はじめに

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2014年6月6日金曜日

STAP細胞 Ⅱ
筍の生える根もあろ藪の中堀りも突つきもしない馬鹿共

先月号ではSTAP細胞について論ずると言いながら、何も論じていないというお叱りのむきもありました。人の言うことは素直に聞く、顔色を窺う癖があります。今月は論なるものを進めることといたします。
リケンのSTAP細胞弾劾会見を見ていて、頭に浮かんだのは「藪の中」という言葉でした。我ながら、たいそう安易な連想だと思いました。とは言え、事実が何なのか判らぬまま、自己主張をするという図式は「藪の中」そのものです。間違いないとは思いながら気になりました。「藪の中」を読んだのは60年以上前のことです。
いい機会だから、「藪の中」を読んでみようと思い立ち、豊橋市の中央図書館に行きました。文学作品の並んでいる棚を探しました。「夏目漱石」が数冊ありました。その辺りと見当をつけて探しましたが、見つかりません。「芥川賞受賞作品・・云々」というのはありますが、ご本家である「芥川龍之介」の作品はありません。受付に行きました。書庫にあると思いますから、向こうの書庫係の方で聴いてみてください。そう言われました。
豊橋市は人口40万足らずの地方都市です。地方都市と言っても、愛知大学、豊橋技科大、豊橋創造大学などといった立派な大学もあります。路面電車も走っています。そこそこ、日本の平均以上の都市だと思います。そこの中央図書館の書棚に無いということは、芥川の作品を読む人がいなくなっているということに他なりません。図書館としては市民に芥川を読ませよう、読んでもらおうという意思を放棄せざるを得ない状況なのです。書庫入りしたということは、芥川が古典になってしまったということに違いありません。同世代の人で、芥川を読んだことが無い人も、読んだかどうかも思い出せなくなっている人もいるでしょう。それを考えれば、私の「藪の中」という連想は、それほど安易でも陳腐でもないのかもしれません。
「芥川全集」を書庫係の人が数冊運んで来てくれました。手にした二冊目に「藪の中」は載っていました。
そんな経緯もあって、古書でも読むような気分で本を開きました。大丈夫です。古語辞典も近代語辞典も要りません。漢字にはルビがふってあります。それもあって、文章は簡単に読みこなせますし、内容の理解にも不都合はありませんでした。パソコン操作法の本より遙かに平易です。
あらためて思いました。「藪の中」はそれを思わせることを言うのに相応しいものでした。本は読まれなくなって、「藪の中」という言葉だけが独り歩きしても、何の違和感も覚えない内容です。おまけに、STAP細胞事件に極めて類似した登場人物構成です。真砂という名の一人の女性を取り囲む、盗賊多襄丸を初めとする男共。確かに媼が出てきますが、真砂の母親で、女主人公の身の上を語らせているだけなので、実質的な登場人物としては、女一人に、それを取り囲む複数の男共という構成です。ここらあたりを含めて、私が「藪の中」を連想したことは当を得たものと思った次第です。
あの会見では、顔に見覚えのある方が一人だけ出ていました。野依良治さんです。芥川賞ではなく、もっと稀有なノーベル賞を受賞された方です。受賞報道等を通じて知った顔です。そんな偉い方が、彼からすれば有象無象に見える、マスコミの前で頭を下げていました。いつも思うのですが、どうしてああいった会見で当事者は深々と頭を下げるのでしょうか。下げないと面前の有象無象共に悪く言われ、書かれるからなんでしょうか。有象と無象は頭を下げさせて、自分が偉くなったような気分になっているのが、画面を通じて伝わってきます。マスコミによる陰湿ないじめです。かなり悪辣なことをして、会見で謝っている側より、取り囲んでいる記者たちの方が下卑た人間に見えます。同じような席で「馬鹿ヤロー!!」って怒鳴ったタレントさんがいました。面倒を起こした自分の息子に、なんと言うかと聞かれての答えという形を繕っていましたが、あれは面前の有象無象へ発した罵倒でしょう。野依さんは、本当のところ、馬鹿野郎!!ぐらいのことは言いたかったのでしょうが、教養が邪魔して言えなかったようです。寂しそうに堪えているように見えました。何で俺はここに居なくてはいけないのか。そういう眼をしていました。
その野依さんの顔を見ていて、「藪の中」のほかにもう一つ連想しました。論理的連想ではなく、視覚的連想です。「加藤良三」さん、「美濃部亮吉」さんです。お三方ともに顔が細長く、いわゆる瓜実顔です。これは高貴な方のお顔です。その昔から日本を支配し牛耳ってきた方々のDNAによってこの顔が形成されているものと推察します。視覚的だけではなくて、聴覚的連想もありました。名前です。「リョウ治」「リョウ三」「リョウ吉」と3リョウです。「リョウ」が高貴な方の名前か否かは判りませんが、音韻に反応する癖が私にはあります。駄洒落ぐせです。私の視覚、聴覚はまだ使い物になりそうです。
「加藤良三」さんは、もうお忘れの方も居ようかと思いますが、先のプロ野球コミッショナーです。飛ばなくした筈のボールが、いつの間にか飛ぶようになっていました。私しゃぁ知りませんでした。この方はそれなりの名誉的地位にいて、地位名称に相応しいお給料を頂いていました。典型的名義貸しといった感じがします。何もやって無くても、名義上の責任をとれと言われ、とりようがありませんでした。仏頂面が瓜実顔によく似合いました。お辞めになった後、今度はそのボールの反発係数が、規格の上限を超えていたという騒ぎがありました。一部どころか平均値が超えていたようです。プロ野球業界というのは組織管理だけでなく、品質管理も出鱈目という言葉が好く似合う世界です。
もう一人の「美濃部亮吉」さんは昔の東京都知事です。この方が一番瓜実顔かもしれません。「美濃部」さんが都知事として何をやられたのか、詳しいところは知りません。知っているのは「一人でも反対の人がいたら橋を掛けない、道路を通さないという政治姿勢が一世を風靡していたことです。思想的に共鳴したのか、同じ穴のムジナだったのか知りませんが、名古屋にも「本山」という市長さんがいて、同じようなことをやりました。名古屋の高速道路網が遅れに遅れ、工事を再開した時には既設部分の鉄筋が腐食していて、撤去からやり直しました。名古屋高速の料金がべら棒に高いのはその所為だといわれていました。東京にはどのような後遺症が残っているのか知りません。「反対」のたった一人の意見がまかり通るなどという、およそ民主主義のイロハも心得ない馬鹿な方だったと思います。
どうぞ誤解なさらないでください。私は「加藤良三」さん、「美濃部亮吉」さんを引き合いにして、野依良治さんを名義貸しだとか非民主的な馬鹿だなどと言うつもりは毛頭ありません。毛頭ないのはお三人の頭を思い浮かべて頂ければお判り頂けると思います。
STAP細胞を論じているつもりですが、なかなか論とは言い難い内容です。少し性根を入れて論をいたしてみます。
事の内容を審査するに際し、実験ノートなるものが取り上げられています。
オボカタさんの実験ノートが絵日記並だとか言われました。絵日記が書けるのは羨ましいかぎりです。私には絵などはとても書けません。絵どころか、メモした字でさえも後で読もうとして、何と書いたか判らないことが珍しくありません。決してねつ造だとか不正ではありません。もとより、これを自慢にしようなどということではありません。単なる脱線です。
そもそも、実験ノートなるものは、ノートという語感から、ご本人の私的な控えにすぎないように思われます。メモです。公的な記述、記録について何も言及されていないのはどういうことなのでしょうか。リケンの組織を好く理解していませんが、オボカタさんは研究所の所属でしょう。そこの公的記述、記録です。研究所としてなにがしかの研究、それにかかわる実験を行うに際し、その計画書が存在するはずではありませんか。「実験計画書」というか、計画の妥当性と、それが極秘事項であるか否かも審議されているはずです。妥当性とは計画に見られる実現性、費用対効果、または直接的効果が望めないなら美しさ、ロマンのようなものなどなどです。それが研究所にとって極めて高度なものであれば、理事長自らがその審査、決定にかかわっているべきでしょう。その上で「実験計画書」の細部がしかるべく指定された人々によって検討されるべきです。それを通じて予算、人員配置等々決定されるのだと思います。そして「実験計画」に基づいて実験が進められます。計画に基づいて進められる実験等は、その進捗がチェックされなければなりません。報告会の類が、週間、月間、さらには年間のしかるべき間隔で行われるはずです。細かい進捗は日々のミーティングなどで確認するものでしょう。それらの公的資料がまったく出てこなくて、手持ち資料のような「実験ノート」を基に論じられるというのは理解できません。研究というのは飛躍した発想が重んじられるので、計画などは不必要で、思いつき、行き当たりばったりに事を進めるのが本道なのでしょうか。
上司、周辺が内容を知らない筈が無いとも思います。「実験」は一人では進められないでしょう。同僚、もしくは部下、助手の方が複数かかわっているはずです。その人達は内容を知りうる立場にあります。勿論全般についてはその人達は知らない、判らないようにされていることは考えられますし、守秘義務も負わされているでしょうから、一般に語ることはないでしょう。騙りはしないにしても、現象面については、否応なしに知るところがあるはずです。
肝心の「論文」です。
「論文」は共同執筆されています。当然、執筆者は内容を知っていなくてはなりません。知らないとすれば、「論文」への名義貸し、乃至は主たる執筆者をゴーストライターとする詐欺的行為と言わざるを得ません。
「論文」は提出前に、然るべき個所において内容が審議、審査されたはずです。内容の正しさのみではありません。機密漏洩に対する瑕疵の有無。「論文」発表によって得られる利益、名誉より、機密漏洩による損害が大きければ、当然発表は取りやめられるべきです。その審査を得ていないとは思えません。
計画、実験、結果、報告の何処にも公的なものが存在しないはずはないと思います。勿論、今それを外に出すことはありません。そういった公的資料に基づいて、内部調査をしたということが説明されてないと言っているのです。
私の結論を申し上げます。
実はSTAP細胞は存在します。膨大な公的資料があります。そこには外に出せない機密事項があり、それを隠すためにコボカタさんに因果を含めて、泣いてもらっているのです。皆で芝居を打っているのです。公的資料はその気配すら外に出ていません。ですから、調査報告には中身が無いのです。
6月4日、オボカタさんが全ての論文の取り下げに同意したとの報道がありました。同意させられたという報道では無いことが気に入りません。
私の論はこんな程度です。それにしても疲れます。
突然ですが、志ん生の「鈴振り」のマクラに出てくる、噺を紹介します。
奉公に出ていた娘が帰宅しました。娘の腹が大きくなっているのに気付いた母親が誰の子かと問い詰めました。
「あたくしは、決して男なンぞは存じません!」娘は言い張りました。娘を信じたいが、納得も出来ない母親は持ち帰った娘の手文庫を密かに調べてみました。その中に立派な張り形が一つ入っていました。それをひょいと裏返すと、「左甚五郎作」と銘が彫ってありました。
志ん生が語れば、成程これなら妊娠するに違いない、と合点がいきますが、このように書いてしまうと、納得しがたいかもしれません。
コボカタさんの持っているノウハウは、左甚五郎級の芸術の域に近い技術ではないかと思います。そん所そこらの技術者、研究者が寄ってたかって再現実験なんぞやっても、出来やぁしません。腹は膨らみません。ですから、コボカタさんに存分に腕を奮ってSTAP細胞を作ってもらい、その細胞のパフォーマンスを検証すればいいのです。それでないと、なんともなりません。腹が膨らめば、野依さんはじめリケンの方々も腹を立てずに、顔も立つというものです。
STAPSTABでないことを祈ります。

では小噺を一つ

リケンの伝統

最近の出来事についてリケンで記者会見が行われていた。
記「情報によりますと、研究員の方の論文に他人の論文のコピーと思われるものが、多数見られるとのことですが、事実でしょうか」
リ「そのように承知しております」
記「それは問題ではありませんか。見解をお伺いしたいのですが」
リ「特に問題があるとは認識しておりません」
記「!?・どうしてでしょうか」
リ「私どもはコピーを開発製造していました。研究員の中には、未だにこれの研究をしている人もいます。ハイ」


(2014.6

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