はじめに

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2020年3月6日金曜日

鐵学のついでに


鐵学のついでに

忘れしゃんすなAB型を

Cなぞほんの鼻っタレ



 久しぶりに昔の勤め先が新聞に載っていた。新聞、TVの大方がコロナウィルスに関するもので占められている中で、比較的大きく取り上げられていた。

・・「日鉄、呉製鉄所23年で閉鎖」・・名古屋厚板ライン休止へ・・

 私が働いていた頃は「新日鉄」で、室蘭・釜石・君津・名古屋・堺・広畑・光・八幡・大分の製鉄所があった。働いたことがある製鉄所は名古屋と釜石で、他は出張で行ったことがあるだけだ。呉はその後の合併によって一緒になった製鉄所で、一度も行ったことはない。とは言え、競争相手で、世界には仲間であった製鉄所であり、奇妙な気分になる。

別掲の「てつ学のついでに」は今月号でおしまい。その「ついでに」訪問した新日鉄製鉄所関連のお話しをする。勤め先の本業は「てつ」ではなく「鐵」である。とは言え「ついで」の話であるから、お仕事とは関係ない。古くなり、終わった、無くなった話をである。



初めて訪れた製鉄所は八幡である。学校の修学旅行の様なもので見学をさせてもらった。学業と就職への参考が目的で幾つかの会社、工場を訪問した内の一つだ。

八幡製鉄所の本事務所は現在世界遺産になっているが、当時は確か重要文化財かなんかになっていた。そこで会社の説明を受けた。素晴らしい価値のある建物を仕事に使っている。歴史の重さと大きさを感じさせる会社だと思った。重厚な赤煉瓦造りは、製鉄会社の旗頭を顕わし、誇るにふさわしいものに思えた。

一方で、落差を感じたこともあった。すぐ脇にある枝光駅のプラットホームで、赤茶けた煙に包まれてしまった。駅の近辺にある鋼造りのための炉、平炉の煙突から出る煙が降りてきていた。レンガの赤とは違う色だ。製鉄会社で働くのはちょっとナァと思った。

如何したことか、就職の折にはすっかりそのことを忘れていた。思い出したのは、釜石製鉄所に新入社員として赴任の時だった。就職列車が釜石駅構内に入っていくと、平炉の煙突から吐き出される煙が列車に向かってたなびいてきた。

「♫山の火花は夜空を焦がす・♫・あの子年頃、・・・♫胸焦がす・・・」

釜石小唄に歌われた山の火花は赤茶けていたはずだ。それを歌にして讃えるほどのものだ。気にするなんぞはとんでもないことだ。

それから何年もしないうちに、生産性の低い平炉は転炉に置き換わり姿を消した。転炉の煙突には強力な除塵装置がつけられており、平炉の煙突の面影は無い。



新入社員の夏、初めての出張を命じられた。室蘭製鉄所である。

青森駅に列車が到着する直前に、「さぁ、支度、したく」と声をかけられた。お客は全員身支度を調え準備にかかる。のんびり、ゆっくりしている人は青森駅で降りる人だ。そして汽車が停まると一斉に駆け出した。青函連絡船に乗るためには走らなくてはならないということだ。連絡船の座席は少ないらしく、座るためには我先にと駈けないといけない。定員オーバーで大丈夫か?船だぞ。沈むんじゃあないか。我々の同行者に知恵者、経験者がいた。「乗務員になにがしかのチップを渡すと案内してくれる」さすが経験者。幾ら渡したか覚えが無いが、座席ではなく、畳敷きの広間のような処に案内された。結構広くのんびりできる広さがあった。当時は国鉄だ。チップか。ワイロか。別に気にもならなかった。結果として津軽海峡を渡れればそれでいい。青函トンネルを新幹線が走る今、キップがあればチップはいらない。連絡船だけでなくチップもなくなっていることだろう。

室蘭で、北海道で無くなっているものがもう一つある。製鉄所内の食堂で食べた昼食のご飯がひどく不味かった。当時、北海道産米は美味くないという評判は聞いていた。パサパサというか、ボソボソというか。味以前の食感がいけない。それに引替え、会社の宿泊設備、知利別会館のご飯は頗るつき美味かった。内地米だった。銀シャリという響き、味だった。内地米という言葉をこの時初めて聞いたと思う。それがどうだ。最近では「ゆめぴりか」などと名乗る銘柄米ができるようになっている。時々北海道米を食し、満足している。今ではあのバサ、ボソ米はなくなり、内地米という言葉も消え去っているだろう。農業技術の進歩発展は製鉄業を超えている。



釜石、名古屋からは大分製鉄所には飛行機だ。今では新幹線を使うことも出来るだろう。花巻か名古屋空港からはYS11に乗ったと思う。プロペラがあった。国産の飛行機で、小さいながら格好良かった。

大分空港からはホーバークラフトだ。船に相撲のまわしを締めたような形で、かなり大きな音を立てて振動する。あれで長距離移動だと疲れてしまうだろうが、1020分くらいだから、遊園地でコースターにでも乗っているような気分が味わえる。上陸するとダッダッダと振動が変り、到着を知ることが出来る。ホーバーは大分出張の楽しみの一つだった。これがなくなったらしい。YS11はどこかで飛んでいるということも聞くが、定かでない。ユニークな乗り物がなくなるのは 残念なことだ。



光製鉄所で会議があり、懇親会で鯛がでた。瀬戸内海の鯛は名が通っている。名は通っているのだが、喉を通らなかった。正確には身は通ったが、骨が通らなかった。喉に骨が刺さってしまった。耐えられないほどのことではないが、痛い。

釜石へ帰った。その足で、会社の診療所へ行った。早速院長先生のお世話になった。

「アーン」

鯛の骨はきついから気をつけて食え。食いつけないものを食べるからだ。釜石で、ウニとアワビを食べていればいい。ついでにホヤもつけて貰え。絶対に骨なんぞ刺さらねぇ。

「あぁ、無くなっとる。ないョ」

骨はない。骨のない男だなんて言わない。少し傷になっているだけだ。

いつものようにニコニコしながら、先生は診察結果を告げた。

痛みはなくなった。

もう何十年も昔のことである。だが、少し気になる。実は、風邪気味だなぁと思うときは喉が必ず痛くなる。その痛くなるのが、あの骨の刺さった箇所と同じように思えるのだ。無くなったといっても、何かしらが幾年月経っても残っているのではなかろうか。何でもそうだ。

コロナで世の中持ちきりだが、この界隈ではAB型のインフルエンザでの学級閉鎖が結構多い。古いからとて、消え去った気配はない。

【忘れようとしても思い出せないことばかり】



それでは小噺を一つ。



三途の渡しにて・その3



日本の渡し場では奪衣婆が受付を終えた亡者の着ている物を剥ぎ取り、架衣翁がこれを木に架けて、前世における罪状を測っていた。極楽行きと地獄行きはかなり時間をかけて決められた。二人とも忙しく汗びっしょりになるほど働いていた。隣のもろこしの渡し場では何やら書類を見るだけで、短時間で行き先が決められていた。レポーターが架衣翁に尋ねた。

R「隣のもろこし側はずいぶん手続きが簡単ですね」

架「あっちは好いよ。前世で社会信用システムとやらで全人民の分別、格付けが終わっているらしい。前世の政府発行の書類に従って地獄極楽の道筋を伝えるだけだから」 20203

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