はじめに

●●●

2019年7月6日土曜日

今月ァ足りない


今月ァ足りない



年金暮らしの残高照会オレオレ詐欺か金融庁



政治がらみはあまり好きではありません。ただ、このところ腑に落ちないというか、気に入らないというか、そんなニュースがありました。政府や国会議員の方々が、妙に暇そうで、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って叱ってやりたくなりました。

♫コンゲツァタリナイ、カリネバナラヌ。ムライサンチノハトドケイ♫

二千万円不足です。金融庁が年金だけでは老後の資金が賄えず、二千万円が必要だと報告しようとしたことに関して、問責だの不信任だの大臣の首を取るなどと、取れないのを承知で、騒ぎ立てています。首を取るのに百メートル以上離れたところで段平を振り回しているの図です。暇そうです。

コースへ行ってゴルフをやるには、・・・なかなか・・。そこで、私はしょうこと無しに、素振りをやって暇つぶしをやっています。暇だけは間違いなくあります。素振りも、間違ったホームでやると下手くそになるそうです。

金融庁は不足分を補うには投資をやるべしと言いたいのだという説があります。株屋さん辺りとつるんだ話かもしれません。

金に関わる話、とりわけ投資、株がらみに関しては音痴の域を脱して外れます。外れて話を進めます。反対車線に出て逆行するほど外れていないと思っています。

不足の二千万円は夫婦二人を前提に計算したようです。不足額二千万円は平均額です。こういったお話しで、平均値というのはどんな意味があるのでしょうか。分布はどんな格好をしているのでしょうか。平均値というのは一見意味がありそうですが、使い方を間違えると、ほとんど意味をなさないものになります。

こちらも平均値です。日本国民一人当りの平均貯蓄額はおよそ一千万円です。夫婦二人ですと二千万円です。年金だけでは不足する二千万円と完全に一致します。老後の生活には年金とこの貯蓄額で充分生活できます。そういうことに相成ります。平均値で論ずると、金融庁報告の瑕疵は足りないとしていることです。平均値ではこういうことになります。勘定合って銭足らずということです。金が足りないなどというのは、年金マンになって急に始まるわけではありません。いつも人は何らかの努力、多くの場合節約等でやりくりをしているはずです。その個人の努力が及ばない場合の対策、施策を考え、実行するのが政府や議員の先生方の仕事です。顔が赤くなるほどの正論ですゾ。

私は年金生活を二十年近くやっています。ベテランです。年金マンになる直前にはいささかの不安がありました。直後には、本屋に行かずに図書館に行くというような色々努力の一つや二つはやりました。ベテランの域に達した今では、本屋と図書館の両方へ行っています。やりくりしています。

さて、前提の計算年数に、あと十年あまり。財政破綻無しでやれるか。

なんせ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」など誰も忠告してくれません。もしかして財政破綻前に「ボーっと死んでんじゃねーか!」って言われるかもしれません。

♫コンゲツァタリナイ、カリネバナラヌ・・・・♫

知っていますか?

元歌は

Come, Mister tally man, tally me banana. Daylight come and me wan' go home

ハリー・ベラフォンテのバナナボートソングです。

二千万円不足問題を耳にしたとき、すぐに浮かんだのが、

♫コンゲツァタリナイ、カリネバナラヌ・・・・♫でした。

♫地球の上に朝が来る♫ 歌謡漫談、川田晴久が歌った替え歌です。多分一度しか聞いていないので、ムライサンチノ・・は間違っているかもしれません。駄洒落ってもいないし、鳩時計が何のことかも判りません。1950年代も終わりの頃の歌です。今月は足りない、誰か貸してよ。足りない人に貸しても、高度成長時代だったあの時は、返ってこない、返えす見込のない人が少なかったのかもしれません。今の時代、これから年金だけで生活できない人に、金を貸す人は居ないでしょう。よしんば借りられたとしても、返せるでしょうか。家屋敷があれば、それを質に貸す会社があるようです。死んだら質流れです。逆生命保険みたいなモノです。TVコマーシャルでやるくらいですから、時流に乗っているんでしょう。そうでもないと、ジジババには貸す人なんか居ません。還付金が戻ってくると親切に教えてくれる人は結構居ます。私にも数人から電話がありました。お言葉に甘えないようにしております。



次はレジ袋のことです。

この国は民主主義。または資本主義国家を標榜しております。政府も暇を持て余して、何か政策を進めなくてはと思ったのでしょう。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って言われないために。レジ袋をただで配ってはいけないという法律を作るんだそうです。

この話を耳にしたとき、思い浮かんだのは、マラウイ共和国のおなら禁止法です。効果が本当に期待できるのか。軽すぎないか。率直に言えば『屁』みたいな話と思った次第です。

世の中で、少し狭めてこの国で、モノを只で配ったら行けないという法律はあるのでしょうか。もちろん、家屋敷、金塊、宝物、お金など財産と言われるモノを子や孫にただで配るのはいけません。お国への配分を忘れたり、ズルしたりしては困ります。でも、お洒落なお飾り、小遣いなどを何かにつけて与えるのは法律で禁じていません。レジ袋は財産と評価される程の量を個人で貰っても困るだけです。それをただで配ってはいけないという法律を作る。それも単にレジ袋という単品対象のようです。

有料化するのは、環境問題を解決するための手段だとされています。プラスチック片が魚の内臓に入っていた。ストローが鼻に刺さった亀がいた。海洋をプラスチックが大量に漂っている。気分の悪い、おぞましい光景です。困ったことです。なんとかしなくてはなりません。

私が時折行くスーパーではレジ袋はすでに有料です。結構多くの人が手提げ袋を持って買い物をしています。ポリ袋があってそれに詰めてくれるモノもあります。これは無料です。全国的に無料で配られているレジ袋がどのくらいあるのでしょうか。大方は有料で、無料はそれほどの割合ではないと思います。

プラスチックの2%ほどがレジ袋のようです。98%のプラスチック製品は無料ではいけないという法律はないでしょう。なんかの景品で配られるモノには結構プラスチック製品があります。身の回りのモノの大部分はプラスチックか、プラスチックで覆われたモノです。98%は放っておいて、2%の更に少ない無料部分を有料化して、廃棄量を減らす。そのために法律をつくる。ナンボの効果が出るのでしょうか。

禁止すれば別です。禁止することで効果はでます。おならは法律を持って禁止しても、出物腫れ物ですから減りはしないでしょう。プラスチックは間違いなく減ります。紙や木製品など代替品への変換が起きます。レジ袋は小物としての使い勝手が有効ですが、中には使う必要のないものもあります。例えば、ストローの大部分は無用です。飲み物を飲むのにストローはいりません。湯飲、コップの類いから口へ直接飲めば好いのです。ストローは法律で使用禁止にしてはいかがでしょうか。モトへ!プラスチックストローを本物のストローに戻すだけでもかまいません。

法律というはもう少し重みのあるモノです。レジ袋は軽すぎます。もちろんおならはもっと軽うございます。



それでは小噺を一つ。



豚コレラ



この度の中朝首脳会談において密約がなされた。FNN(フェイクニュースネットワーク)ではその情報をさる筋から入手した。



致死性のアフリカ豚コレラが中朝国境を挟んで流行の兆しがあることに鑑み、次の手段を講じることとする。

1,        罹患が確認された場合、豚のみを、直ちに処分する。

2,        半径1Kmにわたって自国のみの消毒を行う。

3,        罹災状況のみ双方確実に連絡する。

4,        豚の処分を行った場合、人民日報、労働新聞1面にそれぞれの首脳の当日の元気で和やかな写真を掲載することにより、風評の流布を防ぐ。



なお、情報筋は1,~4,の各項目の詳細内容については説明を拒んだ。

20197