はじめに

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2016年12月6日火曜日

反社会的勢力

反社会的勢力 

ミカギラれミジメなことにならぬよう
           ミッチリ払えミカジメ料

「私は反社会的勢力の構成員又は協力者ではありません」
こういった文書に署名捺印した。決して然るべき所へショッ引かれ、お取り調べを受けたりしたわけではない。反社会的勢力に係わると、何らかのお咎めを受けたりして、困るところが自己防衛的に私のような善良な市民と関わりを持つに際して免罪を担保するために行う相手方の手段である。
署名捺印に際し、俺はそういった勢力に何らのかかわりもなかったよと反芻してみた。間違いない。絶対、殆ど、多分、間違いない。
思えば、世に言うところのヤクザ、ヤ印と思われる方と付き合ったことは皆無ではない。
子供の頃、小学校の高学年ころだったと思う。怖いおじさんがいた。ヤの人だから、あの人には係わるナと親達から注意を受けていた。町内に住んでいるという訳ではなく、事あれば現れるという存在だった。当地ではかなりの悪で名が通っていた。お祭りなんぞがあると、屋台で売っている人たちの周りを巡回していた。餓鬼どもは怖いもの見たさに少し離れてついて行ったりした。屋台の人たちの態度が尋常ではなかった。それが面白いと思った。本人が何かを売っている時もあった。寅さんの先輩のテキヤとその地域の元締め格といったところだろう。この人が、出羽錦に殴られた。春日野部屋一行が巡業に来て、学校の校庭で相撲をやった。間近に栃錦、出羽錦、大起などを見た。このおじさんがゴザの上に胡坐をかいた出羽錦の前に引き出され、平身低頭して謝っていた。頭を挙げた所へ出羽錦のビンタが飛んだ。見た目にはかなり手加減をしていたように見えたが、おじさんはグラリとなった。膝をついた姿勢のままへたり込んだ。相撲取りの力強さが十分に認識できた。この頃、相撲の地方巡業はヤ印が仕切っていたと言われている。その関連で、何か粗相があったのだろう。その後はこの人の姿を見ても興味が無くなり、ついて行く奴はいなくなった。この人は知ってはいたが知り合いではない。
知り合いもいた。やはり小学校時代のことだ。1級上のあっちゃんと犬を見せてもらいに、家に時々お邪魔していた小父さんがいた。結構可愛がられていた。この小父さんの腕には「一心」という字と「般若」のお面が彫ってあった。吃驚するような大きなものではなく、チラつかせて、それとなく恐れ入らせる程度のものだった。あっちゃんによれば、この小父さんは昔グレテいる時があって、墨を入れちまったのだそうだ。今は堅気だからナと言われて、納得していた。納得しつつも、その世界が自分とはだいぶ違った所にある所、存在だという意識はあった。反社会的勢力と思われる人との一番近い関わり合いだった。
長じてから、名古屋の栄のど真ん中、通称錦三と呼ばれる繁華街、その界隈には時折出這入りした。名古屋におけるご接待の中心地である。その筋から新宿の歌舞伎町並みに指定されている。多くの店が「ミカジメ料」なる物を支払っていたとか、いるとかされている地区だ。顔を出していた店の殆どが、この手のご協力をしていたか、していることになる。そこでいささかなりとも飲んだり、歌ったりすれば、間違いなくご協力をしていたことになる。構成員にはとても及ばないが、協力者の協力者位の地位は得られる。
私が今、住んでいるのは豊橋駅から歩いて10分余りの所だ。その中間地点に松葉地区というところがある。この地区名が時々新聞に出る。歌舞伎町はおろか錦三にすら及びもつかないが、そのての臭いが薄々する。夜10時過ぎに豊橋駅から家路につくと、ここでオネエさんに声をかけられる。あぁオネエサンだナとこちらが気付き、向こうがこちらを認識するとそっと近づいてくる。「マッサージ、ドデスカ?」。「どうですか?」や「如何ですか?」ではない。「ドデスカ?」である。時に禁止だか警告だかがなされるとお休みになるらしい。警告や通達は日本語で書かれているはずだ。彼女たちに届くとは思えない。通達を読み理解できる組織が絡んでいる。マッサージなどしていただくと、協力者になる可能性がでてくる。
私のその筋とのかかわりはそんな程度だ。しかし、世間を見渡すと、私の懸念なんぞは軽く吹っ飛ぶほどの環境が、堂々と存在している。派手な彫り物をして、ヤクを常用していた有名人もいる。ケツ持ちなどという業界用語を言いふらし、かかわりを見つけられて廃業してしまった人もいる。芸能界はこの手の話が結構多い。多くて当たり前だと思う。俗人的かかわりだけではなく、組織的に協力している。
♫親の血を引く兄弟よりーもー、堅いぃぃ契りの義兄ぉ弟ぁーい♫
兄弟仁義。間違いなくヤ印賛歌である。歌っているのは北島三郎。国民的演歌歌手である。この賛歌がTVでも何度となく流されている。そして多くの人が絶大なる拍手を送る。誰も不思議に思わないし、嫌な気分にもならない。何となく、陶酔感さえおぼえる。この人が馬をもっている。キタサンブラックという馬で、天皇賞、菊花賞馬だ。この11月にはジャパンカップも制した。公営の博打に直接関係している。公営競馬の胴元は「私は反社会的勢力の構成員又は協力者ではありません」の誓約書を貰っているのだろうか。勿論、賛歌を歌っているからと言って、反社会的勢力の構成員とは言えない。それは認めるが、協力者ではないのか。歌を通じてヤ印の勢力維持拡大に寄与している。若者がこの歌を聴いて、・・・・。無いとは言えまい。賛同して歌っている訳ではない。歌手は言訳が出来る。作詞家はどうだろうか。星野哲郎はその世界に憧れ、賛美したい気持を詩にしたのではないか。フィクションだヨ。詩人は現実の気持ちを詩にする訳じゃあない。そりゃぁそうだ。でも、この唄を流行らせよう。人々をいい気分に、非日常を味あわそう。そう思った。その結果彼らは金をシコタマ儲けた。彼らの元締がいる。事務所とか。レコード会社。TV会社。一丸となってヤ印賛美をする気持ちが無ければ成り立つまい。
唱、歌手関係だけではない。見たことが無いので詳らかな点は知らないが、国民的俳優と言われた高倉健の映画なんぞも、倶利伽羅紋々の肌を見せびらかした宣伝広告をよく見た。多分内容は所謂任侠道の素晴らしさを描いたものと推測できた。次郎長以来映画の定番だ。
世を挙げて賛美してきたヤ界もこの所忌み嫌われだした。私どもは真っ当な商売をいたしておりますという担保のために、私なんぞを相手に仕事をなすに当たり、その道とは馴染みがないことを誓約させる。
私がもっている携帯電話はガラケーと呼ばれている。日本の技術が、国内向けに進化しすぎて、世界の物とかけ離れたものになってしまったのだそうだ。ガラパゴス携帯電話。ガラパゴスに対する差別だ。酷い省略だがガラケーとなった。ヤ印関連でも日本はガラパゴス化していないか。好い悪いではない。世界がヤ印方面に向かって変化している節がある。日本は世界の流れに竿さしている。
プーチンさんやジョンウンさんは島や人間を使って、返してほしければ言うことを聞けと恐喝する。業界用語ではカツアゲだ。習さんはアメリカと太平洋の真ん中に線を引いてあっちとこっちで縄張りを決めようなどと堂々とかけ合った。口だけではなく、南、東シナ海で実績作りを怠りない。この手の人たちは皆さん、北の方の人たちだ。社会主義国家だ。反社会的国家ではない。それなのに、反社会的勢力ではなく、反政府的勢力の排除、撲滅を懸命に図っている。日本の歴史教育が悪いようで、私なんぞはこれらの国々は怖いと思い込んでいる。彼らの人民がわが国に何かやらかしても、無かったことにして手を引いてもらったりする。ヤ印を避ける善良な国民の手法を政府まで採用している。なにとぞお手柔らかにとお願いしてきた。
ところがギッチョン。この度はアメリカから「ミカジメ料」が少ない、もっと払えと言ってきた。トランプさんの曰く、お前んちを只で守ってやるわけにはいかない。今までのミカジメ料では駄目だ。このままで一緒にここで商売を続けられると思ったら大間違いだ。イイナ。「明けの元朝から暮れの三十日まで、ここら辺りは親分の縄張りだ」元締めの親分の言い分は聞かないとやっていけない。
世界が総ヤ印化している。恐喝、縄張り、ミカジメ料。堅気の世界に生き、真っ当な生活をしていると、人口だけではなく、領土を始め金も命もすり減っていく。困ったもんだ。
怖い国々から遠ざかりたい。ガラパゴス化を強力に推し進めるだけでは間に合わない。この際、ガラパゴスに吸収合併してもらうのはどうだろうか。
国民投票をやろう!

それでは小噺を一つ。

小野篁

何時も夜勤めている小野篁が昼間閻魔の庁にいた。見かけた見る眼嗅ぐ鼻が尋ねた。
見「今日は昼間からのお勤めか。ご苦労様」
篁「いいえ、私も寿命が尽き、こちらに身罷ってまいりました」
見「そう言えば着ている物も白装束だナ。ところで隣にいるのは誰だ?」
篁「三途の川の渡し守でございます」
見「何でまた?」
篁「毎夜、ここへは井戸を潜って来ていました」
見「フヌ?」
篁「亡者は正規の道を使わなくてはなりません。三途の川では渡し賃三文いるというのをうっかりしていました」
見「それで?」
篁「この方は付け馬です。見る眼嗅ぐ鼻さま、三文をご用立てください」
(2016.12)


2016年11月6日日曜日

小野篁

小野篁(おののたかむら)
地獄などエンマゆかりも無いけれど
ツアーがあれば参加を希望

その昔平安時代、小野篁という公卿さんがいました。この方の噺です。
篁さんというのはなかなかのご仁で、人々からは変人と見られたりしていたようです。この人、宮仕えの他に仕事をしておりました。仕事とはいえ、無給のボランティアです。仕事というのは地獄の閻魔様のお手伝いで、裁判の補佐役だったようです。夜な夜な井戸を潜って通勤していました。未だにその井戸が京都にあるそうです。彼は時に、地位を利用して人助けまでしていました。艶罪で引っ掛かった紫式部について閻魔さまに口利きして助けたなどという噺が伝えられています。粋人だったようです。
このところ小噺で取り上げていました地獄の状況ですが、経営難に陥る程の亡者減から、鬼どもが過労死しそうな亡者増まで、周期的な亡者変動に悩まされておりました。平成でも平安でもあまり変わっていないようです。閻魔大王は有識者と言われる鬼達を集めて話し合いをさせましたが、名案の一つも出てきません。そこで見る眼嗅ぐ鼻を呼びつけ、密談を行いました。こういう高度なお話は公開ではいけません。
見「大王さま。私の考えを申し上げます。この大きな変動は天国の施策による影響が大きいと思われます」
閻「どういうことじゃ」
見「天国では亡者の数の増減を調整するために、天使を地上に送り込んだり、引き揚げたりして、天国への数を操作しております。ところがそれが下手くそで、向こうでも随分混乱していると・・」
閻「何か不具合があると人の所為にするのはよくないぞ。わが地獄でも、鬼どもを地上に送ったりしたではないか」
見「その通りでございます。ただ、地上に放たれた鬼どもは地上の生活の方が気に入り、戻ってこないので、かなり前からこの施策は中止を余儀なくされました」
閻「そうであったな」
見「今後の地獄の経営を考えますと、天国との対話、交流が必要で、話し合いで調整を図るのが宜しかろうと思う次第です」
閻「談合だナ。しかし天国のことはお前を含めだれも判らぬではないか。何か手蔓があるのか」
見「大王さま。篁がいます。小野篁でございます。彼は人間界の者ですから、天国や極楽の情報を持っているのではと思われます」
閻「第三者を介しての交渉ということか」
見「先ずは当人に私から話をして見ます。明日の裁判の後、私のところへ顔を出すようご指示ください」
その日の裁判が終わったところで、小野篁が見る眼嗅ぐ鼻のところへやってきました。
篁「大王様のご命令でまいりました。御用が御有りのようで」
見「先ず、そこへ掛けてくれ。他でもない。御用というのは・・・・と言ったようなわけで一つ手助けを頼みたい」
篁「承知いたしましたと申し上げたいところではありますが、私自身天国のことをよく判っていないのでございます。極楽の方は少しばかり知るところがございます」
見「ん?どういうことなのか?」
篁「地獄のことは、私自身こうやって目の当りにしています。おまけにこう言っては何ですが、地上界では脱獄者の数も多うございます」
見「鬼まで送り込んだしナ。だがあちらも天使を天下りさせたとか」
篁「子供は天使のように可愛いなどと囃され、天使は子供のなりをしております。天使を子供と思い、子供を天使と錯覚する親が多いのでございます。少し大きくなった天女の中には、時に松の木に羽衣をかけたままで遊び呆けてばれたようなこともありました。しかし、その後は目撃者もいないようです。だから情報らしいものは殆ど取れません」
見「ふむ、フム」
篁「それに引き換え、こちらは鬼です。風体、物腰、どうも人間離れしていて一見して判ります。間違いなく地獄の話だと信じられます。一番の違いは何と言っても、天国や極楽から脱国、脱楽してくる者などはいないということです」
見「成程。いろいろあって、地上界では情報格差が大きいということか」
篁「それやこれやで、地獄のあり様は多くの人たちが知っており、それを元手に人々をに説教などをする事が流行っております」
見「天国の方はないのだ」
篁「天国の方は様子が判らないので、それをいいことに金儲けを企む輩はいます。騙されやすい人は結構いますが、いい加減さでばれたりするのもございます」
見「そうか。判った。少し大王さまと相談して見ることにする」
数日経って、見る眼嗅ぐ鼻だけでなく、閻魔大王自らも入って相談をした。
・・・・・。
見「判りました。それではそのようにいたしましょう。いいな?篁」
篁「ご命令に従います。赤、青、黒の鬼を供にして、西方浄土とやらに行って、お釈迦様にお会いし、大王様のご意向を先方にお伝えしてまいります」
見「篁。その方が知っている西方浄土の話がどの位のものか判らないが、切羽詰まっていることでもあり、よろしく頼む」
閻「頼んだゾ」
篁「近々遣唐使を派遣するという計画もあります。それに便乗して・・・・」
見「すまんな。このところの状態では、費用もあまり多くは出せないのでナ。ファーストとかスイートなどは遠慮してくれ」
ということで、小野篁は赤、青、黒の鬼を供に西方浄土を目指すことになりました。
当人は遣唐使の副使に任じられていましたが、鬼などを連れていくというので、正使と揉め、別船便を仕立てて出かけました。その時読んだのが「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り船」で、誰かが聞いたらそう言っておいておくれ、西方浄土に行ったなどとは言うなよという歌です。
唐の長安に暫く滞在した後、一行は西方浄土へ旅立ちました。乗り物は篁用の駄馬一頭だけで、鬼どもは徒歩です。鬼どもが揃って涙を流していました。
篁「長い旅になりそうだ。徒歩で行くお前達は泣ける程の心持か、判るゾ」
赤「いいえ、悲しいのではありません。何かここ長安の空気は濁っていて眼に沁みるのです。聞くところによりますとPMナントカの所為だなどと言っていました」
篁「鬼の眼にも涙が出る程、キツイのか」
青「篁さまはなんともないので?」
篁「見てみろ。ちゃんと日の本製のマスクをしている」
判ったような、判らないような話をしながら一行は旅を進めました。
「ハクリ村」と書かれた標識があるところへまいりました。
赤「おや、何かお祭りのようなことをやっています」
青「俺たちを歓迎しているのでは?!」
巡回遊戯団の催し場のようでした。
ト「僕、トラエモン!」
まるい顔をした青い猫のような縫ぐるみが出てきました。
青「これが西遊記などに描かれた妖怪なるや?!」
篁「知るところでは、これはドラえもんのパクリものじゃ」
赤「そう言えば、亡者が結構その漫画を持ってきていたので、私も見たことがあります。でも、こいつは酷く不細工で、あまり似ていません」
ト「僕、トラエモン!パクリなどとはとんでもない、彼は猫。僕は虎。だからトラエモン!」
青「そちらの子供は?!」
ヰ「ケケケのヰたろー!」
赤「 潮来の伊太郎 か?渡り鳥だろう?とても鳥には見えない
篁「ゲゲゲの鬼太郎のつもりじゃろ」
黒「鬼か?仲間じゃあないか!」
旅の始まりに出てきたこれらの者は、妖怪というにはお粗末で、愉快と言った方がいい位なものでした。彼らより遙か昔、三蔵法師一行が唐から天竺へ上ったとされています。この時代になっても道路事情などは一向に改まっておらず、同じ道程を辿ることになりますが、取りあえず現れた紛い物の妖怪共が少しばかり一行の気持ちを和らげてくれました。
気が和らいでいたのは暫しのことで、化外の地に至ると八十一程はありませんが、多くの難と出会いました。金角大王、銀角大王などというパソコンの将棋ソフトの番人と戦ったり、せつない顔をした女には芭蕉扇でブッ飛ばされたりしました。こういった場面になると篁はトンと役に立ちません。ところが、赤、青、黒鬼は実に生き生きと戦い、簡単にやっつけてしまいました。
篁「さすが!強いもんじゃ!」
黒「へ!・・私達は本場、地獄の鬼でございます。彼らは化外の地に住み都市戸籍の無い者供。判り易く言えば、大相撲三役と幕下、MLBとプロ野球の差です」
篁「判りやすいが、戸籍の方は差別じゃあないか?」
赤「サー、別にそうは思いませんが」
強い鬼の活躍もあり、篁一行は天竺へ到着いたしました。そしてお釈迦様に謁見し経典を頂きました。尤も、お釈迦様からとは言え、遙か遠くにお姿が見えるかなぁ程度で、手渡してくれたのは事務の方のようでした。
青「すみません。係の方」
青鬼が経典を渡してくれた担当者に声をかけました。
青「この経典は中身が何も書いてない無地なのですが?」
係「・・あ、こちらが字の書いてある経典です。未使用の新品を差し上げたのですが、使い古しの方が宜しいので?後で苦情を申し立てられても、困ります」
篁「経典が必要です。それと私達は経典を頂くだけではなく、お釈迦様とお話しをさせて頂きたいのですが」
係「・・あ、そう言う話は聞いておりません。もしご希望であれば、今一度並んで頂きたいのですが。勿論列を乱して、横から入るのは厳禁です」
篁「随分長い列ができていますが、どの位待つことになりますか」
係「そうですね。五劫程はかからないかと思いますが
五劫という時間に驚いた篁が自分達は東方のかなたから艱難辛苦に耐えてやってきたことを、涙ながらに訴えました。心を打たれた係員は、せめてものこととして、帰りに利用するようにと雲を彼らに与えました。イエ、キン斗雲ではなく、キコク雲です。
一行はその雲に乗り帰国の途に着きました。八日が過ぎた時、突然雲から突き落とされてしまいました。落ちたところは故郷の地獄でした。地獄に落ちるのはこういうことかと納得できるほどの衝撃がありました。おまけに、精神的には悟るところも、得るところも無く見捨てられたかのようでした。落ち込んでいると閻魔様が見る眼嗅ぐ鼻を伴って落下地点までやってきました。
閻「所期の目的はかなわなかったようだが、お前達の労苦は十分に承知している。今夜はゆっくりくつろいで、旅の疲れをいやしてほしい」
地獄に落ちた彼らは、その夜閻魔様の肝いりで宴席が設けられ、旅の苦労話などを大いに語りました。少し酔いを覚ましたところで、灼熱地獄でひと風呂浴びることとしました。
赤「篁様もお入りになっては如何で?体の傷も心の傷も癒されますヨ」
篁「わしは人間じゃ。そのような熱いふろにはよう入れぬ。からかうでない」
青「しかし、好い湯です」
黒「久しぶりの故郷。やっぱり家が一番だ。そしてこの温かい湯!
赤「全くだ。あぁあ・・、極楽、極楽!」

お後が宜しいようで・・・・。


(2016.11)

2016年10月6日木曜日

ゲナゲナ話

ゲナゲナ話
しみじみと秋風はたち
しもじもに噂をたててほくそ笑み

洗面所の物入れの中から古い物が出てきた。少しばかりケバケバしい印刷がしてある紙に包まれている。「減肥海藻石鹸」とある。記憶にあるものだ。減肥という日本語はない。中国語だろう。平成になって間もなくの頃と記憶している。海藻の入った石鹸で体を洗うと肥満が防げる。そういう話があった。その頃、香港あたりへ行った人からお土産に頂いた記憶がある。その時分、今のように中国製品に対する疑わしさは持っていなかった。むしろ、漢方の流れから、海藻により何らかの作用があり痩身の効果が期待できる。頂いた石鹸を使ってみた。日本のそれと違い、洗濯石鹸に近い匂いと感触がした。直接肌に触れなくては意味がなかろうと、ゴシゴシやった。ワカメの芯のような海藻が浮き出てきて、ゴツゴツした肌触りがした。あまり気持ちのいい感じではなく、もう一度使おうという気にはならなかった。程なくして「減肥海藻石鹸」にはそんな効果は全くなく、インチキだという話が聞こえてきた。誰がどのようにして仕込んだのか判らないが、いい加減な代物をそれらしく見せかけて売る手法だったようだ。
何かのもくろみを達成するために、意図して風評を流すことは承知している。それも大方は上つ方が、下々を誑かすためとされている。この石鹸の出現でその手の話を幾つか思い出した。
この地方では、「××××ゲナ」という言い回しをした。過去形なのは、多くの方言が絶滅しつつあり「ゲナ」もその一つと思われ、近ごろとんと聞かない。石鹸の話でいえば「海藻石鹸を使うとデブが痩せるゲナ」。そしてそういった伝聞話を「ゲナゲナ話」と言う。続いて「ゲナゲナ話は嘘だゲナ」と言う。パラドックスがある。伝聞推定話は嘘だと言いながら、ゲナで締めてそれも怪しいというのだから、嘘か真か判別しかねることになる。その手の「ゲナゲナ話」のいくつかを紹介する。多分皆さんも知っている話であろうし、忘れかけている話でもあろう。

緑青は毒である;
緑青は銅製品に顕れる錆である。今は何が使われているのか知らないが、昔は今川焼などを焼くのは銅製品だった。周辺に緑青がついている調理道具を見ている。どの程度の毒性かはさて置いても、緑青が毒だとすれば今川焼など食べるのは不都合だが、腹痛を起こしたことはないし、話も知らない。このお話は戦前のものである。梵鐘など大型のものにとどまらず、家庭内の銅製品を供出させるために創られた「ゲナゲナ話」だったゲナ。聞いた覚えのある話ではあるが、当時の日本ではそんなホンワカとした話でなくても、嫌でも応でも供出させられただろうに。どうしてこの話が流布されたのか理解しがたい。理解しがたいことではあるが、今川焼を緑青の着いた道具で焼かれて、眼の前へ差し出され、さぁどうぞと言われたら、少しばかり手が出しにくい。

新型爆弾は白い衣服で被害を防げる;
原子爆弾を新型爆弾と言った。広島、長崎に原子爆弾が投下されてから終戦になるまでの間でないと、この話は効果がない。当時、我々が何か知る手段としては新聞とラジオ、それと人から人の伝聞しかない。新聞はその時期に発行されていたとしても、手元に来る手段があったのか。我が家にもラジオはあったが、焼け出された先でそれがあったかどうか覚束ない。いずれにしろ誰か大人から聞いた話であろう。学校の先生の可能性もあるが、はっきりした記憶はない。新型爆弾と言う単語は戦時中のものであり、戦後は原子爆弾だ。新型爆弾と言う単語を伴って聞いた話であるから、極めて短い時間で伝わっていることになる。それとも、戦後になって、こういう非科学的な、乃至はお粗末な防御手段しか日本にはなかったのだという、批判派の流した「ゲナゲナ話」なのかもしれない。白い衣服といっても、着の身着のまま、着たきり雀に着替えなんぞはない。着替えて対策をしたわけはなく、話だけが記憶にある。

米ばかり食べていると馬鹿になる;
米を主食として食べると消化のために大量にビタミンBが必要になる。ビタミンBが欠乏すると血のめぐりが悪くなる。血のめぐりが悪いということは馬鹿と言うことだ。
論理の中にビタミンBを持ち出し、いかにも科学的なお話になっている。米の消化のためにビタミンBが使われるのは素人でも疑問を覚える。しかし、後半部分は少し感じ入るところがある。私は中性脂肪がかなり高い。所謂高血脂症とかいうやつだ。血がドロドロになっていて、血のめぐりが悪くなっている。馬鹿そのものだ。ビタミンBの服用を処方された。Bの番号は忘れてしまっている。どういう訳か、整形外科の医師の処方であったことと、高いと言われて半世紀近く放置しているので服用はしなかった。さはさりながら、お医者様が処方をするのだから、ビタミンBが血のめぐりに係わっているのはそれなりの根拠があろう。だから米ばっかり食べていると血のめぐりが悪くなって馬鹿になるという話は、馬鹿に出来ない。
馬鹿になりたくないと思ったらしく、もう長い間、朝は大方パンにサラダとハムエッグ。それにコーヒー。コメダのモーニングサービスと同じだ。
これは戦後過剰生産で余っていた小麦を日本人に食べる習慣をつけさせ捌こうとした進駐軍のプロバガンダだったとされている。折から戦争に負け、己の力の無さ、無謀な戦争に突入したとされる頭の悪さ。反省に反省を重ねる心に響いたお話であり、完璧に日本を席巻してしまった。米は減産に減産、小麦に至っては、アメリカ産に駆逐され、国産は絶滅危惧種になっている。
このゲナゲナ話に乗っかって、米食を減らした日本人は賢くなり、戦後復興は大いに進み、今日の繁栄を見ることとなったゲナ。

味の素を食べると頭がよくなる;
米を食べて悪くなった頭を好くする方法もあった。味の素を摂るのだ。昭和40年前後のことだったと思う。家庭の食卓の上には赤いキャップの容器に入った塩より透明性が高く、粒子の大きい味の素が置いてあった。味噌汁にふり掛け、特に白菜の漬物には間違いなく使用した。食べると白菜の食感に加えて、若干のザリザリした舌触りを感じた。何となく美味かった。美味い上に頭がよくなる。何を契機としたか判らないが、いつの間にか我が家の食卓からこの容器が消えた。暫くして売り上げを伸ばすために、容器の穴を大きくしたのが間違いの素になったというゲナに近い話を聞いたことがあった。味の素という食品会社は冷凍食品で今はお世話になっている。すっかり味の素という調味料のことは忘れていた。それが最新のニュースで久しぶりにお目にかかった。日清食品がアメリカで販売しているカップヌードルを味の素フリーにしたというニュースだ。味の素はグルタミン酸ソーダである。ニュースによれば食すると習慣性が生じ、頭痛や吐き気をもよおす。それでこの手の化学調味料は欧米では評判がよくないとのことだ。摂取による症状はまるでヤクに近いものだ。その昔私自身が、大量摂取していた時に、習慣性は生じていたか否かは不明だが、頭痛や吐き気などをもよおした記憶は無い。日清食品は味の素フリーを謳い文句にしてカップヌードルのアメリカでの売り上げ増を図るゲナ。味の素は出初めから今に至るまでがゲナゲナ話で構成されているように思えてならない。

石鹸で頭を洗うと禿げる;
日本人は頭を洗うのに、石鹸でゴシゴシやる。欧米人はシャンプーというものを使う。シャンプーはアルカリ性ではないから、髪の毛を損傷しない。石鹸はアルカリ性で、髪を傷める。羊毛製品であるセーターを石鹸で洗ってみろ。たちまち繊維がチジミ上がり硬くなる。二度と着られなくなってしまう。人間の髪の毛だって同じ成分で出来ている。生きているからなんとかもっているが、次第に痛みが進みついには無くなってしまう。結果として禿げるのだ。極めて科学的で説得力のある話である。
石鹸で洗うと禿げるという話は欧米人という進んだ人々、日本人という遅れた人々という意味合いがあり、そういうと信じられる時代背景下のゲナゲナ話である。当然、化粧品会社のプロバガンダである。残念ながら、世間が広がり、外国人と接する機会が増えるとこのお話は簡単に否定されてしまった。どちらかと言えば、若い人の禿は欧米人の方が結構多いように思われる。典型的な例がある。日本の殿下は髪ふさふさだが、イギリスの殿下はそうではない。この話をゲナゲナ話と決めつけるには理由がある。この何年間、私は石鹸で頭を洗っている。頭を洗うついでに髪も洗う。髪も洗うということは禿げていないということだ。勿論最盛期に比べれば色は褪せ数も減ってはいる。しかし禿の分類には属していないと思っている。私が洗いたいのは頭皮である。頭皮を洗わないでいると垢がたまり痒くなる。垢を除去し痒みを無くすにはシャンプーのようなヤワな物では満足できない。
石鹸で洗うべしと決めたのは経験に基づいている。長年、頭部以外は石鹸で洗ってきた。それにも拘らず、首より下部の方は禿も傷みもしていない。白髪の一本もない。かたや髪の毛は色素が無くなり、白髪が多数を占めている。下の方は石鹸による副作用は見当たらない。髪の毛が白くなったのはシャンプーによる副作用と考えるのが筋というものだ。おまけに幾ら丁寧に洗っても、シャンプーではあくる日の夕方にはフケが出るし、痒くなる。もしかしたら「減肥海藻石鹸」で洗えば、黒髪に戻るかもしれない。

ここまでのゲナゲナ話は少し時代がかった古いものである。未だに引きずってっている感じもあるが、日本&日本人⋜外国&外国人という戦後の時代環境ゆえのものだ。情報が飛び交い、比較検討できる世の中、この手の話は・・・・。

現代版;
人を誑かすお話では「オレオレ・・・」というのが一番有名である。有名ではあるが、遭遇したことが無い。
「医療費を払い過ぎているので払い戻しをする」「工事費はタダで、電気代、ガス代が安くなる」この手の電話が時々ある。私は好きだ。なるべく丁寧に対応し、話を聞くようにしている。時々質問を挟む。成程と思う返答が少ないのが残念でならない。こう答えた方が判りやすいのだがとご教授したりもした。そこまで来て、向こうが不審に思ったのか電話を切られてしまった。その相手は市役所の方だと自称していた。30分位は会話を楽しめた。
メールでは「オメデトウございます、抽選で何がしかのものが当たりました」「アンケートに答えるだけで・・ウン万円・・」などというのがよくくる。これは対応に困る。理由は私が時代に遅れてしまっているからだ。ITに関する知識がないので、この手のものにどの程度入り込んで楽しめるのか、限度が判らない。入り口で遠慮することになる。残念でならない。

餃子

地獄では鬼手不足がひどくなり、閻魔大王自らが抜舌の刑を執行する頻度が増えていた。
毒餃子事件の犯人が冥界入りした。閻魔大王に舌を抜かれることになり、閻魔大王の面前に引き立てられた。
鬼「これ、口を大きく開け、大王さまの面前へ参れ」
男「あ~・・・」
閻魔「どうりゃ・・。うわっ!・・・」
男「あ~・・・」
閻魔「執行停止!放免いたす。直ちに下がれ!」
男「あ~・・・。お有難う・・・」
鬼「大王さま。いかがなさいましたか」
閻魔「どうもこうもない! 臭くてかなわぬわぃ・・・」
鬼「これ、亡者。一体どう致したのじゃ」
男「あ~・・・。毒入り餃子の残り全部を食べさせられ、死刑となりました。それでこちらに来たのだと思います。他のことは覚えておりません」


(2016.10)

2016年9月6日火曜日

犬の糞

犬の糞
  五輪終 行先冥土かTOKIOか 

リオ五輪が終わりました。四年後の私達は冥土でしょうか、はたまた東京でしょうか。全員が東京というわけには参りますまい。
五輪の中身にはさほどの興味はないのですが、この度は伯国のことですから、旨く出来る訳はないと思いつつ、何とかやってくれるのではと淡い期待をしていました。
始まる直前に、好いニュースがありました。フランス人のポロ選手が、リオの蚊はパリより少ないと言いました。専門家、事情通の方が「そりゃあ当たり前です。今、リオは冬です。パリは夏です。比べる意味がありません」
専門家、事情通の方は正論を吐かれます。しかしこの程度の論で一端の通とされるのは困ったものです。冬のリオと夏のパリの蚊の数を比較してなぜ意味がないのでしょうか。フランス人のポロ選手の見解は意味がないどころか、正しいのです。眼の前の状況を彼は述べたのです。眼の前で見た蚊の数を数えてみたら、パリよりリオの方が少なかったのです。さすがはポロの選手です。動体視力が大層いいのです。季節なんぞは関係ありません。到着したら、パリよりリオの方が涼しいぞ。蚊が少ないぞ。問題の一つが軽減されました。彼の体感上の見解です。正しいのです。ところでポロというのはどんな競技でしたっけ。
パリとリオの比較で思いました。そのことについてのお話をします。
蚊は結構日本でも見かけます。我が家でも繁殖・飼育をしているかの如く、ワンさといます。よく刺されます。それに引き換え、伯国では沢山見かけ、仏国をはじめとするヨーロッパ諸国でも同じように見かけましたが、最近日本ではとんとお目にかからないのが犬の糞です。蚊から犬です。それも糞です。若干連想に問題がありますが、ご勘弁願います。
その昔、江戸では「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」が名物とされていました。犬の糞が名物、目立つ物の代表であった訳です。伝統を重んじ、比較的文化遺産の保存状態がよい国家のわりに、このところの日本では、犬の糞を見たくてもなかなか遭遇する事がかないません。絶滅危惧文化の一つです。
江戸の華の時がどの程度であったかは判りませんが、子供のころは放し飼いにされていた犬が結構いたので、糞にも遭遇しています。その頃と比較して見ても、糞は仏や伯の方が圧倒的に多く、かないません。しかし、街中で見かける犬の数は当時の日本の方が数多くいました。それと当時の日本の犬は、放し飼いか野良犬でした。野良と言っても、誰かが餌をやったり遊んでやったりしていたので、無所属犬と言うべきかもしれません。
犬の糞は仏と伯ではどちらが多いか。
量的には両者ともにいい勝負だと思います。仏で犬が一匹で歩いているのを見たことはありませんでした。何度か見たのはタクシーの助手席です。それも結構大きな奴でした。あとは喫茶店のテーブルの下に客が連れて来ていたのを見た程度です。タクシーの助手席に客は乗せない決まりがあるとかです。
伯では、隣のフッチボール選手アンダーソンが飼っていたので、時折見かけました。一匹だけです。別嬪でスタイルの良い奥さんが犬を散歩させていました。奥さんの方に眼が行ってしまい、どんな犬だったかは覚えがありません。
犬は見かけないが糞はある。仏伯両国ともに犬は人間によってコントロールされていて、人眼に着かない状態です。犬がコントロールされていれば、糞もされている筈です。ところが、糞がコントロールされているのは犬のお尻から出る時までです。出てしまうとコントロールから外れてしまいます。外れた後は地べた、それも主として人が歩く歩道に鎮座することとなります。
では、歩道に放置された糞はその後のコントロールを受けないのでしょうか。この点で仏と伯では扱いが違います。仏では、歩道にある糞はパリジェンヌに目ざとく見出され、巧みな足さばきで避けられます。パリコレクションなどファッションショウでモデルが巧みなステップで歩くのは、この訓練のたまものではないかと思います。当然ながら、糞の放置は市当局に苦情がきます。観光立国であるフランスの首都は清潔でなくてはならない。糞と言えば水洗です。トイレが水洗であるのは不思議ではないが、場所は路上です。消防ホースで吹っ飛ばすことで、糞は下水口に流れ落ちていきます。仕掛けは水洗トイレと同じです。ただ、人にトバッチリがかかることもたまにはあるらしくその対策としてウェット方式を改めるべくドライ方式の検討もなされたそうです。前世紀の終わり頃のことです。オートバイの横に火挟みの如きものをつけ、それを操縦する事でつまみ取ろうとしました。人間の眼と両腕に頼った方式でした。当然のごとく失敗しました。現在の進歩したハイテク技術があっても、うまくいかないかもしれません。ハイテク技術を搭載した、室内自動掃除機の話がこれを物語っています。自動掃除機は定められた空間を定められた時間に掃除をするそうです。室内で飼われた犬が人の留守中におやりになると、指定時間に作動した掃除機が指定された個所にその糞を満遍なく塗りたくってしまうという結果を生じます。結構数多くの業務報告がメーカーに入っているということです。塗りたくることはできても除去は出来ないのが、現在の技術水準のようです。今でもパリでは火事以外で消防車が出動しているのでしょう。仏では公的資金が犬の糞に使われています。多くのヨーロッパ諸国では、飼い犬に税金を課しています。年間1万円程のようです。糞対策の目的税です。こうなると納税者の反応は見え見えです。俺は、私は税金を払って義務を果たしている。糞を始末するのは国家の義務だ。自分で始末したのでは税を払う意味がない。
仏は犬税を徴収しているかどうか知りません。しかし、オランダ、スイス、オーストリア等など糞の分布状況が極めて近似しているから、同じくらいの額が課されているものと推定されます。
さて、伯国の犬の糞はどんな塩梅でしょうか。伯国は聊か違います。だからと言って、かの国の方が糞対策が進んでいるという訳ではありません。
在伯時、日曜日にはしばしばフェイラに買い物に行きました。フェイラです。このところリオ・オリンピックで何度もTVに映し出され、日本人にも名が通りだしたのはファベーラです。フェイラは市場で、貧民窟ではありません。フェイラへはガラガラを引いて行きました。金籠にキャスターが着いた買い物かごです。これを引いて歩くとかなり大きなガラガラという音がします。もし糞づけようものなら輪ッカのガラガラ音は小さくなります。自分の足元だけではなく、ガラガラの輪ッカにも注意を払わなくてはいけません。犬の糞を足で踏んづけてはいけないし、輪ッカでも困ります。かなりの頻度で回避行動をとります。この頻度は往きが圧倒的に多く、帰りは比較的大丈夫です。パリと同じように清掃作業が行われている訳ではありません。フェイラへは朝方出かけます。犬の散歩はそれより早く行われているようです。糞の数と見かけた犬の数は全く一致しません。犬を見かけないのに糞だけがあります。それも夥しい数です。まさか家の中でおやりになった糞を道端に捨てて歩く酔狂な人はいないでしょう。昼間は暑くて出歩かない。夜中は危なくて出歩かない。比較的安全で涼しい早朝に集中して犬と一緒に散歩をし、脱糞に励む。勿論脱糞に励むのは犬だけでしょう。中の話ではなく伯の国の話です。私達がフェイラに出かける時刻は、犬が励んで間もない頃のようで、糞の一番多い時に当たっていたようです。帰る頃には数が減ります。この時間帯に消防署、市の清掃局乃至はその下請け業者が働いた形跡はありません。オリンピックの警戒に携わる警官の給料が払えないお国柄です。無理というものです。
何故、帰りの時間帯になると糞が減っているのかです。
かの国は天国である。神様はかの国に、天使が不公平感を抱くほどの素晴らしい自然環境を作られた。糞は干物状態となって無害化するのだ。
そうはいきません。その影響も全くなしとはしませんが、平等性を確保するべく神様によって住まわされた人間の質によるところが大です。住まわされた人間が、犬にやらせて放置した糞を片付ける。そうはいきません。
彼らは犬の糞など一向気にしないのです。帰りには無くなってしまったと思われる糞は、歩道の石畳に薄く延ばされ、硬くなってへばり付き、眼を凝らして見ないと判らない程になっているのです。片付けられたのではなく、片付いてしまうのです。なぜ薄く延ばされへばり付いてしまうのか。人々は何の気もなく、躊躇、注意もなく、平気で踏んづけていきます。踏んだかどうかを見もしないし、気にもならないのです。状況から見て、一人や二人の仕業ではありません。多くの人が踏んづけ行為に加担しています。この時、自然の恵みにも浴しています。表面が乾燥し靴や足に着かないのです。着かないというのは私のいい加減な推量です。試してなんかいません。何人かの人に、何度も踏みつけられ、延ばされた糞は、私が歩いても気にならない形状と品質に変化しています。干物となり無害化されます。恵まれた自然といい加減な、もとへ!大らかな人間が作り出す世界です。
オリンピックは伯国以外から見ると問題点が沢山ありました。しかしそんなことは一向気にしない人達が、未来に向かって歩み続けて、下の汚れ部分なんぞを踏みつぶしてしまったのです。いつも上を向いて歩いています。
五輪に参加した人たちは十分満足し帰って行きました。ケチをつけた輩は若干名いましたが、米人の水泳選手のように自作自演で騒いだだけです。
天国と言うのはこういうところのことです。五輪なんぞは犬の糞のようなものです。フヌ?

小噺を一つ。

地獄の今 続きの続き
急激に地獄へ落ちてくる人の数が増え、地獄は再び大幅な定員オーバーとなった。地獄の様だとかブラック地獄だとか鬼どもが口ぐちに唱え、閻魔さまに事態の改善を要求した。閻魔さまは正規鬼の呼び戻しを行うことにした。地上に派遣された大鬼が戻ってきた。
「如何であったか」
「誰一人戻ろうとしません」
「どうしてじゃ」
「いくら荒れようと、揉めようと地獄より地上の方がましだと頑張って、私の言うことをきかず、復獄を拒否しました」
怒り心頭に発した閻魔さまは知恵者の見る眼嗅ぐ鼻を説得に向かわせた。
暫くすると、多くの正規鬼が戻ってきた。
「これ、この度はよくぞ連れ戻した。して、どのように説得したのか」
「地上へ留まってもよい。その場合は北へ配置換えになると言っただけです」

(2016.9

2016年8月6日土曜日

スポーツの採点

オリンピックの賛歌にサンバ
ことわる参加にさせない参加

多臓器不全。心肺停止、脳死判定待ち。腐臭プンプン。
いろいろな話がリオとオリンピックで囃されています。そうでなくても伯国には荷が重すぎる感じなのに、ヤクの話題まで持ち込まれ、いい迷惑です。
それはさておいて、オリンピックの種目をのぞき見しながら、スポーツに自分がどんな関わりを持ってきたのか、スポーツの評価、採点でもやってみようと思います。
先ず、陸上競技です。陸上競技でやったことのあるのは二つだけです。それも競技としてではなく、中学校の体育の時間にやりました。種目は100メートル競走と走り幅跳びです。もしかしたら、学校のグランドが狭く100メートルの長さが取れず、50メートルだったかもしれません。陸上競技の中で一番の花型で、TVで観るのはマラソンです。各地で冠大会が行われています。豊橋でも毎年ハーフマラソンですが、大会があります。お仲間が出ていたことがあり、何回か見物に行きました。私はハーフどころか訓練、鍛錬の類で少しばかりの距離を走っただけです。一番長く走った距離は精々2キロメートルくらいです。幅跳びは若干の走路と砂場があれば出来ます。砂場で砂遊び以外で幅跳びをやった記憶があります。高跳びは、場所などの条件的には出来たのでしょうがやった記憶はありません。砲丸は見たことはありますが、円盤は道具を見たこともありません。投げやりな態度は得意ですが、実際に投げるのはおろか、槍を見たこともありません。
泳げます。水泳というものはやったことがあります。しかし、50メートルといえども、全力で泳ぐなどしたことはありません。その50メートルでも同じ泳法で泳ぎ続けるなどは無理です。大方は泳いでいるというより浮いているだけの状態です。川で流されおぼれかけた時、浮いていることで助かったことがあります。この時が今までで、一番の命の危機でした。
体操はラジオ体操だけです。高校の時の同級生が体操部に属していましたが、演技を見たことはありませんでした。点数をつけて順位を決めるのは、競技中の緊迫感が薄いだけでなく、恣意的なものを感じて面白くありません。自分は鉄棒で懸垂をするくらいが関の山で、床、吊り環、跳馬の道具は見たことがありません。最近では公園の鉄棒にぶら下がることを時にやります。幾ら力を込めても、力んでも、体を持ち上げることはできません。一分程ぶら下がっているだけというのがいいところです。
他に個別競技が二十種目ほどあります。この中でやったのが幾つかあります。バスケット、柔道、テニス、サッカー、卓球、バドミントンなどです。
実は部活と言われるものでやっていたのがあるのです。バスケットです。お前のようなチビがと野次られることと思います。中学生の時、渥美郡の大会に選手で出場しました。一度も勝てなかったと思います。中学三年生の時です。その時が一番背が高かったのです。郡大会ですから公式戦です。公式戦の選手としての出場はこれだけです。
部として一つ公式戦出場したものがあります。部として出たということは、自分は選手ではなかったということです。その部に所属していたから、ついて行ったというか、連れて行ってもらったの類です。適切な言葉を思い出しました。応援です。東京都大会です。郡大会ではありません。種目は柔道です。都の学生何やら大会です。結構多くの学校が出ていました。一回戦、相手は柔道の名門、明治大学でした。当時の明治には神永がいました。何か異様な感じすらしましたが、東工大のような弱小チーム相手に、本物が出てきたのです。彼に当たったこちらの選手は二段でした。結果は「デルポン」でした。本人が嬉しそうにそう言っていました。お辞儀をして向かい合います。前に出ます。出るや否や「イッポン!」と審判の判定が下されます。向き合って組むなど論外です。相手の道着の袖、襟首、それらの部分に触れた記憶もないままです。出ると一本です。「デルポン」です。明治の選手たちには準備運動にもならなかったのではと思えた次第です。
バスケットと柔道。実際にやったものです。しかしバスケットの試合を見ることはありません。見て面白いものとは思えません。アメリカ人が好きだそうですが、理解できないことです。柔道はオリンピックで日本選手が勝ちそうな時に見ることがあるといった程度です。
球技では比較的なじみのあるものにバレーボールがありますが、未だに東洋の魔女の思い出が一番の記憶です。サッカーは息子が小学生の頃やっていたので、岩手県大会などへ付き合いで見には行きましたが、あのボールを追う厳しさには着いていけません。ラグビーは、このところ世間に囃されだしました。釜石V7の最中にいたこともあって、試合だけでなく、練習の凄さも見て知っています。その後はすっかりご無沙汰しております。正直なところ、未だにルールがよく判らない面があります。バレーもラグビーもやったことはありません。
やったことがあるほかのものは、テニス、サッカー、卓球、バドミントン、ゴルフくらいなものです。
今現在やるスポーツはゴルフだけです。昔は中日クラウンズを観戦に和合へ何回か行きました。眼の前でゲーリープレーヤー、アーノルドパーマーのプレイを見ました。自分はやりますが、このところ見るのはTVだけです。
今はTV観戦だけというのがもう一つあります。野球です。昔は下手の横好きでしばしばプレイを楽しんだり、野球場へプロの試合や高校野球地方大会を見に行ったりしました。そうそう、中学校の同級生二人がプロ野球に入っています。一人は何年も経たずに死んでしまいました。もう一人は東映で一軍と二軍の間を何往復化していました。ちゃんと公式記録があるはずです。
社会人野球は半ば業務上でしばしば見に行きました。今は野球もTVだけです。ただTV観戦については自分の観戦態度が悪いと日頃反省だけはしております。ゴルフは池田や松山が不貞腐れていると、見るのを止めてしまいます。野球は巨人が勝ちそうだとチャンネルを変えます。最近では中日が勝ちそうだと見なくなりました。地元ですから贔屓にしていたのですが、ジェネラルなんとかさんが辞めるのを祈願しているのです。依怙贔屓ではなく、似非贔屓です。辞めたらTVだけでなく、名古屋ドームへ行こうかと思っております。
このところでは、マーリンズが7回過ぎくらいになるのを見計らってMLB中継を見るという特技を身につけました。「イチローベンチスタート あと何本」と表示がある場合です。「イチロー出場一番ライト」と出ていれば、見続けます。先発の場合でも、試合内容によっては次の打順が回るまで、出番を見計らって内職をやることもやっています。MLBを見るというよりイチローを見ているのです。
余程のことがない限り試合経過に関係なく見続けるTVスポーツがあります。ボクシングです。勿論やったことなんぞありません。競技場へ行ったこともありません。どう考えても一番野蛮な感じがするスポーツです。野蛮というのは悪いかもしれませんが、日常離れしているのは間違いありません。世の中では一般にやることが禁じられていることが公然と認められ、血が流れようと、顔が腫れあがろうと、ぶん殴り続けるのです。非日常だからでしょうか、好きです。尤も、亀田何某兄弟のやつは一回見ただけです。ボクシングは体全体でやるものなのに、口先だけでやっているように見えたからです。ボクシングで今気になっているのは、日本に世界チャンピオンが数えられない程に大勢いることです。何かしら上げ底になっているのだと思います。具志堅用高は強かった。今のチャンピオンは彼に比べると上げ底臭がするのです。それでも、その上げ底を覗き込んで見ています。野球では三振してもエラーをしても、ドでかいホームランを打たれても、悔しそうな顔をする程度です。ボクシングはぶん殴られた上にリングの上にヒックリ返され、血を流して終わります。敗者の表情は憐れの極みです。幸い、大写しにされるのは勝者の顔です。傷ついていても勝者の顔は直視に耐えます。
このところ、随分血が流れるスポーツがあります。オリンピック種目ではありません。相撲です。名古屋場所では嘉風を初め数人の力士が出血、内出血していました。力士の皮膚や血管がヤワになったのではなく、打ち方が過剰、異常になっているからです。相撲は好きでTV観戦は毎場所欠かしません。最近強い人のやる技が非合法ではないが不適当だと感じることが多々あります。こちらは子供の頃、学校に土俵があって結構やっていました。対戦相手が血を流したり、顔が腫れあがったりしていると、勝力士も美しくありません。少しなんとかしてください。
丁度、リオ大会が始まります。
多くの世界的なアスリートたちがリオ・オリンピックへの参加を辞退しています。ジカ熱、治安などへの不安をその理由にしています。反対にヤクがばれて参加させてもらえない方達もいます。
不参加の目立つ種目はゴルフとテニスです。どちらも世界的な、あるいは伝統のある大会が結構多く、それらはオリンピックで勝つことの栄誉と天秤にかけても勝るとも劣りません。おまけに、オリンピックは勝っても、もしかしたら金メッキのメダル一つではないのでしょうか。主催側はかなりの実入りがあるのに、そこで直接稼ぎだす人々への恩恵は、主として名誉だけです。得た名声を利用して稼げる別の才能がないといけません。世界を股にかけての搾取です。いつも不思議に思います。多くの選手は手ぶらで帰ることになります。それでも嬉々として参加する選手達。それをいいことにしっかり儲けて懐を肥やす人々。それを煽るマスコミ群。
要らんお世話はありますが、もしかして多くの皆さんも私と同じ程度のスポーツ採点で、オリンピックという名に釣られて関心を持たされているだけなのではありませんか。だからどうのこうのはありません。気になるのは、あれは「平和の祭典」と称しているということです。このところ、闇の部分が見えすぎます。金と薬漬け。不適切を超えた不正、不法。
JOCはこの対策を考えました。世界の先端を行く、日本の最新技術です。東京大会では暗闇に陽が当らないよう、聖火台の設置を見送りました。

小噺を一つ。

地獄の今 続き 

非正規鬼の採用で業務軽減が図られたのにあわせて、天使の天下りという天国の対策が地上に影響し、人心が落ち着き、地獄に落とされる者の数が激減した。かくするうちに、地獄はすっかり寂れてしまった。地獄は経営困難に陥り、人員整理を実施した。非正規鬼の解雇に始まって正規鬼も解雇することとした。彼らは天下りし、地上に降ろされた。地上はすっかり荒廃し人心は荒んだ。神の教えを守らない人が増え・・・・・そして再び地獄は盛況を迎えた・・・。
非正規鬼が地獄を席巻し、正規鬼の居場所が少なくなった。正規鬼は非正規鬼を首にすることを要求した。閻魔大王は判定を下した。非正規鬼の地位を保全し、正規鬼を天下りと称して、地上に追放することとした。見る眼嗅ぐ鼻が閻魔大王に尋ねた。
見嗅「いかにも不公平であり、本来の地獄の住民に対する処遇としては如何なものかと思います」
閻魔「見る眼嗅ぐ鼻、そなたも地獄の経営者。両者の鬼件費差を考えてみろ。こうでもしないと、わが地獄は破産し、全員が地獄に堕ちることになろう!」

(2016.8

2016年7月6日水曜日

いくらべ

ハジとケンギは江戸の華 カネは俺のだ あざといか

マスゾエさんが辞めてしまわれました。残念でなりません。別に彼を応援していた訳ではありません。縁もゆかりもない方です。東京から離れた地方に住む者にとって、東京都知事がどうなろうという思いです。どちらかと言えば、はるか遠い異国の方ながら、ヒラリーさん、トランプさんの方が生活に響きそうな感じです。なぜ残念などと言うかです。火事と喧嘩は江戸の華です。困ったことではありますが、自分が当事者でなければ火事も喧嘩も結構な催しものです。野次馬の出番です。この度の出来事に関心を持ち続けたのは、完全な野次馬根性からです。楽しみにさせていただくところがあったからです。それが終わってしまいました。残念です。
先月号でマスゾエさんにふれました。
そこで彼は小さいと表現しました。私は潔く前言を取り消さなくてはいけません。彼は小さくなんかないのです。大物であることに気付かされました。あれだけ多くのマスコミ、都議の先生方に取り囲まれ、ケチ、セコイなどに加えて嘘つき呼ばわりまでされました。彼は堂々と、時には若干ではありますが反論を交えて、彼らと渡り合っていました。そして辞めて都庁を去るに当たっては、後ろ足で砂をかけるという技をも見せつけました。
私にはとてもまねができません。細かいことですが他にもできないことがあります。
一つは違う質問に同じ答えを繰り返すことです。TVを見ていて思いました。記者は答えが予測できるのだから、質問の仕方を変えるべきです。
「・・・について伺います。お答えは第三者の公正、公平な厳しい調査によって・・で宜しいでしょうか?」
私はそう尋ねて欲しいと思いました。
天下のマンネリ番組と言われる笑点。同じような人が同じような答えをして五十年も笑いをとってきました。私も毎週とまでは言いませんが、結構見ています。あの番組が飽かれないで続いているのは、マンネリに加えて、適度なアドリブとクスグリが混ぜてあるからです。古典落語はその本筋です。同じ噺を同じように語りながら、聞く人を引き込んでしまう。話術。芸人、プロの凄い力です。マスゾエさんとそのカイゾエさんには芸がありません。対する質問者側には芸どころか能もないと言いたくなりました。上記のような質問をして、少し飽きが来ないようにしてほしかったのです。
二つ目は同じ質問に違う答えをすることです。これは困ったことです。記憶力がよくないと何と答えたかを忘れてしまい、矛盾をしてしまったり、自分でも何だか判らなくなったりしてしまいます。昨日晩飯を食べたのは覚えていますが、何を食べたかまではよく覚えていません。日常繰り返していることは数が多すぎて間違える、あるいは忘れて当然です。歳の所為だけではありません。しかしながら、会議だか会食だかに出席していた人が事務所の関係者から社長に急に出世してしまうのは困ったものです。私としては「社長と言うのは事務所関係者の乾したものです」位のことは言ってほしかったという思いです。そうです。テレスコという魚を乾すとステレンキョウと名前が変わります。名前が変わるのは噺の世界だけではありません。「難波の葦も伊勢で浜荻」という恰好が好いのもあります。教養があるマスゾエさんにはこちらの方が似合うかもしれません。しかし日常生活が混淆状態であれば、誰が居たか、一緒だったかを間違えても、晩飯と同じです。日常茶飯事というではありませんか。しかし、第三者の弁護士先生の「関係者とは関係者です」という珍答もいいですね。完全に記者連中は馬鹿にされていました。尻馬に乗って質問しているだけの人に対する表現は、これぞ弁護士、流石と思わせる応対でした。
記者会見、議会。そのどちらも楽しませていただきました。しかし、あれらは完璧な世に言うところのイジメです。寄って集ってTV網を動員して、全国規模で行ったイジメです。マスゾエさんの凄いなあと思わせる点、チイサイ論を打ち砕いたのは、彼が全くこのイジメを意に介さず、耐え、涙一つ溢さなかったことです。
私には彼がいじめられた時間の十分の一までも耐えることができません。自分との比較です。私なら潔く辞めます。嘘です。潔くなんかではありません。やっていることが馬鹿馬鹿しくなって、加えて面倒くさくなって、放り出してしまいます。イジメに耐える体力、気力、加えて責任感の欠片の持ち合わせもありません。彼はこれらを持っています。耐えて、耐えて、耐え抜いたのです。
私の反省点としてはもう一つあります。図に乗って、いじめに加担していた己の後ろめたさに対するものです。
彼が行ったのは合法です。合法だそうですと言い換えます。私は政治資金規正法なるものを読んだこともありませんし、これからも読もうとは思いません。
「合法であるが、不適切であった」
私たち庶民もこういう行為をしているのでしょうね。そう言えばこの手の行動で一番世の中を騒がせたブツがあります。脱法ドラッグです。清原さんは脱法ドラッグではなく、不法なのをやっちまったので捕まりました。脱法ドラッグはやっても持っていても売っても非合法ではないので、結果的に他人を傷つけたり、器物を壊したりしなければ捕まらないのでしょう。近頃この名を効かなくなりましたが、脱法ドラッグも「合法であるが、不適切であった」という代物でショ。マスゾエさんは家か知事室のトイレ辺りで泡でも吹いていたのですかネエ。人をひき殺したり傷つけたりしてはいません。泡を吹いていただけです。ヤッテいた時はかなりか、それなりに気分がよかったのでしょうか。再犯の可能性は如何でしょうか。
しかしながら、セコイセコイと囃したてて皆さんお楽しみかと思いますが、自分の周りに似たような環境、金ヅルと言った物があっても絶対に手を出しませんか。何が悔しいってマスゾエさんのような環境にないことが一番ではありませんか。私も環境が整えばやらないでいる自信が100%とは参りません。
かなり昔のことですが気になる案件があります。今は昔です。半世紀前のことを思い出しました。法的に、あるいは道義的に引っ掛かるとしても、時効は間違いないでしょうから、申し上げます。
昭和36年春、社会人になりました。東京で研修を受けてのち、夜行寝台に乗せられて釜石へと赴任しました。東京出発前夜、人事部門の方から赴任手当なるものを渡されました。中身の説明がありました。
「これが日当です。そしてこれが差額です。交通費として支給される一等寝台料金と二等の差額です」
金額に記憶はありませんが、ヘェーこんなに頂けるのかと有難く思う程度のものでした。新入社員でも規定により一等列車に乗れたのです。しかし列車は貸し切り車両で、二等寝台です。マスゾエさんは都の規定によりファーストを利用した訳です。決してエコノミーやビジネスに乗って差額を猫ババした訳ではありません。私達は規定を利用して猫ババを決め込んだのです。自分でやったのではなく、事務方が勝手にやったことですという言訳がオマケについています。
会社の合併があり、以降この制度が廃止されたと記憶しております。それまでは利用してというか、制度に乗っかっていました。組織ぐるみです。これは何かの法律に触れるのでしょうか。それとも単に道義的なものでしょうか。不適切側だとは思いますが、如何でしょうか。当時は名古屋で働いていました。名古屋から東京への出張は、新幹線が出来て日帰りという厳しさになっただけでなく、頂くものも往復の切符と日当わずか千円となってしまいました。暫くは寂しい感じがしました。古き良き時代を思い、会社もセコイなあと出張の都度思いました。自分がセコイなどとは決して思わないものです。
セコイという言葉は、寄席芸人の業界用語だったとされています。マスゾエさんのゴタゴタを報じた外国の新聞にsekoiと書かれ、紹介されたそうです。Susi sasimi sumouなどと並んで日本語、それも業界の隠語が世界語に出世したようです。関係者が社長になったりして、いろいろ出世する物語です。これは成功譚です。Sekoi譚ではなくSeikou譚です。

では小噺を一つ。

地獄の今 

世の中が乱れ、人々が神の教えを守らなくなってしまった。多くの人たちが地獄に落ち、地獄は定員オーバーの状態となった。鬼たちはあまりの忙しさに、まるで地獄の様だとかブラック地獄だとか口ぐちに唱え、閻魔さまに事態の改善を要求した。閻魔さまは鬼の代表を集めて言った。
「亡者の中から何人かを選抜せよ。人選はお前たちに任せるが、あの世で極悪非道を行った物を優先的に採用せよ」
見る眼嗅ぐ鼻を長にして非正規鬼の採用面接が行われた。名だたる極悪人が集められた。顔がシャイアンに似ている中国人らしい男が面接された。
見「汝は地上で何をしていたか」
男「はい、まじめにお国のために働いていました」
見「この度の受験の動機は何か?」
男「此処は、地獄という呼び名は別にして、住み慣れた国にいる心地です。是非お役にたちたいとの思いです」
見「何が似ているのか?」
男「はい、黒く濁った三途の川、血の池、業火の灼熱、餓鬼道など大方わが国にはあります。加えて賄賂を初めとする不正の横行です。それらを正すべく、政治を行い大いに国政の浄化に勤めました」
見「ふぬ?して、非正規とは言え鬼となったら何をしたいのか?」
男「はい、経験を生かし、地獄の綱紀粛正に努めたいと思います」
そこへ突然閻魔大王からのメモが見る眼嗅ぐ鼻に差しいれられた。
メモ「奴に綱紀粛正などされたら、我々の地位が脅かされる。不採用といたせ!」


(2016.7)