はじめに

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2019年5月6日月曜日

令和


令和

 改元で痛み痒みも飛んでいく

お礼はあとで年払い



元号が改まりました。大多数が新元号の「令和」に賛同しているようで、国民に祝福されて始まるということは結構なことです。

とは言え、中には異論を唱える人がいないわけではないようです。

共産党の志位さんが異論を唱えておりました。これは極めて当然のことです。共産党は天皇制を否定しているのですから、天皇制によって立つ元号を否定するのは至極当然のことで、他の異論に抜きん出ています。全く違和感がありません。ご無理ご尤もです。

いささか違和感を覚えたのが社民党の又市さんです。「令和」という元号がけしからん、気に入らないと言うことでした。理由は「令和」の令の字が「命令」の「令」だからとのことです。この方「令」が他の意味を持っていることを知らないのか無視したのか。知らないとすれば公党の党首としては無知と言わざるを得ないし、無視とすれば、普段からこういった牽強付会をしてはばからない人と思われても仕方がありません。「命令」の「命」は「いのち」です。大切な物です。一方は悪くてもう片方は好いというのは我が儘です。申し訳ないことですが、又市さんは社会党の党首だと思い、ネットで調べたら、社会党は眉毛の村山さんが最後の党首でした。もしかしてと思い社民党としてみたら出てきたような次第です。この党は天皇制を否定していなかったのでしょうか。ついでに、この文章を書くに当たって「またいち」と入力しても「また一」「マタイチ」しか出ませんでした。私が党の名前を失念しても咎められない程度に、絶滅危惧種化しています。党首が悪いのか、党員がなってないのか知りません。

共産党が異を唱え、社民党がケチをつけるのは不思議なことではありません。内閣を握る一番大きな党の方も、異を唱えていました。幅の広い党ですから、異論を持つ人の何人かがいても不思議ではないのかもしれません。

石破さんです。次期首相を窺おうかと言われる重鎮です。

官房長官の発表順序が引っかかったようです。

「・・元号は・・『れいわ』です」

官房長官が厳かに、勿体ぶって言い、続いて「令和」と書かれた額を正面に向けて、見せました。これが気に入らない。先に文字を示して「れいわです」の方がいい。順序が逆の方がいい。そう言いました。もしかして「令和」と文字を見せ、読むのは「れいわです」の方が字の読めない人には好いという気配りかもしれません。新元号は「れいわ」です。字はこう書きますでは何か不親切さがあるのでしょうか。テレビで見た限りでは、石破さんは理由を言いませんでした。理由がないのでしょう。人の言動に異を唱えるならば、それなりの理由があるはずです。理由がない、または言わないのは言い掛りにすぎないと思います。私は菅さんの順序に賛成です。理由はちゃんと用意してあります。「有言実行」というではありませんか。「実行有言」とは言いません。「有言」が先です。「実行」が後です。駄洒落に近い理由です。感想を求められた軽い会話でした。真剣に反対し、批判をするならば順序ごときを取り上げるのはいけません。質問に花を添え、答えるなら、この程度の落ちを用意すべきです。理由がない異は敵対するためだけとしか受け止められないと思います。何か一言「ケチ」をつけておくべしという発想が感じられました。「令和」は向こう何年か使われ、国民に親しまれるはずです。「ケチ」をつけた元号の下で総理を狙うのでしょうか。それを使って逆に「ケチ」をつけられるのが落ちではありませんか。

元号を使っている国は日本だけということです。他国と違っているということは好いと思います。日本の文化です。とりわけ万葉集から「令和」が引かれたというのは一層の誇りを覚えます。もちろん元号自身も、万葉集の文も起源が中国にあるのは確かです。この度の改元に際して、中国の若者が、自分の国にあった元号が失われ、日本に残っているのはうらやましい。そういう発言もあったようです。勘ぐれば巧みな政権、共産党批判かもしれませんが、素直にうれしいと思います。

素晴らしい文化だと思いますが、少し面倒です。

元号そのものは時代を表し、まとめてみるのに都合がよく、昭和時代、平成時代的思いが蘇ることで文化的にはいいものです。皆さん感じておられることだと思いますが、困るのは西暦との併用です。併用というより、元号の持つ連続性の不具合です。多分、伝統的建造物群保存地区に住んでいる人々が感じているんじゃあぁなかろうかと思われる、面倒くささ、というか不便さです。伝統的に過ごそうとすると不便さが出てきます。

元号、西暦の使い方です。

私は昭和13年生まれです。自分の生年を1938年と記すことが増えたのは、外国とのお付き合いが増えてからです。それまでは昭和の意識しかありませんでした。今では、今のところはといった方がいいかもしれませんが、自分の生まれ年は元号と西暦ですぐに思い、書けます。

小学校入学は簡単です。昭和20年で1945年です。終戦の年で、繰り返し見聞きしているからです。これは元号西暦関係なく出てきます。小学校卒業から高校までは考えないと元号、西暦ともに出てきません。これが大学の卒業、会社入社となると突然昭和36年です。西暦は使いません。大学、会社のOB会が結構頻繁に行われます。このとき使われるのが昭和年号です。○○36会、××36OB会、・・等など昭和年号が使われています。自分が昭和36年に卒業、または社会人になったということを強く記憶、意識することとなります。私は何年からこの仕事を、この会社でしているか。西暦では、あらかじめ計算、準備してないと答えられません。

60歳で定年でした。定年の年は何年か。元号、西暦ともに、にわかには言えません。足し算をしなくてはだめです。1938601998です。

ここです。この場合昭和や平成は使えません。その場合は更に複雑な数式?を用いないと算出ができません。何年前かなぁ?の場合は元号をまたいでいると、その年を記憶していても何年前かはだめです。困るのは、さほど厳密に何年前かを思い出すのにも不都合です。あれは確か昭和50年過ぎのことだった。何年前か。すぐには判らなくなっています。

 現役で仕事をしていた頃は、文書の日付は昭和か平成、元号を使っていました。対外国用のみは当然ながら西暦です。

現役末期は在伯していたのでもちろん西暦を使っていいました。訪伯したのは1997年と記憶しています。離伯時ミレニアム問題なるものが取り沙汰されていました。コンピューターの誤作動で飛行機が飛ぶやら、落ちるやらが心配されるなどという噂も流布されていたのです。だから私は2000年まではブラジルにいて、帰国に際し飛行機に乗れるかどうか、少し気にしていました。その年まで3年間在伯していたのだから、引き算で訪伯が97年と判るわけです。極めて理屈っぽい覚え方だが、あらゆることを時系列的の覚えているなんぞは無理です。理屈がつけられれば、覚えにも影響できます。ぼけ防止策として、いろいろな物にかこつけ、理屈をつけておければ、ぼけたなどと侮られなくてすむと期待しています。この場合も平成何年か、恥ずかしながら俄には答えられません。

記憶力の大幅低下が窺われる昨今、元号が変わりました。令和が進むと、平成のことも何年前のことかと聞かれると返答に窮する事態が起こるであろうことは疑いないことでしょう。元号を使う機会はしばらくないでしょうが、困りそうな気がします。

改善提案があります。

今年は令和元年です。今年の4月までは平成歴19年とし、来年は令和20年とします。そして平成に遡って、元号の年を「元号歴+西暦の下二桁」と表現してほしいのです。昭和まで遡ると混乱を招くかもしれませんが、平成なら大丈夫ではないでしょうか。

いかがなもので?改悪ですか?!





それでは小噺を一つ。



薬効



薬を飲んでも、どうも治りのよくない患者が医者にたずねた。

患「どうも先生、頂いている薬が一向に効かないように思えますが」

医「どれどれ」

患「腫れも痛みも前と変わりません」

医「フーム」

患「おまけに下痢の症状まで出ています」

カルテと薬の服用説明書を見ながら医者は言った。

医「いや、大丈夫。薬は間違いなく効いています」

患「はい?」

医「ほら、説明書に書いてあるでしょう。副作用として時に下痢の症状が出ますって」

患「はい」

医「副作用が出ているのです。主作用は間違いなく効いています。薬を飲んだからこそ今の状態ですんでいるのです」



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