はじめに

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2018年4月13日金曜日

老人性


老人性 


どうされました?どうなってます?

どうもこうもなりません



昨年末、左足の向う脛に一円玉を一回り小さくした程の隆起物が出来た。所謂弁慶の泣き所と言われる辺りである。この場所には、20年くらい前から瘡蓋状のものが出来ていた。扁平で色は浅黒い。痒み痛みの類は何もない。何だろうと思った程度で、気にする程もなかろうと放置していた。

その辺りに少し痒みを覚え、見ると盛り上りが出来ている。普段わざわざ見る箇所ではないので、いつから状態が変わったのか判らない。触ってみても、押してみても痛くは無い。痒みも、それほど痒い訳ではなく、何かなぁ程度のものである。眼を近づけてみたいが、何せ体が硬いのでよく見えない。手鏡をかざしてみた。以前からある扁平状の瘡蓋の半分くらいが盛り上がっている。見たことのある形をしている。西之島だ。噴火により日本の領土、領海を大きくしているあの島だ。噴火により膨れ上がった部分と、溶岩が流れて平らに見える部分がある。但し、私の向う脛の瘡蓋は面積を拡げてはいない。半分程度が高さを増した状態である。僅かではあるが痒さがある。西之島で言えば海岸付近である。その辺りが若干ピンク色、乃至は白色を呈している。触ってみるとその辺りが少し痒い。

数日たって、再び観察をしてみた。気のせいか少しばかり高さが増しているようだ。成長している。ヤバイかな?行くべき病院は皮膚科だ。

市内の皮膚科に行った。拡大鏡を使ったりして、結構丁寧に見てくれた。この手のものに大層詳しい、精通した腕の良い先生が市民病院にいる。その先生に診てもらえとのことだ。腕のいい先生でないとまずい状態なのか。少しばかり心配になった。

紹介状を携えて、数日後の指定日に市民病院へ出かけた。何年か前にこの病院で腸のポリープを取ってもらったことがある。それ以来だ。町の病院と違った自動システムがあって、手順に従って受診をしなくてはならない。

皮膚科がいくつかある。指定された皮膚科の表示板に自分の時間が出たので、診察室に入ろうとドアをあけた。紹介された腕のいい先生と思われる人が、「間違いですヨ」と笑って言った。マチガイ?顔を見ただけで診断がなされたのか?名医でもそれは無理だ。時間指定は10時~1030分となっていた。この時間帯に受診すべき人は複数いて、表示された時間帯の人は診察室前で待ち、そこで名前を呼ばれたら入ることになっていた。部屋の前に待機している人が二人いた。同じ時間帯の人だった。腕のいい先生が間違いに気づいたのは、次に入るべき人がお婆さんだったからだ。お爺さんはその次だ。

拡大鏡で現物を観察し、サンプル採取が行われた。腕のいい先生は言った。

「多分、老人性イボだと思います。培養テストで確認をしますが、心配はいらないと思います」

腕のいい先生である。患者に余計な心配をさせない。仮に悪性のものであっても、結果が判明するまでは気楽に行くべきだ。推定無罪で好いのだ。私は結果をのんびりと待つことが出来る。さはさりながらだ。「老人性イボ」とは何だ。思い起こせばその昔、十代の頃よくイボが手足に出来た。時には生活に影響が出たことがある。足の裏に出来た時は、歩くには問題が無いが、走るために力を入れると痛かった。その他はどうってことは無い。確かに色具合は当時出来たのとは違うが、生活上は同じだ。サンプルを採りながら、必要なら切除しますと言った。名前が違うだけで、若年性?イボと同じなら、御無用に願った。

「老人性・・」

今年の暮れには80歳になる。紛うことなき老人である。

「老人性・・」と冠付けされた病気になったことがある。老人性白内障である。この時は40歳そこそこだったので、病名について医者に異議を申し立てた。異議申し立ては却下された。そのように呼ばれる病気になるには早すぎる。自分の主張を押し通すべく、以来40年近く放置している。多少の見づらさはあるが、悪化、治癒の両方共に起きていない。

この度は老人性イボである。語呂の悪い病名である。サンプリング跡からは数日間血がにじんだ。そうなることを予測して示されていたマニュアルどおりに、絆創膏で抑えていた。日がたつにつれて、痒みが強くなった。この予測はなかった。悪化?感染?・・手鏡による観察をした。絆創膏の跡が赤くなっている。老人性イボが悪化したわけではない。この手の張り物に弱い自分のせいだ。絆創膏でカブレたのだった。

年が明けて市民病院へ行った。やはり老人性イボです。病名は変わらなかった。切除を再び問われたが、辞退した。

暫くして、老人性イボに変化が起きた。

隆起部分がいつの間にか崩落?していた。無くなってしまったのだ。隆起跡は皮膚が瘡蓋状から普通の状態に近くなった。隆起しなかった部分は相変わらずか瘡蓋状になっている。結果としては老人性の部分だけが消滅したことになった。瘡蓋の部分は爪で引っ掻く程度で剥がれそうである。あえて自家手術を行って、せっかく若返った向う脛をいたぶる必要は無い。

老人性の返上。若返った。

もう一つ、今年になって若返りを思わせることが起きている。

老人性白内障を患ったのと同じ頃に花粉症になった。くしゃみと鼻水の連発。眼の痒さ。鼻水は下を向いているとダラーっと糸を引いてたれる。自覚なしに、その状態になっていたことすらあった。眼は眼で、爪を立てて掻きむしりたい気分がした。近年ではこれらの症状はほとんど気にならなくなっていた。権威筋、専門家筋によれば、症状の改善は老化現象によるとされているらしい。体内侵入者への防御能力が衰えた結果のようだ。抗原抗体反応において、抗原は体内に入っても抗体が出現しない。鼻水、眼のかゆみなどが起きない。殴られても痛みを感じないということに近いらしい。老化である。老人性花粉症だ。

老人性花粉症に反して、若年性花粉症の症状が今期は出た。くしゃみは連発という程ではないが、かなりの頻度で出る。鼻水も無自覚に垂れ下がる程ではないが、鼻が痛くなるくらいにティッシュを使う。眼は目薬ですむ程度とはいえ、痒い。大幅ではないが、若干の若返りである。喜ばしい。吉兆である。

消える前に明るさを増す、ローソクの火のたとえもある。老人性心配性である。あそこが痛い、ここが痒いの類いは数多くある。年相応と言われる。これに対応するには、適当な話で自己満足することが効くように思える。

そういうことで老人性を克服していく。



では小噺を一つ



老いてマスマス



 二十一世紀もかなり進んだ頃、某所のサウナでプーチンと習近平が二人だけで親しげに話をしていた。

習「何回目か忘れるくらいだが、再選おめでとう。ウラ爺も長いね」

P「俺のことを言えたものか。チンペイの方が長くなるよ」

習「あんたは選挙で落ちればいいが、俺の場合には終身だからナァ」

P「似たようなものサ」

習「もう何年やったのか、数えてみても判らないくらいだ」

P「後が育ってないのか、潰した効果が続いているのか」

習「言われてみれば、同じような権力闘争の結果だナ」

P「今になってみると、引くに引かれず辞めるに辞められず。考えると暗澹たるものよ」

習「こうやって週一回デイケアに通っているなんて言えないし!」

(2018.4)