小噺の言訳:ブラジルは天国である
ああ言えどこう言ったからとて言訳は
所詮言訳好い訳はない
「狂歌明日か7月号」に載せた小噺にかかわる言訳である。その小噺が、何が面白いのから判らない、どういうことなのか、こういう解釈でいいのか。質問を受けた。これは小噺として出来が悪いということだ。出来が悪いことを大いに反省したいと思う。反省の弁などというのはとかく程度の低い言訳が世の常だ。そして言訳はくどくなる。
私がこの雑文を書き始めて大方10年になる。心がけとして、なるべく同じ話を書かないようにしている。見栄を張ってのことだ。とかく歳をとると、言ったことや、したことを忘れてしまい、くどく、何回も繰り返す。あいつも歳をとったなぁと思われたくない。その見栄を満たすべく注意してきた。
この度は繰り返しを意識してやる。そもそも言訳などということは老いの繰りごとなのだから、何度も人がネをあげる程に、しつっこくやる必要がある。 そういう訳なので、適当に読み飛ばすか、無視してもらいたい。出だしからしつっこく、書いている。自分でも嫌になる。我慢できる方は尊敬に値する。
繰り返しの始めは、7月号の不出来な小噺だ。恥を忍んで再掲する。
ブラジルで長年敬虔なカソリック信者であり、その生涯の多くを貧しい人々の救済に費やした女性が過労で身罷った。彼女は軽く肩を抱かれ、目覚めた。天使ガブリエルが優しい眼差しで傍にいた。
女「ここはどこでしょうか?」
天「勿論、天国です」
女「え?なんと言われました」
天「天国です」
女「あぁ神様。私にまだしばらく働けと仰せですか?」
天「・・・・?」
女「やっと神に召されたと喜んでいましたのに。まだ、サンパウロにいるのですか」
敬虔なるカソリック信女は、当然ながら、この世で善行を積み、天国へと神に召されたいと思っていた。そして神に召されて行き着いた先で、ここは天国だと言われた。生きている時、いつもブラジルはこの世の天国だと周囲が言い、自らもそう思っていた。なんと、私は未だブラジルのサンパウロにいたのか、神様に召されたのではないのですか。彼女はがっかりしたというお話だ。そういうお話だ。話の細かなところで反省点がある。最後のフレーズでまだ、サンパウロにいるのですか」は まだ、サンパウロにいるのですネ」
とすべきだった。
小噺には若干の約束事がある。日本の古川柳では、下女は浮気者だとか、伊勢屋といえば倹約家(けち)と決まっている。それと同じようにブラジル小噺では、例えば、ポルトガル人は頭が悪い、金髪女は馬鹿だなどがある。ユダヤ人はケチだなどというのは、ブラジルに限らず世界的約束事だ。他に、日本人の男の持ち物は小さいというのもある。幸いなことと言おうか、いい塩梅に、この世界では、この種の約束事を人種差別だなどと声高に言いたてる人はいない。
ブラジルに関しては天国であるというのがある。それを踏まえて、「この国のかたたち」は、彼らは天国に住んでいる(Estão no
Paraíso)で書き出していた。
勿論、ポルトガル人や金髪女は頭が悪いなどというのは事実を踏まえたものではない。とは言え、日本人の男とブラジルの天国説は事実に基づいていると言っても、諸兄の中にも異議を挟む人は少ないのではないか。異議を挟みたい人のために根拠となるものを示す。それによってこの度の言訳の根拠に変える。モトへ。日本の男のことについては論じない。これは日に何度かは手に触れ眼で見ているはずだから、自分自身でつくづく眺めてもらえばそれで好い。ここではブラジルが天国であることだけについて述べる。
神様が世界を造っていた。
手伝っていた天使が神様に質問をした。
天使「神様。こうしてお手伝いしながら、お仕事の中身を見させていただいていますが、気になる点があります。すみませんが、少しばかりお聞きしてよろしいでしょうか」
神様「何かね。言ってごらん」
天使「それではお聞きします。神様が造られている国々で、ヨーロッパには火山、アメリカには竜巻、中国には洪水と、どの国にも災害がばら撒かれています。特に日本などには地震や台風を始めとして考えられる災害のほとんどがばら撒かれました。
それなのに、ブラジルだけはいろいろな鉱物資源、豊富な果物、輝く太陽など多くの恵みが与えられています。良いことづくめで、ほかの国にはいっぱいある地震や台風などの自然災害は一つもありません。こういっては何ですが、私にはひどく不公平で、ブラジルだけがひどく優遇されすぎていると思えてならないのですが。いかがなものでしょうか」
それを聞いて神様はにっこり微笑みながら答えた。
神様「天使よ。私は神様だ。そんな不公平なことをする訳がなかろう。ブラジルにどんな人間を住まわせるか、よく見ておきなさい。お前もすぐ納得がいくから」
これはブラジルの創世神話である。紀元二千六百有余年の長い歴史を持つ日本と比較してはいけない。彼らの創世はわずか五百年ほど前である。遙かな昔、彼らの神様は世界をわずか6日でお創りになった。しかしながら、ブラジルを創り終えるのにはかなり長い歳月を要している。なぜなら、世界を創ったとされる時は遙か昔であるのに、どんな人間を住まわせるか、よく見ておきなさい。のお言葉で、よく見ておけと言われた人間が住み始めたのが五百年ほど前なのだ。先住民は別扱いだ。彼らは神様に好い意味で選ばれなかった人達だ。いまだに天国を汚さず、天国を謳歌している。神様に選ばれたその人間とは、馬鹿と約束事があるポルトガル人である。神様は食料と緑に満ち満ちた地上と、豊富な地下資源を創りこんで、天使への言葉を実行すべく、住まわせるべき人間を探し回った。そしてようやく、最適と見立てたポルトガル人を住まわせることとした。ポルトガルではブラジルを見つけた当初、そこに移住しようなどという輩はいなかった。神の意志が判らないポルトガル人相手に、神様はかなり苦戦を強いられた。折角の神の思し召しにも、彼らは選民であることに気がつかなかった。己を知らないアホなのだ。この辺りから、ポルトガル人はアホだ、頭が悪いという風評が立った。神様は情報操作を行った。一番功を奏したのは、女は褐色が一番いいというポルトガル人への刷り込みだった。成果のほどを見極めながら、口コミ情報を流した。ブラジルには褐色の女たちがいる。おまけにちょっとしたお土産程度で付き合ってくれる。不思議なことに、ネイティブの男たちは自分の彼女が何をしても、別に咎めたりもしない。天国の住民は大らかなのだ。かくしてやりたい盛りの男が海を渡りだし、猛烈な流行となった。若者の激減にポルトガル政府はあわてて渡航禁止令を発したほどだ。ここからブラジルの歴史は始まった。成程ここは天国だ。見渡せば、女だけではなく、自然も豊かだ。一日のんびり暮らせるし、あくせく働く必要はない。彼らの神様は罰として労働を人間に課されている。ここではその罰が無い。天国に違いない。
この小噺には類似品がある。神様は天国のように恵まれた大地としてカナダを創った。あまりに恵まれすぎているとして、隣にアメリカ人を住まわせることにしたというものだ。噺の展開としては面白い。ただ無理があるのは、カナダの自然は冬が厳しすぎ、人工的な技術、設備を以ってしないと具合が悪い。神様だけでは無理だ。気候的なことを加味すれば、むしろもう一つの隣国、メキシコをあてはめる方が適当だ。ただ残念ながら、メキシコ人は「メキシコは不幸な国だ。天国から一番遠く、アメリカに一番近い」と天国どころか地獄に近いと嘆いている。
ルーブル美術館でアダムとイブの絵の前にフランス人、イギリス人そしてブラジル人がいました。
フランス人が言いました。
「見てください。なんと二人とも美しいのでしょう。イブは背が高くすらりとしています。アダムは男らしく思慮深くみえます。フランス人に違いありません」
イギリス人が言いました。
「 とんでもありません! 彼らの眼を見てください。冷静で控えめな眼を。…彼らはイギリス人そのものです!」
そして、ブラジル人が言いました。
「 私は、お二人に全く賛成しかねます! よく見てください。
彼らは服を着ていません。裸です。住む家もありません。彼らが持っている食べ物といったらリンゴ一つだけです。それでいて、彼らは天国に住んでいると思い込んでいるのです。そんなのは、ブラジル人以外にはありえません!」
ブラジル人は天国に住んでいると思い込んでいる。他人がブラジル人をつかまえて、あいつらアホか、何も知らないで、天国だと思い込まされていると言っているのではない。ブラジル人自身が、私たちは天国に住んでいると思い込んでいると言っている。それもルーブルまで出かけ、英語、フランス語での議論に加わる能力があるインテリ階級の言だ。アダムとイブだ。思い込んでいるだけではなく、天国そのものだ。正しい歴史認識だ。
この小噺も類似品がある。バルト三国で流布していて、ロシア人をあげつらうものとなっている。しかし「アダムとイブ」をロシア人に見立てるのは筋違いもいいところだ。ロシアで年中、裸で暮らせる筈が無い。住む家が無い人は凍死している。もっと決定的な誤認は、ロシア人自身が自分は天国に住んでいるなどとは絶対に思っていないことだ。トルストイを読め、ツルゲーネフを読め、そしてスターリンを思え。農奴と銃殺から天国は浮かばない。
気候が暖かく、食料が自生していて、自然災害が無い。ブラジルだけがこの条件を満足し、大多数の国民が天国説を信じている。
生活体験もある。カナダはハミルトン、メキシコはモンテレイ、ブラジルはサントスに滞在したことがある。ブラジルが天国を称するには一番適している。
神父がブラジル人の酔っぱらいに酒をたしなめさせようとして言った。
神「そのように昼間から沢山酒を飲んではいけません。身も心も病んでしまいます。貴方は真っ当に生きて、天国へ行きたいとは思いませんか」
酔「皆がうるさく騒ぐツアー旅行など、俺は好きじゃあない。たかが国内旅行ぐらいのために、酒が止められるわけがない」
恥ずかしながら、有体にいえば、私はこのピアダを聞いたとき、何が面白いのか理解できなかった。国内旅行に行くために酒を控える程のことはしたくない。ノン兵衛にとってはそうだろうなぁ。だけどなぁ・・・。かなりの時間、時間のオーダーではなく月のオーダーが過ぎたある日、突然気がついた。この酔っぱらいは天国の住人だ。今現在天国に住んでいる。国内旅行に行くのに何で酒を!・・・・。やられた。完ぺきな考えオチだ。噺家のクスグリにオチの分類について説明をし、考えオチというのはお客さんが家に帰ってから笑い出すというのがある。家に帰ってどころの騒ぎではない。参った。やられた。恐れ入りました。
ここまでピアダを証拠として、ブラジルが天国であり、人々が信じていることを証明した。有史以来、神様、天使、インテリ、ノン兵衛に至るまで、各界層が天国と信じていることを示したつもりだ。この歴史認識は、決して他国からとやかく言われることはない。
そりゃあ、歴史的に、過去はそうであったかもしれないが、今はデモもあり事故もあるではないかと言われる方もいよう。デモや事故は住まわされている人が起こしていることだ。神様が作ったブラジルは依然として天国だ。
歴史認識だけを押しつけてはいけない。私は一つの明白なる事実を以ってこれを証明したい。
ブラジルにはホームレスがいない。豊橋には居る。荷物を脇に駅や公園のベンチに寝たりうずくまったりしている。決して幸せには思えない。ルーブルのブラジル人は裸でリンゴ一つ、家も無い。家が無いのはホームレスだ。そんなことはない。賃貸だろうと同居していようともそれを以ってホームレスとは言わない。ブラジルに乞食はいる。豊橋にはいない。乞食と売春婦は最古の職業だ。彼らはちゃんと働いているのだ。住むところもある。政府の貧困政策が有効だから。ノン。有効ではないが故にホームレスがいない。彼らには帰るところがある。貧民窟、ファベーラがある。好い悪いは別にして、仲間内での互助精神は見事なものだ。悪が巣食っていようとも、そこに居れば暮らしていける。まかり間違って殺されることはある。しかし生活はできる。衣食住の全てが満たされる。そこに安定と仲間意識、住みやすさを覚えるのだ。どう考えても天国だ。同じ立場で他の国にいる人々の状況を承知している。
今、伯政府はリオのファベーラをオリンピックのために片付けようとしている。大丈夫か。間に合うか否かの心配ではない。人々の生活を思ってのことだ。
ブラジルが天国であることを歴史的に又現実的に証した。だからと言って、私の小噺が面白くなるわけではない。何のための言訳か。言訳のための言訳ということがあるではないか。大目に見てやって。
では小噺をひとつ。
関連の小噺をと睡眠不足を覚悟し寝床での思考を巡らせました。どうも、またまた、不作のそしりを受けそうなので、若干の熟成をいしたします。
いつも4~5頁としていますが、今月は6頁になりました。とかく言訳というのは長くなります。節度を守るために来月へ。
来月へ先送りのための言訳の追加分です。どちらがよろしいでしょうか。
(2013.10)
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