はじめに

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2016年7月6日水曜日

いくらべ

ハジとケンギは江戸の華 カネは俺のだ あざといか

マスゾエさんが辞めてしまわれました。残念でなりません。別に彼を応援していた訳ではありません。縁もゆかりもない方です。東京から離れた地方に住む者にとって、東京都知事がどうなろうという思いです。どちらかと言えば、はるか遠い異国の方ながら、ヒラリーさん、トランプさんの方が生活に響きそうな感じです。なぜ残念などと言うかです。火事と喧嘩は江戸の華です。困ったことではありますが、自分が当事者でなければ火事も喧嘩も結構な催しものです。野次馬の出番です。この度の出来事に関心を持ち続けたのは、完全な野次馬根性からです。楽しみにさせていただくところがあったからです。それが終わってしまいました。残念です。
先月号でマスゾエさんにふれました。
そこで彼は小さいと表現しました。私は潔く前言を取り消さなくてはいけません。彼は小さくなんかないのです。大物であることに気付かされました。あれだけ多くのマスコミ、都議の先生方に取り囲まれ、ケチ、セコイなどに加えて嘘つき呼ばわりまでされました。彼は堂々と、時には若干ではありますが反論を交えて、彼らと渡り合っていました。そして辞めて都庁を去るに当たっては、後ろ足で砂をかけるという技をも見せつけました。
私にはとてもまねができません。細かいことですが他にもできないことがあります。
一つは違う質問に同じ答えを繰り返すことです。TVを見ていて思いました。記者は答えが予測できるのだから、質問の仕方を変えるべきです。
「・・・について伺います。お答えは第三者の公正、公平な厳しい調査によって・・で宜しいでしょうか?」
私はそう尋ねて欲しいと思いました。
天下のマンネリ番組と言われる笑点。同じような人が同じような答えをして五十年も笑いをとってきました。私も毎週とまでは言いませんが、結構見ています。あの番組が飽かれないで続いているのは、マンネリに加えて、適度なアドリブとクスグリが混ぜてあるからです。古典落語はその本筋です。同じ噺を同じように語りながら、聞く人を引き込んでしまう。話術。芸人、プロの凄い力です。マスゾエさんとそのカイゾエさんには芸がありません。対する質問者側には芸どころか能もないと言いたくなりました。上記のような質問をして、少し飽きが来ないようにしてほしかったのです。
二つ目は同じ質問に違う答えをすることです。これは困ったことです。記憶力がよくないと何と答えたかを忘れてしまい、矛盾をしてしまったり、自分でも何だか判らなくなったりしてしまいます。昨日晩飯を食べたのは覚えていますが、何を食べたかまではよく覚えていません。日常繰り返していることは数が多すぎて間違える、あるいは忘れて当然です。歳の所為だけではありません。しかしながら、会議だか会食だかに出席していた人が事務所の関係者から社長に急に出世してしまうのは困ったものです。私としては「社長と言うのは事務所関係者の乾したものです」位のことは言ってほしかったという思いです。そうです。テレスコという魚を乾すとステレンキョウと名前が変わります。名前が変わるのは噺の世界だけではありません。「難波の葦も伊勢で浜荻」という恰好が好いのもあります。教養があるマスゾエさんにはこちらの方が似合うかもしれません。しかし日常生活が混淆状態であれば、誰が居たか、一緒だったかを間違えても、晩飯と同じです。日常茶飯事というではありませんか。しかし、第三者の弁護士先生の「関係者とは関係者です」という珍答もいいですね。完全に記者連中は馬鹿にされていました。尻馬に乗って質問しているだけの人に対する表現は、これぞ弁護士、流石と思わせる応対でした。
記者会見、議会。そのどちらも楽しませていただきました。しかし、あれらは完璧な世に言うところのイジメです。寄って集ってTV網を動員して、全国規模で行ったイジメです。マスゾエさんの凄いなあと思わせる点、チイサイ論を打ち砕いたのは、彼が全くこのイジメを意に介さず、耐え、涙一つ溢さなかったことです。
私には彼がいじめられた時間の十分の一までも耐えることができません。自分との比較です。私なら潔く辞めます。嘘です。潔くなんかではありません。やっていることが馬鹿馬鹿しくなって、加えて面倒くさくなって、放り出してしまいます。イジメに耐える体力、気力、加えて責任感の欠片の持ち合わせもありません。彼はこれらを持っています。耐えて、耐えて、耐え抜いたのです。
私の反省点としてはもう一つあります。図に乗って、いじめに加担していた己の後ろめたさに対するものです。
彼が行ったのは合法です。合法だそうですと言い換えます。私は政治資金規正法なるものを読んだこともありませんし、これからも読もうとは思いません。
「合法であるが、不適切であった」
私たち庶民もこういう行為をしているのでしょうね。そう言えばこの手の行動で一番世の中を騒がせたブツがあります。脱法ドラッグです。清原さんは脱法ドラッグではなく、不法なのをやっちまったので捕まりました。脱法ドラッグはやっても持っていても売っても非合法ではないので、結果的に他人を傷つけたり、器物を壊したりしなければ捕まらないのでしょう。近頃この名を効かなくなりましたが、脱法ドラッグも「合法であるが、不適切であった」という代物でショ。マスゾエさんは家か知事室のトイレ辺りで泡でも吹いていたのですかネエ。人をひき殺したり傷つけたりしてはいません。泡を吹いていただけです。ヤッテいた時はかなりか、それなりに気分がよかったのでしょうか。再犯の可能性は如何でしょうか。
しかしながら、セコイセコイと囃したてて皆さんお楽しみかと思いますが、自分の周りに似たような環境、金ヅルと言った物があっても絶対に手を出しませんか。何が悔しいってマスゾエさんのような環境にないことが一番ではありませんか。私も環境が整えばやらないでいる自信が100%とは参りません。
かなり昔のことですが気になる案件があります。今は昔です。半世紀前のことを思い出しました。法的に、あるいは道義的に引っ掛かるとしても、時効は間違いないでしょうから、申し上げます。
昭和36年春、社会人になりました。東京で研修を受けてのち、夜行寝台に乗せられて釜石へと赴任しました。東京出発前夜、人事部門の方から赴任手当なるものを渡されました。中身の説明がありました。
「これが日当です。そしてこれが差額です。交通費として支給される一等寝台料金と二等の差額です」
金額に記憶はありませんが、ヘェーこんなに頂けるのかと有難く思う程度のものでした。新入社員でも規定により一等列車に乗れたのです。しかし列車は貸し切り車両で、二等寝台です。マスゾエさんは都の規定によりファーストを利用した訳です。決してエコノミーやビジネスに乗って差額を猫ババした訳ではありません。私達は規定を利用して猫ババを決め込んだのです。自分でやったのではなく、事務方が勝手にやったことですという言訳がオマケについています。
会社の合併があり、以降この制度が廃止されたと記憶しております。それまでは利用してというか、制度に乗っかっていました。組織ぐるみです。これは何かの法律に触れるのでしょうか。それとも単に道義的なものでしょうか。不適切側だとは思いますが、如何でしょうか。当時は名古屋で働いていました。名古屋から東京への出張は、新幹線が出来て日帰りという厳しさになっただけでなく、頂くものも往復の切符と日当わずか千円となってしまいました。暫くは寂しい感じがしました。古き良き時代を思い、会社もセコイなあと出張の都度思いました。自分がセコイなどとは決して思わないものです。
セコイという言葉は、寄席芸人の業界用語だったとされています。マスゾエさんのゴタゴタを報じた外国の新聞にsekoiと書かれ、紹介されたそうです。Susi sasimi sumouなどと並んで日本語、それも業界の隠語が世界語に出世したようです。関係者が社長になったりして、いろいろ出世する物語です。これは成功譚です。Sekoi譚ではなくSeikou譚です。

では小噺を一つ。

地獄の今 

世の中が乱れ、人々が神の教えを守らなくなってしまった。多くの人たちが地獄に落ち、地獄は定員オーバーの状態となった。鬼たちはあまりの忙しさに、まるで地獄の様だとかブラック地獄だとか口ぐちに唱え、閻魔さまに事態の改善を要求した。閻魔さまは鬼の代表を集めて言った。
「亡者の中から何人かを選抜せよ。人選はお前たちに任せるが、あの世で極悪非道を行った物を優先的に採用せよ」
見る眼嗅ぐ鼻を長にして非正規鬼の採用面接が行われた。名だたる極悪人が集められた。顔がシャイアンに似ている中国人らしい男が面接された。
見「汝は地上で何をしていたか」
男「はい、まじめにお国のために働いていました」
見「この度の受験の動機は何か?」
男「此処は、地獄という呼び名は別にして、住み慣れた国にいる心地です。是非お役にたちたいとの思いです」
見「何が似ているのか?」
男「はい、黒く濁った三途の川、血の池、業火の灼熱、餓鬼道など大方わが国にはあります。加えて賄賂を初めとする不正の横行です。それらを正すべく、政治を行い大いに国政の浄化に勤めました」
見「ふぬ?して、非正規とは言え鬼となったら何をしたいのか?」
男「はい、経験を生かし、地獄の綱紀粛正に努めたいと思います」
そこへ突然閻魔大王からのメモが見る眼嗅ぐ鼻に差しいれられた。
メモ「奴に綱紀粛正などされたら、我々の地位が脅かされる。不採用といたせ!」


(2016.7)