして逃げた。地震の後一度家に行き、港へ引き返した時の出来事だった。青年は恐ろしい出来事、経験を語ってくれた。多くのことを話してくれた。津波の恐ろしさは十分に伝えられ、港へ引き返した理由とか、家族の安否について判らないところはあったが、追加の質問はできなかった。彼の話は臨場感を持って伝えられた。ところが、そこが大槌であることに少し違和感を覚えた。この大槌の青年の話には訛りがなく、特有なイントネーションのかけらもなかった。
私はこの大槌町の隣、釜石に二回、延にして七年ほど住んでいたことがある。人生の10%を過ごした故郷の一部だ。
初めは50年前になる。釜石へは社会人として一歩を踏み出したのが50年前で、大槌町の岸壁で話を聞くことができたのは、その同期会の50周年記念でこちらへ来たのだ。
その第一歩の時、この地の人たちの会話を理解するのにかなり苦戦をした。
「・・・・・・・ダベカ!?」
製鉄会社新入社員には受けるべき教育計画があり、その中の一つとして現場実習があった。私は品質管理課に配属されたので、実習現場は製鉄所内の大方全部門に出向いた。
「・・・・・・・ダベカ!?」は大形工場での実習中だったと記憶している。大形工場というのはレールの圧延などを行う工場で、一番始めの新幹線のレールを圧延したこともある。その詰め所にいたときに電話がかかってきた。受話器をとったのはいいが「・・・・・・・」は全く耳に入ってこなかった。聞こえたのは「ダベカ!?」だけである。すぐに指導員に「スミマセン!」と謝りながら、受話器を渡した。最近TVを見ているとこの時のことを思い出す放送に出くわす。チマチョゴリを着けたおばさん姉さんが恭しく「・・・・・・・」の最後に「・ニダ!」と唱える。いちばん近い国の言葉だ。外国語だ。最後の「・ニダ!」だけしか耳に入らない。大形工場での電話の時も「・・・・・・・」の部分は外国語と変わらない。聞き取れないのだ。そういう記憶があるから「・・・・・・・ニダ!」を聞くたびに50年前の「・・・・・・・ダベカ!?」を思い出す。
二度目の釜石は35年ほど前になる。親子4人で住んでいた。
「はぁ、すみません。何でしょうか?」
「ケサトッタバリノモロコスチビダドモ、カッテケネベカ」
「はい、何でしょうか?」
「ケサトッタバリノモロコスチビダドモ、カッテケネベカ」
「あぁ、見せていただけませんか」
休みの日、朝寝坊していると家内が玄関先で応対している声が聞こえてきた。
「ケサトッタバリノモロコスチビダー」
「荷物をおろして、風呂敷を開けてくれませんか」
一度目の釜石で私の語学はかなり上達していた。家内は新米だから判らないのだが、私には完ぺきに理解できた。寝床から通訳を買って出ようかと思った。
「あぁ、トウモロコシですか。美味しそうですね」
通訳は無用だった。風呂敷の中身を見れば話は進む。値段と本数の折り合いがついたようで、行商のおばちゃんらしい声の主は帰った。
「チビ、チビって言うから何か小さなものかと思ったら、結構立派なトウモロコシだわ」
家内の方が語学に才能があるらしい。私は初期においては「・・・・・・・ダベカ!?」だったが、少なくとも家内は「・・チビ・・」は聞こえたのだ。聞こえたとはいえ「ボタン&リボン」が「バッテンボー」と聞こえるのに近い。語学に通じていない方も見えるだろうから、説明をする。「チビ」と聞こえたのは「キビ」のことだ。「キ」はしばしば「チ」となる。「ツ」とも聞こえる。とりあえず「チビ」はキビ団子のキビだ。そこへモロコスが付いている。モロコスはモロコシで唐の訓読みだ。唐黍の唐を訓読みすればモロコシキビだ。音読みならトウキビだ。不思議なことに一般的にはこれをトウモロコシと呼ぶ。なぜかしら唐が重なり、黍は消えている。この辺りは私の語学知識では判らない。余談はさておいて、行商のおばさんは採りたてのモロコシキビを担いできたのだ。風呂敷まで開けさせたから、買わないわけにはいかない。言葉が通じなかったことで、見事に売上げることができた。
それから2年ほど経った日の夕食の時だ。
「おらは・」
中学生だった娘が言いかけてやめた。やめたというより絶句したという方が正しい。その日の夕食にはそれに続いての家族団欒の会話は無かった。娘は何も言わなかったことにしたかったようだし、親も弟も聞き返さなかった。
彼女は「おらは」と言った。発音は「ORAHA」である。後日、家内が言った。息子が外で友達と遊んでいるとき、彼らの会話の大半は聞き取れない。完全なバイリンガルになっている。娘も学校など、家の外では当地の言葉を話しているのだろう。それを家で使ってしまった。つかったこと自体ではなく、自分のことを「おら」だとか「おれ」と日ごろ言っているのは内緒にしておきたかったのだ。「おれ」「おら」を女の子は使わない習慣を釜石へ来る前に習得している。
「おらは」のうち「おら」は勿論第一人称である。「は」は多分係助詞のそれだ。係助詞の「は」は書くときには「は」だが、発音は「わ」だ。歴史的に、係助詞は「は」と発音したのではなかろうか。それが時を経て「わ」と発音するようになった。その残滓がこの地方の方言に残っている。書く方はそのままにしたので「は」と書く。本当か? 珍説を唱えるのは得意だ。本気にしてはいけない。
当否はとにかくとして、このことで神経を使うことがある。日系ブラジル人のS美さんは日本語を話すが、書けない。今はサントスに住んでいて、メールのやり取りをしている。メールは日本語が基本で、ポルトガル語混じりのローマ字書きだ。パソコンで日本語をローマ字書きするときには、「ん」を「nn」と打たないようにすることと、係助詞の「は」を「ha」ではなく。「wa」と打つことだ。
あれから35年。娘も息子も離れて暮らしている。彼らが今でもバイリンガルであるかどうかは分からない。
大槌港から戻って、釜石に泊った。ホテルの受付嬢も食堂のおかみさんも、橋上市場のおばちゃんも訛りがなかった。みんな忘れてしまったのだろうか。ときどき名古屋界隈に住んでいる釜石出身者のOB会が催される。そこで交わされる会話には、訛りがある。
停車場や現地ではなく、当地のOB会でそを聴いている。 

一年前ではなく、最近の小噺をひとつ。 

病気自慢 

年寄りが集まると、あそこが痛い、ここが痒いと病気自慢が始まります。中には自分が患ってなくても、結構病気に詳しい人もいます。
日中韓の老人が病気自慢をしておりました。中国の老人がひどく咳き込みながら言いました。
中「いやぁ、例のPM2.5にすっかりやられてしまった。ゴホン!」
日「なんだ、PM2.5なんぞはかなり昔から日本にはあって、公害技術ですっかり退治した」
中「ゴホン! 何を言うか。PM2.5はわが国の開発したもので、完全国産技術で発生させている。決して日本からのパクリなどではない」
韓「二人とも歴史を知らないな。二人が使っている漢字にしろ、何にしろ、多くの文化はわが国が起源だ。PM2.5だってわが国のウリジナルに相違ない」
(2013.3)

 

夕刊を止める


夕刊を止める

 

 叩けども響くものなく薄い木鐸

 

私はこの1月から夕刊をとることを止めました。理由は新聞社に対する意思表示、平らに言えば嫌がらせに近いと承知しております。新聞が頭にきたとか、怒りを感じてなどという大袈裟なものではありません。
新聞協会は消費税の増税に対し、軽減税率の適用を主張しています。その理由が、新聞への消費税は知識に対する課税強化で、これにより国力低下をきたすというものです。牽強付会という言葉がこれほどぴったりする主張も珍しいと思います。この手の物言いは、政治家、官僚のよくするところと思っていましたが、新聞社も彼らにぴったりへばり付きすぎて、自家薬籠中の物としたといったところでしょう。軽減税率というのは、そもそも論から言えば、低所得者に対する逆進性の解消という立場からとられる処置でしょう。私自身はこの逆進性説にも異議がありますがここでは発散してしまうので差し控えて次に進みます。
一体、世の中の知識なるものの何ぼを新聞は負っているつもりなでしょうか。他の人はいざ知らず、私が一日に新聞を見る、乃至は読む時間は1時間余りにすぎません。あとはTV番組を探す時間がいくらかあります。ニュースを知るという点では、TVかインターネットによる方が多くなっています。新聞ではそれらの事柄の確認をしているだけという感じです。しかも早さにおいては勝負になりません。税金を普通にかけられたら国力が低下するなんぞはチャンチャラおかしい、新聞屋さんの思い上がりです。
まぁ、新聞界は天下のインテリの集まりでしょう。俺たちがそう言えば世の中が動くと思っている思い上がりかもしれません。思い上がりなら馬鹿、阿呆と言って済ませられますが、もしかしたら違うかもしれません。もしかしたらではなく、私にはそう思えます。それは政府のお慈悲を乞うさもしい根性からきているのではないでしょうか。これは困ったことです。引き換えに言論の自由が自縄自縛に陥ることへの想像力の欠如です。隣の大国の週刊誌の記者だって、及ばずながらと政府離れをしたいともがいているではありませんか。政府に温情を頂くことが、手加減、更には癒着を呼びます。既に癒着しているからこういう要求をしているのだとすら思えます。少し角度を変えると、政府への影響力があるのを誇示したい人がこの業界にいるのではありませんか。プロ野球強豪チームの監督指名権を持っている、あの人のことです。
消費税が上がったので、読者数が減ったなどと言わせないためもにらんで、それ以前に夕刊をやめることにしました。
ここまでは新聞協会についてのケチです。私が夕刊を止めたのは中日新聞です。新聞協会が気に入らないからと会員の中日新聞にあたるのは、親が気に入らないからとて子にあたるのだから、性質がよろしくありません。どちらかと言えば、気に入らないのは中日新聞の方で、協会の動きはついでみたいなものです。
別のところでも述べましたが、中日新聞は雨で見えなかった日食を、写真付きで見えたと報道したことがありました。大昔のことですが、私の記憶に焼き付いています。だからこの新聞社の記事内容はいつも色眼鏡をかけてみています。他の新聞を取ればいいのですが、この地域では折込広告が一番多いのが中日新聞です。その広告を奥方様が生活の糧にしています。家庭の平和と安寧のために中日新聞を取っているのです。
そういう危ういバランスのところへ昨年末載った記事が痛く心証を害しました。色眼鏡にかなったのです。
12月5日の記事です。そのことを新聞社に書いて送りました。返事をくれと。場合によっては回答できないという返事でもいいとしたためました。予想通り「個々のご意見には回答しない・・」という模範回答をいただきました。「記事」と私見は次の通りです。 

一面に社会部長の島田という方の記事なのか意見なのかが載っていた。そこには今回の衆議院選挙を「こんなに怖い選挙・・」と題して書いている。
「例えば」と自民党についての記述で「自民党に投票するという人の三割が憲法9条の改定反対、半数が原発ゼロを求めている。何となく投票先を・・あまりにも危険である」。
全ての政治課題に見解が一致する人だけがその政党に投票すべきと言っている。そのような人と政党があるはずがない。にもかかわらず「その行動を矛盾している」とも言っている。矛盾とは辻褄の合わないことだ。元来関係の無いABがありAに賛成しBに反対することは矛盾とは言わない。もう少し日本語を勉強すべきだ。
 「何となく投票先を決める・・あまりにも危険である」。続いて「二度と戦争をしてはいけない・・・日本が得た教訓・・・その礎である九条を変える・・とてつもなく重大な判断である」。
此処までを平たく言えば"自民党は九条改定を目指している。これは重大な判断である。それに簡単に賛成するのは危険である"そう言っている。"ある党は九条改定に反対している。これは重大な判断である。それに簡単に賛成するのは危険である"これも成り立つ筈だ。変えるのに安易に賛成するのは危険で、変えないのに安易に賛成するのは危険ではないのか。言いたいのは"安易に変える"の内、"安易に"は危険で"変える"を考えよというのがまっとうなことだ。ただ文章からは両方が、あえて言えば"変える"のが危険だと読者に思わせたいのだ。更に言えば、危険な自民党に入れるなと言いたいのだ。勿論、そんなことは言っていないと主張するだろう。しかし私にはそう書いてあると思える。特に終わりの部分の「何となく」の後は改憲を主張する党に投票するのは怖いと書いてある。新聞社の人だから、文章を書く玄人だ。私は一読者で文章を読む素人だ。玄人には素人に間違わないように読ませる義務がある。
続いて「大事な国土の・・・事実上二度と住めない土地にした」と福島に関する記述がある。今は住めない。住むには時間がかかる。そういう場所はある。大変なことではあるが「二度と住めない」とは福島に対する、とりわけ避難生活者に対する脅しないしは侮辱に近い。
同じ日付の別のページにも気になる見出しがあった。
「原発推進議員は?金権体質は?・・・・」これは落選運動に関する記事の見出しである。「原発推進議員」と「金権体質」は並列すべき事柄なのか。落選運動とある位だから批判の対象だ。しかし「原発推進」はそれを主張して選挙戦を行っている人がいる。一方「金権体質」を主張している人は居ない。並列することによって。「原発推進議員」を貶めようとしている。これは極めて陰湿な選挙妨害活動であると思うが如何か。 

 そんなところが気に入らないとして、夕刊を止めました。お断りしておくが、私は自民党の支持者ではありません。投票行動からいえば浮動票派です。原発についても推進派などではない、どうすべきかわからない戸惑い派です。記事の何が気に入らないのか。言葉巧みに自分の主張を載せ、それを隠している卑怯さに腹が立つのです。
 今年に入っても、同じスタンスの記事を見つけました。勿論朝刊です。
麻生副総理の「さっさと死ねるよう」というお話です。TVでは「私は遺書に終末治療で無理やり生かされているのは嫌だから、さっさと死ねるように・・」と言っていました。それを「私は遺書に・・」を削除して「さっさと死ねるようにしてほしい・・」と報じました。この手の欺瞞が多くの記事でなされています。悪意のある記事です。さすがに多くの人が主語の欠落報道を知ってしまったので、これに関するそのごの記事は無いようです。知らぬふり、頬被りを決め込んでいます。
悪意ではなく、極めて卑怯な書き方もありました。新年度予算の紹介で「財源を無視した参院選挙対策だという専門家の声もあがっている」中日新聞の主張ではありません。専門家の意見です。どういう専門家かは書いてありません。こういう書き方だとなんでも書けます。都合のいい表現法です。どうにでも書けます。言っていた、ないしは書いた人を特定できないようにして、そういう意見もあるとか、そういう意見も多いなどという書き方は新聞屋さんが本当に社会の木鐸であるならば慎むべき表現方法です。人に叩かせないで自分で叩くべきです。
主張するところが薄っぺらく、それと上げ底的に誑かそうとする意図が丸見えです。
見解が違うのは仕方がないのですが、一太刀なりともと思わせたのは、「個々のご意見には回答しない・・」という模範回答です。予想していたとはいえ、何らかの行動をしたくなったのです。

新聞も夕刊は薄い。そう思って夕刊を取ることをやめました。ここへきてふと気がつきました。考えました。私も考えが薄っぺらいなぁと。朝刊が夕刊より厚いのは多くの折り込みチラシが入っているからではありませんか。チラシを買っているのです。上げ底に気づいていませんでした。
(2013.2)

 

巳代わり


巳代わり

マヤごよみIPSに正月とことあらたまり日が昇る

 

えー、一席お笑いを申し上げて新年のご挨拶といたします。

八「明けましておめでとうございます。御隠居も好い年をお迎えの御様子で」
隠「おぉ、八っぁんかい。おめでとう。早々のご挨拶、有難う。今年もよろしくお願いしますよ」
八「今年は巳年だそうで」
隠「そうだな。巳年はなんでも、草木の成長が極限となり、次の生命が作られ始まる。草木の種子が出来始める時期とされるな」
八「そりゃぁ目出度てぇや。インギの好い年で」
隠「インギじゃあない、縁起だ」
八「縁起ですかい。そういやぁ、暮れに人類が滅びるてぇインギの悪い話がありましたが、ありゃぁ間違いだったんですね」
隠「まあな。でも本当は、人間は暮れの21日で滅びてしまったということも言われているな」
八「でも、こうしておいらたちはピンピンしていますよ」
隠「お前さんも私も実は人間じゃあないからだ」
八「へ!・・・」
隠「21日の夕暮れ、グアテマラという所でマヤの男が一人死んだ。これが最後の人間だった」
八「それで、今生き残っているのは人間なんかじゃあないということですか」
隠「マヤの血を引いたのは大勢生き残っている。だが、それらは皆直系ではない」
八「混ざっちまったんで?」
隠「そうかもな。私たちも含めて人間は一人として残っちゃぁいない」
八「なんか寂しくなりますね」
隠「まぁ、そう落ち込みなさんな。本筋と言われている方がある。マヤの暦は5125年周期であらたまるのだそうだ」
八「あらたまる?」
隠「そう。暮れの21日で前の暦が終わり、新しい暦にあらたまったのだ」
八「気の長い正月みたいなものですか?」
隠「そう。めでたい話だ。草木の成長が極限となり、次の生命が作られ始まる。草木の種子が出来始める巳年と重なる」
八「ははあーん。そこで巳年ですかい」
隠「そう。伊勢神宮も秋には式年遷宮といってな、20年ごとにあらたまるのだ」
八「こちらもあらたまるのですか。めでてぇの重なる巳年の始まりだぁ」
隠「かさねがさねにもう一つってやつだな」
八「それで伊勢は三重にあり」
隠「お前さんよく判っておいでだ」
八「ところでご隠居、巳てぇのは蛇だ。蛇の昔話を聞かせてくれませんか」
隠「蛇の昔話ねぇ。お前さんもこのところすっかり昔話が好きになったな」
八「いやぁ、ご隠居にゴマのすり方を覚えたんで」
隠「ゴマ?」
八「いえ、いえ。こっちの話で」
隠「まあいいや。だがな、八っぁん、蛇てえのはきらう人もいる」
八「へー。そういやぁ、あっしもどうも蛇は好きじゃありません」
隠「さてと、日本で一番有名な巳、蛇は何だか知ってるかい?」
八「何でがしょう?」
隠「やっぱりな。知らないだろうな。でも言われりゃあ気付くってものだ」
八「はてね?」
隠「八岐大蛇。出雲大社も今年遷宮だよ。その出雲の話だ。知ってるだろう」
八「あぁ、八岐大蛇。知ってます、しってます」
隠「あれは、出雲の国に出向いたスサノオノミコトが八つの頭と尻尾を持つオロチを退治した話だ」
八「知ってますよ。そのオロチの胎内から取り出したのが名だたる剣で」
隠「そう。あめの叢雲の剣という」
八「川上からドンブラこと箸が流れてきた」
隠「知ってるな。だが、話はかなり違うのだ」
八「さあ、来ましたね。待ってました!」
隠「へへへへ・・。川の名はヒノ川という。川の中を流れてくる箸がそう簡単に見つかるものじゃあない。流れてきたのは橋じゃ。アクセントが違う」
八「橋?」
隠「そう。大型の台風に襲われてヒノ川が氾濫し、上流の橋が流されてしまったのだ」
八「何で橋が箸になっちまったんで?」
隠「うん?・・・ん。関西と関東ではハシのアクセントが違う。それでどちらか判らなくなったんじゃ。箸の方は誤伝じゃて」
八「本当ですか?少し息苦しそうですね」
隠「まぁな。ハシじゃなくてハジをかかせたい訳でもあるまい?」
八「そうです、そうです。違いありません」
隠「橋が流されてきたからには、上流に人が住んでいて災害にあっているのではと、スサノオノミコトはまだ荒れるヒノ川を上って行ったナ」
八「何と人類愛に満ちた、勇気あるお方です」
隠「そう。上へかみへと上って行き、ようやく一軒の民家を見つけた。そこには老夫婦と綺麗な娘がいたな」
八「綺麗なね!」
隠「娘は名前をクシナダヒメと名乗った」
八「老夫婦の方は?」
隠「忘れちまった」
八「三人が悲しそうに泣いていたんでしょう?」
隠「そう」
八「八岐大蛇に姉たちが皆飲まれてしまい、いよいよ最後のクシナダヒメの番だ」
隠「八岐大蛇にのまれる?確かに家にオロチは居たが、それを囲んで三人が泣いていたのじゃよ」
八「一匹のオロチを囲んでですか?」
隠「そう。何でも姫がペットとして飼っていたオロチが、腹が痛いといって七顛八倒、苦しんでいたのだよ」
八「もしかしてそれで一匹でも八岐大蛇?」
隠「セイカイ!」
八「そうだろうな。それで、ノロウィルスにでも?・・蛇じゃあ手も洗えねからねぇ?」
隠「スサノオが触診してみると、腹の中に異物があるようだった」
八「異物?もしかして癌かなんかで?」
隠「そう思ったスサノオは蛇の腹を開いて手術をすることにしたんじゃ」
八「手術ですかい」
隠「麻酔代わり酒を飲ませて眠らせ、腹を開いてみると何と剣が一振り入っていた」
八「もしかしてそれが例の?」
隠「後にあめの叢雲の剣と名付けられたものじゃ」
八「オロチが剣を飲んでいたんですか。で、手術は成功って訳ですね」
隠「ところがそう旨い具合にはいかんのだ」
八「アッシが何か言うと反対するんじゃありませんか。へそ曲がり!」
隠「ヘソが曲がっていたのは蛇の方だった」
八「蛇にヘソですかい」
隠「太刀を獲りだす時に蛇が体を曲げたので、剣の刃に触れて頭と尻尾が離れてしまった」
八「早く縫合しなくては!」
隠「残念ながら蛇はそのまま死んでしまった」
八「死んだ!クシナダヒメは嘆き悲しんでスサノオをさぞ恨んだでしょう」
隠「そんなことはない。男と女。彼らは結婚して子供も出来た」
八「今度はいい話になりましたね」
隠「しばらく暮らしていた出雲を去って、伊勢に戻り神宮へ剣を奉納した」
八「スサノオというのは暴れ者と言われてますが、優しい神様ですね」
隠「そう。神話を書く時、少し脚色されすぎて暴れん坊扱いされたが、芯は平和な神なのだ。日本の神々で悪い神様は一人もいない」
八「成程。これで目出度し、めでたしですね」
隠「おいおい、まだだよ」
八「続きがあるんで?」
隠「あるよ。熱田神宮に祭られている剣の名前を知っているだろう」
八「草薙の剣でしょ」
隠「そう。しかし元はと言えば、あめの叢雲の剣だ」
八「それを日本武尊が東征のみぎり、お借りして行った」
隠「そう」
八「その折に相模の国の国造に騙され、野原に火を放たれ、危うく焼き殺されそうになった。そこで持っていた剣で燃え盛る草をなぎ倒し、火難を免れた」
隠「うん」
八「それを縁としてその剣を草薙の剣と名付け熱田神宮に納めた」
隠「うん。わしの言いたいことを先取りしたな」
八「いえいえ。御隠居でなくても知っている有名な話です。それとも今度も何か違うって言うのですかい。へそ曲がり」
隠「うーむ」
八「へへへ・・・勝ったな・・」
隠「八っあん。今、お前、勝ったと言ったな」
八「いえいえ、勝ったなんぞは言いません。ヨカッタって言ったんで」
隠「いや、勝ったと言った」
八「・・・」
隠「・・・八っあん。・・・お前さんその続きをご存知かな」
八「続き?」
隠「知るまいな」
八「もしかして、日本武尊が白鳥になったという話では」
隠「へへへ・・。違う、ちがう。オロチの話だぞ、白鳥なんぞではない」
八「お。勝ち誇った、いつもの顔になりましたね」
隠「オッホン。剣が納められたのを伝え聞いたオロチが熱田神宮を訪ねてきた」
八「オロチが訪ねてきた?」
隠「そう」
八「でもオロチは頭と尻尾に切り離されて縫合も出来なかったんでしょう?」
隠「その通り。だから太刀の入っていた尻尾だけが訪ねて来たんじゃ」
八「尻尾だけ?」
隠「そう。その尻尾は丁重に扱われ、剣と一緒に熱田に祀られている」
八「へぇ~本当ですか」
隠「本当・・・そう・・。八っあん。熱田神宮は何処にあるかご存じだろう」
八「知ってますとも。名古屋です」
隠「熱田神宮は名古屋、尾張の地にある」
八「へぇ」
隠「まだ判らないか。オアリ名古屋というではないか」
八「尾アリ名古屋?・・苦しい?!じゃあご隠居。もしかしてそのオロチは白蛇ではありませんか?」
隠「だとしたらなんだい?」
八「尾張名古屋はシロでもつって申します。お後がよろしいようで・・・」
隠「やられた。悔しい・・・」
八「へへへ・・」
隠「待て、まて、・・・・・。そうだ。熱田神宮の脇に有名な鰻屋がある」
八「それがどうしました?」
隠「あれはな、蛇の供養のためだ」
八「姿形は似てなくもありませんがねエ。ウナギでしょう」
隠「ウナギ供養は巳の供養だ」
八「・・・?」
隠「ウナギは身代わり。いいな、よく聞け。巳の代わり。巳代わりだ」
八「へ、へぇ~。恐れ入りやした。今年も、お後もよろしいようで」
テケテンテンテンテン・・
(2013.1)

 

はじめに

ブログを始めます

 このブログは都市計画家の伊達美徳さんにより設計施工されました。ブログなるものの作り方、使い方が判らないので、伊達さんにお願いした次第です。専門家に基礎を作らせて、上屋を作ろうという魂胆です。横着な話ですが、そこに森猛が住みつきます。
 住み着いて何をやるかというと、「狂歌明日か」という題の雑文を載せます。狂歌と雑文それに小噺をつけたものです。
 「狂歌明日か」は2004年3月からホームページなどで毎月掲載してきました。これがパソコンのトラブルでほかの手段によっていました。それに加えて、当ブログを開設し本年1月号より掲載いたします。
タイトルはこんなことです。

くたばるは狂歌明日か知らねども
          思い軽いも計りかね

春の小川のせせらぎで流され続けて六十余年
晦日の前に年をとり高齢者とぞよばれたる
暇だけたっぷり抱え込み年金貰って日向ぼっこ
思想信条縁なき衆生 話途中で気が変わる 
言いたい放題してみたい笑わせたいし笑いたい
時に投稿などしてみても気に染まなければ没になる
自分で打った蕎麦ならばいささか太くも細くとも
長い短いおしなべて味わい恥じらいさらす戯言

(2004年3月吉日創刊)