はじめに

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2013年3月8日金曜日

夕刊を止める


夕刊を止める

 

 叩けども響くものなく薄い木鐸

 

私はこの1月から夕刊をとることを止めました。理由は新聞社に対する意思表示、平らに言えば嫌がらせに近いと承知しております。新聞が頭にきたとか、怒りを感じてなどという大袈裟なものではありません。
新聞協会は消費税の増税に対し、軽減税率の適用を主張しています。その理由が、新聞への消費税は知識に対する課税強化で、これにより国力低下をきたすというものです。牽強付会という言葉がこれほどぴったりする主張も珍しいと思います。この手の物言いは、政治家、官僚のよくするところと思っていましたが、新聞社も彼らにぴったりへばり付きすぎて、自家薬籠中の物としたといったところでしょう。軽減税率というのは、そもそも論から言えば、低所得者に対する逆進性の解消という立場からとられる処置でしょう。私自身はこの逆進性説にも異議がありますがここでは発散してしまうので差し控えて次に進みます。
一体、世の中の知識なるものの何ぼを新聞は負っているつもりなでしょうか。他の人はいざ知らず、私が一日に新聞を見る、乃至は読む時間は1時間余りにすぎません。あとはTV番組を探す時間がいくらかあります。ニュースを知るという点では、TVかインターネットによる方が多くなっています。新聞ではそれらの事柄の確認をしているだけという感じです。しかも早さにおいては勝負になりません。税金を普通にかけられたら国力が低下するなんぞはチャンチャラおかしい、新聞屋さんの思い上がりです。
まぁ、新聞界は天下のインテリの集まりでしょう。俺たちがそう言えば世の中が動くと思っている思い上がりかもしれません。思い上がりなら馬鹿、阿呆と言って済ませられますが、もしかしたら違うかもしれません。もしかしたらではなく、私にはそう思えます。それは政府のお慈悲を乞うさもしい根性からきているのではないでしょうか。これは困ったことです。引き換えに言論の自由が自縄自縛に陥ることへの想像力の欠如です。隣の大国の週刊誌の記者だって、及ばずながらと政府離れをしたいともがいているではありませんか。政府に温情を頂くことが、手加減、更には癒着を呼びます。既に癒着しているからこういう要求をしているのだとすら思えます。少し角度を変えると、政府への影響力があるのを誇示したい人がこの業界にいるのではありませんか。プロ野球強豪チームの監督指名権を持っている、あの人のことです。
消費税が上がったので、読者数が減ったなどと言わせないためもにらんで、それ以前に夕刊をやめることにしました。
ここまでは新聞協会についてのケチです。私が夕刊を止めたのは中日新聞です。新聞協会が気に入らないからと会員の中日新聞にあたるのは、親が気に入らないからとて子にあたるのだから、性質がよろしくありません。どちらかと言えば、気に入らないのは中日新聞の方で、協会の動きはついでみたいなものです。
別のところでも述べましたが、中日新聞は雨で見えなかった日食を、写真付きで見えたと報道したことがありました。大昔のことですが、私の記憶に焼き付いています。だからこの新聞社の記事内容はいつも色眼鏡をかけてみています。他の新聞を取ればいいのですが、この地域では折込広告が一番多いのが中日新聞です。その広告を奥方様が生活の糧にしています。家庭の平和と安寧のために中日新聞を取っているのです。
そういう危ういバランスのところへ昨年末載った記事が痛く心証を害しました。色眼鏡にかなったのです。
12月5日の記事です。そのことを新聞社に書いて送りました。返事をくれと。場合によっては回答できないという返事でもいいとしたためました。予想通り「個々のご意見には回答しない・・」という模範回答をいただきました。「記事」と私見は次の通りです。 

一面に社会部長の島田という方の記事なのか意見なのかが載っていた。そこには今回の衆議院選挙を「こんなに怖い選挙・・」と題して書いている。
「例えば」と自民党についての記述で「自民党に投票するという人の三割が憲法9条の改定反対、半数が原発ゼロを求めている。何となく投票先を・・あまりにも危険である」。
全ての政治課題に見解が一致する人だけがその政党に投票すべきと言っている。そのような人と政党があるはずがない。にもかかわらず「その行動を矛盾している」とも言っている。矛盾とは辻褄の合わないことだ。元来関係の無いABがありAに賛成しBに反対することは矛盾とは言わない。もう少し日本語を勉強すべきだ。
 「何となく投票先を決める・・あまりにも危険である」。続いて「二度と戦争をしてはいけない・・・日本が得た教訓・・・その礎である九条を変える・・とてつもなく重大な判断である」。
此処までを平たく言えば"自民党は九条改定を目指している。これは重大な判断である。それに簡単に賛成するのは危険である"そう言っている。"ある党は九条改定に反対している。これは重大な判断である。それに簡単に賛成するのは危険である"これも成り立つ筈だ。変えるのに安易に賛成するのは危険で、変えないのに安易に賛成するのは危険ではないのか。言いたいのは"安易に変える"の内、"安易に"は危険で"変える"を考えよというのがまっとうなことだ。ただ文章からは両方が、あえて言えば"変える"のが危険だと読者に思わせたいのだ。更に言えば、危険な自民党に入れるなと言いたいのだ。勿論、そんなことは言っていないと主張するだろう。しかし私にはそう書いてあると思える。特に終わりの部分の「何となく」の後は改憲を主張する党に投票するのは怖いと書いてある。新聞社の人だから、文章を書く玄人だ。私は一読者で文章を読む素人だ。玄人には素人に間違わないように読ませる義務がある。
続いて「大事な国土の・・・事実上二度と住めない土地にした」と福島に関する記述がある。今は住めない。住むには時間がかかる。そういう場所はある。大変なことではあるが「二度と住めない」とは福島に対する、とりわけ避難生活者に対する脅しないしは侮辱に近い。
同じ日付の別のページにも気になる見出しがあった。
「原発推進議員は?金権体質は?・・・・」これは落選運動に関する記事の見出しである。「原発推進議員」と「金権体質」は並列すべき事柄なのか。落選運動とある位だから批判の対象だ。しかし「原発推進」はそれを主張して選挙戦を行っている人がいる。一方「金権体質」を主張している人は居ない。並列することによって。「原発推進議員」を貶めようとしている。これは極めて陰湿な選挙妨害活動であると思うが如何か。 

 そんなところが気に入らないとして、夕刊を止めました。お断りしておくが、私は自民党の支持者ではありません。投票行動からいえば浮動票派です。原発についても推進派などではない、どうすべきかわからない戸惑い派です。記事の何が気に入らないのか。言葉巧みに自分の主張を載せ、それを隠している卑怯さに腹が立つのです。
 今年に入っても、同じスタンスの記事を見つけました。勿論朝刊です。
麻生副総理の「さっさと死ねるよう」というお話です。TVでは「私は遺書に終末治療で無理やり生かされているのは嫌だから、さっさと死ねるように・・」と言っていました。それを「私は遺書に・・」を削除して「さっさと死ねるようにしてほしい・・」と報じました。この手の欺瞞が多くの記事でなされています。悪意のある記事です。さすがに多くの人が主語の欠落報道を知ってしまったので、これに関するそのごの記事は無いようです。知らぬふり、頬被りを決め込んでいます。
悪意ではなく、極めて卑怯な書き方もありました。新年度予算の紹介で「財源を無視した参院選挙対策だという専門家の声もあがっている」中日新聞の主張ではありません。専門家の意見です。どういう専門家かは書いてありません。こういう書き方だとなんでも書けます。都合のいい表現法です。どうにでも書けます。言っていた、ないしは書いた人を特定できないようにして、そういう意見もあるとか、そういう意見も多いなどという書き方は新聞屋さんが本当に社会の木鐸であるならば慎むべき表現方法です。人に叩かせないで自分で叩くべきです。
主張するところが薄っぺらく、それと上げ底的に誑かそうとする意図が丸見えです。
見解が違うのは仕方がないのですが、一太刀なりともと思わせたのは、「個々のご意見には回答しない・・」という模範回答です。予想していたとはいえ、何らかの行動をしたくなったのです。

新聞も夕刊は薄い。そう思って夕刊を取ることをやめました。ここへきてふと気がつきました。考えました。私も考えが薄っぺらいなぁと。朝刊が夕刊より厚いのは多くの折り込みチラシが入っているからではありませんか。チラシを買っているのです。上げ底に気づいていませんでした。
(2013.2)

 

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